ピアノ達との不順異製交遊禄 猫のフーガ (D.スカルラッティ
[ピアノのお稽古]

完奏ならず、されど完走せよ

2020/12/31(木)13:34

今年も最後の日になったが、今年はこの書庫の記事をひとつも書かなかったので少し覚書程度に懐古しておく。

今年前半はCOVID-19の影響下で屋外アクティビティの「自粛」、自室自閉生活の時期だったが、居間のピアノのおかげで指だけは毎日運動でき、私には意外と新鮮な毎日でもあった。
毎週レッスンをしてもらっていたご近所ピアノ教室も数か月の休止があり、それ以降私は月2回60分のレッスンに切り替えてもらっている。
60分もあれば、そのうちの大半が得意の”口ピアノ”で過ぎていくのは想定どおり(^^;

今年レッスンで見てもらった曲は:
  リスト 愛の夢 No.3
  ショパン スケルッツオ No.3
いずれも完璧に演奏できた試しはなく、特にスケルッオ第三は単に「暗譜したので聴いてほしい」程度の仕上がりで2,3回のレッスンで破棄、少しは人前で演奏できるレベルの曲を、と少々ヨコシマな意図で次はやはりピアノ名曲集から通俗名曲を選択することにした。
この名曲集(音楽の友社版「世界大音楽全集ポピュラーピアノ曲集」1956)は私が高校時代から持っているヤツで460円、同シリーズのショパン曲集全4巻なんかはハードカバーの初版本で380円だったのを覚えている。
この名曲集からは上記「愛の夢第三」を練習レパートリーにしているのだが、他に:
  シンディング「春のささやき」
  ルービンシュタイン「へ長の旋律」
  グノー「ファウストのワルツ」
を自粛期間中次々に暗譜して楽しんだ。
今年は発表会等がなかったのだが12月になって小規模なクリスマス会程度の企画があり、私はその名曲集より選び、コレ↓で、出た・弾いた・コケた。 

舞踏への勧誘 (ウェーバー)

原曲はオーケストラだが、ピアノ編曲も華やかでケレン味がなく、親しみのある曲だが、以前は苦手だった右手の無窮動(↓)が今回はイケる気がして全曲暗譜。


このピアノ編曲は20年ほど以前のテレビのハウスカレーのCMで中村紘子が弾いていた。
確か「馥郁たる楽興の時」とかいうナレーションがかぶり、華やかなピアノ演奏がかっこ良かった。
だからそのころにも一度暗譜を試みたハズだったのだが。

私の演奏結果は惨憺たるもので、終了後そのまま帰る気になれず、イオンモールに行き、天理楽器の前に置いてある電子ピアノでしみじみと一人通奏。
対局後の棋士がしみじみと当日の棋譜を振り返る・・とかいう心境か(^^;

そういう逸話はともかく、結局私には人前で大向うを唸らせる、とか大喝采を浴びる、とかそういうのができない性格である、ということを遂に今、心底から悟ってしまったのだ。
というか、元々その気はなかったのだが、最近のストリートピアノブームに多少色気を示し、少々自分の本性を偽りヨコシマな淫欲に身を投じてしまい、我が身を誤ったのだ、と。
今回、やっと目が覚めマシタ。
私は決して人前で、世間で世界で大成する素性でも才能でも性格でも能力でもないのだ、と。

しかし、私の「ピアノ練習の楽しみ」とは一体何なんだろうか?
朝、起き朝食後必ず二時間はピアノを弾いているのだ。
時には夜間でも気になってサイレント仕様のピアノで明け方まで練習することもある。
とにかく一日の覚醒後最初に自覚するのが「ピアノを弾きたい」という欲求だ。
時には朝食前に弾きだすこともある。
まあ、しかし食欲を凌駕することはないのだが(^^; マレには性欲の方も(^^;;

以前なら技術的な達成感という要素もあった。
しかし、もう肉体的にはこれ以上の運動能力の獲得は期待できない。
それでも何か、音楽を奏したい、何か音を出したい、何か自分の内側から出したい・・という希求がある。
そういうのは音楽を聴きたい、という純芸術的欲求よりも強い。
あるいは「踊りたい」というフィジカルな欲求と同根なのかも。
一人で完結してしまう、いかにも孤立自閉人の私らしい生命本能からの欲求か(^^♪

この年末年始の国民的休暇期間に今またショパンのスケルッツオ第四を毎日さらっている。
一昨年暗譜したのだが、やはり完奏には至っていない。
しかし、私独自のメソード(笑)を適用し、なんとか音楽の流れが最後まで澱まずせせらいでくれる・・・かも、とかいう状態。
実を言うと、この状態が無上に楽しいのだ。
よし、今度こそ、ともう何回目かの通奏を今朝も試みる・・・

うむ、この「今度こそ!」という感覚はアレに似てるな・・
「クソッ、今度こそストライク。」
曲完奏頻度は奇妙に私のストライク頻度と一致する。
最近、故あってボーリング場に通い出したのだ(^^;

ピアノ達との不順異製交遊禄 「猫のフーガ」 D.スカルラッティ