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[ピアノのお稽古] |
猫のフーガ (D.スカルラッティ) |
2021/4/19(月)9:43 |
何かの拍子にスカルラッティを弾いてみたくなる。 それはたぶんショパンのような濃厚な物語性をたどるのに疲れた・・飽きてきたとき、ふと弾いてみたくなるのだ。 D.スカルラッティのソナタ集三巻本は常に手元にあり、見開き2ページ程度で完結するソナタの大部分は軽い指の運動と、クラシック以前の素朴だが時に耳に斬新に聞こえる和声による軽快な曲が大半。 気分転換にランダムに開いたページを初見練習風にぱらぱら弾くのだ。 この4月から2年間通った隣市のピアノ教室を退会。 直接的にはボウリングで痛めた指が腱鞘炎風にこじれ、すっきりしない為だが、課題曲として毎日同じ曲をさらうのにいささか疲れてしまったこともある。 そこでスカルラッテイのソナタを時おり箸休め程度に時々弾いていた。 運指練習に最適な軽い小品はそれなりに楽しいのだが、一丁暗譜してやれ、とまでの吸引力はなかった。 軽快な速度感で楽しく初見通奏できるほどの技量がなかったし、じっくり暗譜するほどの内容のあるモンではないと思っていたからでもある。 しかしある日、とうとう台林出版社版全三巻最終局のフーガに到達し、そのまま、この異例なソナタにのめり込むハメになってしまった。 ![]() このフーガのことは以前に書いた。 「 いかにも風フーガの楽しみ」が満載で、しかも難易度はそれほど高くもないのだ。 しかし、当時は暗譜し自分のレパートリにしてやろうとは思っていなかったのだが。 今、レッスンで弾く課題曲から解放され、先ずとりかかったのがこのフーガの暗譜だった。 もちろんバッハの「本格厳格」フーガからするとつっこみどころ満載なんだが、別にフーガの技法を極めようというわけではない。 弾いていて自分がフーガの起承転結のうねりに乗っかり疾走し、コーダに突き進む感覚がなんとも快いのだ。 バッハの平均率のフーガだと私の技量ではピア二スティックに面白く弾けるわけがない。 しかしスカルラッテイのフーガは簡易で、それでいてフーガの重層し追いかけていく畳み掛け感ははっきりと書きこまれている。 この曲について調べると「猫のフーガ」とあだ名されているようだ。 フーガの入りの主題がまったく調性が感じられないランダムな音階でできていて、あたかも猫がキーボード上を歩いているようなイメージ故らしい。 意外と音楽史的には有名な曲らしく、リストも演奏会で演奏した、とwikiにある。 今、ピアノでバッハを弾くピアニストもほとんどいない時代になった。 グレン・グールドが最後だったろうか? 現在ではチェンバロやクラブサン、あるはオルガンが普通に見かけるようになり、バッハ時代には存在しなかったピアノで弾くこともないだろう・・・ しかし、このフーガはピアノで弾くのが前提の曲だ。 最後のクライマックスは左手のオクターブ奏。 ハープシコードやチェンバロ、オルガンでは無意味な記譜で、やはりこれはピアノ曲としてのフーガである。 ![]() と言うワケで今一番私が愛好しているのがスカルラッティのこのフーガ。 ついでに、以前から気に入っている3つのソナタを暗譜、4つセットで準備完了・・? しかし、もうどこかで弾いて聞かせるというつもりはまったくない。 ないのだが、自分の仮想リサイタルのワンステージを常にイメージし曲順を考えたりは常にやっている。 そうでないと・・・ このブログも今では同じような内的なシカケになってしまっている。 誰も読んではいないのは承知なのだが、やはりどこかで誰かが読んでいる僅かな可能性を自分の意識に残しておく。 その潜在的読者を仮想することで少しは文章的色気を試みたりするワケだ。 いや、もしかすると、その仮想読者や聴衆さえも自分の分身でしかないのかもしれない。 かくて、私はフランス語会話学校を止め、ピアノ教室を退会し、本格自閉自演自虐フーガの狂乱の終結部へと。 |
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