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[ピアノのお稽古] |
ソナタ第三・第一楽章 (ショパン) |
2017/8/5(土)15:31 |
8月5日(土)
朝、遅めに起きたので、今日はいつものエチュードは省略。何故か今ショパンのソナタ第三の一楽章が日課になっった。 ゆっくりと。 しかし途切れず流れるように・・ 一度は暗譜するまで弾きこんだハズ。 あれはいつだったろうか? 情熱と回想。 果てしなく続く妄想。 ![]() 夏の朝、セミの声をききながらショパンを弾く。 遠い子供の日々の永遠に続くような夏の朝のさりげない至福。 ・・・というのはどうもウソくさい。 私は大阪西成の下町育ちで、そんなプチブルめいた幼少期が私の過去であったハズがない。 ・・・ついでに言えば、この西成区に金澤ピアノ塾というのがあり、天下茶屋近辺のど下町で高名なピアノの先生が教えているというのは当時の日本音楽界の奇貨とされていた。 ・・・ここでもう一つ思い出した。 ウチのヨメは一人娘だった。チチオヤは溺愛し娘の才を妄信、なんとこの金澤ピアノ塾に娘を預けるという親バカぶりを披歴。 もちろん当の娘は一月も持たず逃亡退会、この一件のおかげでもう一生ピアノに接近することはなかった(^^; しかし子供の頃私はどうしても毎朝セミの声を聴きながらピアノでショパンをさらっていた、と後付けされた勝手な記憶は言う。 あるいは当時通っていた浜寺水練学校のもよりの駅、諏訪の森の住宅地の生垣の隙間からちらりと見た光景をいつの間にか自分のことだと記憶の中で再構成していたのかもしれない。 ソナタ第三にはとても手が出ないと思っていた。 特に最近、文学的な思い入れがあるような曲に踏み込むような精神的ゆとりはなく、単なる練習曲(エチュード)的なテクニックの習得だけしかピアノを楽しんではいなかった。 しかし今、すこし私の精神のざわつきが落ち着いてきたのかもしれない。 何か突然「ソナタ第三」をもう一度やろう、と思いついたようなのだ。 大曲である。 一生かかっても暗譜できないかもしれない。 しかし今、私には強大な思い入れの中に自分を押し込め、現在の、あいかわらず自分の居る場所を特定できないでいる自分の、生きる場所はここだったんだ、と強制的に思いこんでおきたい。 夏の朝、セミの声をききながら私はずっとショパンを弾いていたのだ。 冒頭のこの男性的なカッコよさ。 劇的な和声連打から立ち上がって来る歯切れ良いテーマが一挙に物語の核心に連れ込む。 しかし、唯一陳腐な低声クロマチック進行の経過句を経、やがて驚くべきサブテーマ群に導かれる。 大体副主題が次々と4つも五つも出てくるようなのはソナタじゃないだろ。 これはまったく幻想曲的だ。 ![]() 三連符6拍子の伴奏に乗ったやたらと美しい恋の憧れ。 3対2の生理的快感。 ![]() 突然の雨や風景の快い変化。 飛び跳ねる色彩。 ![]() 突然やってくる音の諧謔と不思議な調和。 そして最後に全てを回想し懐かしむ旋律の慰め・・・ ![]() なんていう豊かで溢れかえるような色彩の氾濫・・・ 私の人生はそのようだった。 情熱と激しい恋、家族との生活の喜び、そして満ちたりた晩年の慰め・・・ 私の人生はこうだったんだ。 夏の朝、セミの声の中で一心にショパンをさらっていた子供だった、もう一人の自分が歩んだその後の別の人生は。 |
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