ソナタ第三・第一楽章( .. ドイツ舞曲op.35 (ブラームス)
[ピアノのお稽古]

ソナタ第三番 2、3、4楽章 (ショパン)

2017/10/6(金)12:58
10月6日(金)
第一楽章の提示部にとりかかったのはいつだったか?
夏の初めだったかな?
もう10月になっている。
やっと全曲通奏ができ、今は最終楽章の再現部からコーダまでの暗譜を何度も試みている。
これから徐々に第一楽章に向かって指の記憶を後ろからのばしていき、最初に暗譜した第一楽章の提示部につなげるのだが、さて今年中に完了するかどうか・・・


このソナタがどうやら私のライフワークになるような気配になっている。
どういう風に見ても私は音楽の専門教育をうけたことも、ピアノの系統的なレッスンを受けたこともない、由緒正しきまっとうなド素人ピアニストである。
しかしそれでも毎日の修練を継続すればショパンのソナタをモノにする事が出来てしまうのだ。
アマチュアピアニストは世にたくさんいらっしゃるとは思う。
しかし私は自分が世界的に見ても稀な独自のピアノ練習家である、と思う。

ピアノ練習家というのは絶対に他人に演奏を聴かせることはなく、ただ自分でピアノを練習するというそのことだけがピアノを弾く目的で・・
いや、そういう方もたくさんいらっしゃるだろう。

私が世界的にも独自の練習家と自覚せざるを得ないのは、ここ3カ月毎日のごとくピアノを弾いていたのだが、このソナタ第三以外の音符を一音も弾いていないのだ。

先ず、一般のピアノ演奏家(プロ・アマ問わず)は運指練習から毎日のプログラムを開始するだろう。
単なる音階なのか、ハノン、クラマー&ビュロー、ショパン・エチュードか、それはいろいろあるだろうが。
プロならその他に自分のレパートリの補完や、お仕事上の業務予定曲を必ずさらわなければならんし、素人ならさっさと面白そうな他の曲へと浮気していくはずだ。

私はその日の最初の第一音から徹底してソナタ第三だけ。
時には運指練習を意識して割とつまらん第二楽章から始めることもあるのだが。


多分、完全に暗譜できるまで今年中はソナタ第三以外は弾くことはない(^^;

こうしてショパンとしては大曲のソナタを弾きこんでいると、単なる鑑賞者であった過去の自分の曲に対する印象が変わっていく。
昔は第一楽章とフィナーレのカッコよさだけが突出していて、退屈な音型練習ような第二楽章を経て第三の静かなここら辺りになると・・

ベートーベンの第九の第三楽章風の静謐を思わせるというより、直接的にはシューマン幻想曲の第三楽章の物語性を想起させるような、思わせぶりを多少あくびしながら耐えていたもんだったが(^^;

自分で弾きこんでみると何じゃい、ただの軽い情緒の変化でそんな深いところじゃないや・・と、ごく軽い抒情という風に印象が落ち着く。
一般にショパンはそんなに深いところには行かないのだ。
だから何カ月も練習できる・・・ってもんだ。
ブラームスやシューマンでは心理的にそればかりやってるとしんどくなってしまうのだが。

ショパンのソナタは別にソナタ、というわけではない。
もっともソナタらしい第一楽章にしたところで、展開部はちょいとしたアドリブ変装での繋ぎ程度のものでしかない。
ちょいと凡庸な第二楽章、なんだか深そうで実はそれほどでもない軽いカプリチオーゾな心情が移ろう第三楽章を経過し心が適当に緩んでしまう。
そのとき突然開始される冒頭譜例の最終楽章のアドレナリンの強烈な噴出エネルギー。
意識を不意打ちのごとく直撃する最終楽章へのファンファーレ。
ショパンが不得意なソナタの形式を借りたのは、ソタナのこういう4楽章構造が必要だったのだ。


で、フィナーレのコーダの開始部

何度練習させられたことか(^^;
右手だけなら簡単だが、左手の和声のどうでもいいような変化を確実に刻めるには、右手は完全に自動化・無機化・機械化するまでオトノミー(音のみ^^)になってなければならん。
完全ド素人ピアニストである私はこんな馬鹿げたフレーズだけを2時間もかけて飽きずさらう事もできちゃったりするのだ。

私は誰にもピアノ奏法を教わったことはない。
だから既存の基礎的練習メトードというものを一切持っていない。
ただその時好きな曲だけを楽しみそれだけを弾いてきた。

今はソナタ第三に毎日ハマってしまっている。
そして思うのだ。

私はショパン本人よりもはるかに長時間このソナタを弾きこんでいる と。

第一、39歳で死んだショパンにはそんな悠長な時間はなかったはず(^^;

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