過負荷の審判(4) 過負荷な顛末
[フランス語通訳ガイド控][団塊の段階的生活]

過負荷の審判 (付録)

2007/04/21
帰宅するとまた電話。
やっと過負荷が去った放心状態で電話を受け、気が付くと
次の依頼(2日後より)を引き受けていた。おいおい!

というわけで、元の無負荷のリタイア生活に戻るヒマもなく、
今度は京都の寺についての必死の泥縄・付け焼刃式情報収集。
今週は仕事に出かけ、合間は自宅に閉じこもりブログも書かず
勉強し、また仕事に出かけたと思ってください。

だって、私の公示ガイド料金がそのままいただけると思ってたのだ。
これで一挙にウチの奥様の被扶養者の地位から抜け出せると
算段したし、また奥様の態度もいつになくやさしくなった。

旅行社からガイド料金請求関係書類が来た。
甘かった。料金は会社規定の表で決められていた。
それによると、50歳を越えてフリーターになった
当初の、派遣先大手家電メーカーの時間給換算よりも
安かった。

うわ〜ぁ。こりゃぁ、あの過負荷に対する報酬としては少ないよ。
ウチの奥様もゲンキンで「そんな安いんだったら、やめたら?」
と態度が一変する。

労働はいつだって甘くない。
リタイアしてからはお金ではなく、適度な負荷(可負荷)目的で
労働することができればいいのだ。
こんなにプレッシャーが強いなら、すぐ止めてラクしたいんだが、
しかし、絶対的負荷体験を乗り越えてみたくもある。
・・と、自分自身と奥様を説得し、
京都で二日間クライアント一家族を案内した。
興味深々のクライアントが日本建築や歴史について
質問してくる度に危ない橋を何度となく渡った(^^;

最後に宿泊ホテルに送り届け、ロビーで挨拶して別れようとすると、
クライアント家族の子供が部屋から走って取ってきたプレゼントを
手渡された。

うむ。とにかく過負荷な一週間だった。
京都からそのまま帰宅する気にはなれず、市内循環バス206系統に乗りこみ、
疲れきって座席に身体をすべり込ませた。
そして夕暮れの京都を放心状態で2時間くらいかかって一周してきたのだった。

確かに、これでリタイアの無負荷生活に戻れるわけだが、この放心の中に
ある安堵の自由落下的快さは元の無負荷生活にはなかったものだ。

せっかくリタイアしたんだから、もうわたしゃ金では働きませんよ。
  可負荷な生活。
  ↑これですねぇ。

というわけで、やっぱりこの先も不要、じゃなくて扶養の件、よろしくね!>奥様。
blog upload: 2007/4/21(土) 午後 4:18
過負荷の審判(4) 過負荷な顛末