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[フランス語通訳ガイド控][団塊の段階的生活] |
通訳ガイドの苦しい失敗の記憶 |
2008/06/07 |
春の京都出稼ぎシーズンで、主にフランス人観光客十数組の案内をした。 貸切バスで回る団体ツアーは、一方的に喋っていればいいので私としてはラクである。 しかしこういう団体サンは日帰り限定ガイドの私にはあまり回ってこず、主にカップルや 家族単位への京都一日観光ガイドが主な出稼ぎネタになるのである。 団体と違って、車内や食事時にはかなり個人的な会話につきあわねばならなくなる。 適当に話をあわせておけばいいと思うのだが、少々つらい会話になることもある。 憧れの日本に来ているという高揚を演出するため、過剰な日本賛美をする人もいる。 「日本人はすべて礼儀正しくて親切だ。何よりも町にゴミがなく清潔。」 それはアナタがたっぷりとユーロを持っている西欧系外国人だからですよ。 それに観光京都だけが日本でもないし、と大阪下町の猥雑な下積生活が永い 私は思うのだが、もちろんそーゆーことは言わない。 で、次に出てくるのが「パリはゴミだらけで、人は冷たい。」ときて、 だいたいこの辺で中国人の悪口になる。 ちょうどオリンピックの聖火ランナーがパリで妨害され、中国でフランスの排斥運動 が盛り上がっていたこともあるが、中国人への悪口は日本人の美点を言うとき、必ず 対比的に出てきた。 歴史的文脈でいえば日本は絶えず中国に範を取ってきたのだし、日本もかつての高度 経済成長期には「エコノミック・アニマル」とかいわれ世界的に軽蔑されてきたのだ。 欠席裁判的に中国人の悪口まで付き合いたくはない。 多少弁護に回ると、せっかく盛り上がっていた、というか気勢があがっていた 陽気な悪口会話が途端に湿ったりしてしまう。 まあソレはそれで、お金をいただいている立場上、多少卑屈に自分の意見を捻じ曲げる くらいなことは簡単なことだし、職業上これまでいくらでもやってきた。 でも、せっかくサラリーマン辞めたのになぁ・・とかいう悲哀の念は多少あったかも。 私は卑屈なヒトで、お金の前で自分を捻じ曲げるくらいな事は平気でするのである。 しかし、完全にはできなくて、後で自責の念に駆られて悶々としたりする。 サラリーマン時代のストレスは大半がこの「他人と合わせる」ことに起因していた。 宝くじが当ったら自室に閉じこもってゲームをし、一生を終えるのが夢だったのだ。 しかし、憧れの日本に来ているという高揚に満ちた普通の観光客サマの上機嫌に 付き合い、あまり程度の良くない冗談の応酬をするくらいの芸当くらいは簡単だ。 むしろ、相手の気分に自動的に感応してしまい、カメレオンのように自分自身が 勝手に変化して無くなってしまう、というのが実情だ。 実はソレが私の本当に憂慮すべき「病気」なのだけど。 ---<>--- 今年のシーズン中に一組だけ完全に失敗した事例を出してしまった。 いろいろ悪条件が重なりアクシデントもあり、私の自動感応装置がうまく作動せず、 いわゆる「のらない」状態で雨の京都一日観光が終わってしまった。 ホテルに送っていって最後にガイディングの不首尾を詫びた。 法曹であるこの顧客は「私も失敗をしながらここまで来た。失敗するから新しい 展望も開けていく」と言うようなもっともらしい訓辞をたれ、「でも、あなたは 率直で好感がもてた(sympathique)。明日他に仕事がないなら、奈良のガイド も頼みたいのだが。」と慰めてくれた。 ガイドになってから初めての完全な大失敗にオチ込んでいた私は、早く帰って 一人になりたいという思いで早々に退去した。 帰宅後もこの「顧客に満足を与えられなかった」職業的不首尾の自責に悩まされ、 お詫びの手紙を書き、京都の老舗の香木店で買った品に添えて2日後、まだ滞在中 のこの一行のホテルに託した。 数週後、思いもかけずこの仕事をまわしてくれたエージェントから電話があり、 この顧客が帰国後、京都のガイドに対してクレームをつけてきていると言われた。 え?ガイディングには失敗したが、何とかつじつまは合わせたハズなのに。 顧客からクレームはガイドとして致命傷である。 たしかにあまり出来はよくなかったが、最後にはそれなりに握手して笑顔で 別れてきたはずだ。当方としても事後に誠意は尽くしたと思っていたのに。 私には帰国後の顧客の態度のこの変貌ぶりがどうしても理解できなかった。 結局よく状況を確かめてみると、私が書いた「詫び状」が最終的な原因になている と結論できた。 オチ込んでいた私は平誤りに徹するあまり、「プロのガイドとしてDisqualifyで あったと認めざるを得ません」なんてことを書いてしまっていたのだ。 そして「ガイドの私をGuideしていただき、私の方がガイド料を払うべきでしたね」とも。 もちろんこれは、ホテルでの最後の顧客サマのありがたい訓辞のことを言った 軽い冗談のつもりだった。 しかし、この日本式低姿勢・平謝りが実に良くないのである。 と今にして思う。←オソいわい! その時、どのような状況でどんなやりとりがあったのか、帰国してから は、もう記憶の閾値の向こうに霞んでしまう。 残るのは具体的な陳謝のコトバのプリントアウトだけになっている。 そのような不首尾の謝罪がコトバとして提出されているのなら、 糾弾のコトバを返すという反応だけが対応する。 ましてその顧客が法曹である場合には。 ここで、昔よく聞いた外国生活上の注意事項を思い出す。 もし何かトラブルが生じたら: ・・・・とにかく、どんな状況でも絶対に自分から謝ってはいけない。 ・・・・とにかく、自分の正当性だけを主張し続けること。 そうかもしれない。 とにかく低姿勢で謝れば、相手が誠意を汲んでくれるだろう、というのが 私の側の日本的もたれ掛かりだったようだ。 詫び状を見たこの人の反応は違っていた。 「それだけ謝るのは、それだけ悪いということに他ならぬ。 当方としてはそれに対応する手段に訴える」と。 そうか。 外国語でコミュニケーションをとるとき、同じ意味のコトバが 文化的な背景の違いから別の反応を引き出すということがあるのだ。 私はつい、サラリーマン時代の卑屈な平謝りの習慣を自動的に再現してしまった。 結局、仕事を回していただいたエージェントにご迷惑をかけることになり、 私の方は「始末書」を提出するという処置となった。 このトラブルのおかげで、現役会社員時代に体験した顧客サマとのトラブルの記憶の 数々もぞろぞろとひきずり出てきたりもした。 苦しい記憶というヤツは絶対に風化しない。 コトが起これば全員一致して記憶宿主本体を攻撃にやってくる。 でも、おかげで「始末書」を書くことには慣れちゃってるというのが、 ソイツら、苦しい記憶を飼っていることの取り得というか。 blog upload: 2008/6/7(土) 午前 2:39
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