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[一所懸命の日本] [時爺放言] |
一所懸命は大家族制を生む 一所懸命の日本(1) |
2012/04/20 |
(1)一所懸命は大家族制を生む
子供の頃「いっしょうけんめい」と発音し、何となく「一生懸命」と書くのだと信じていた。 これが「一所懸命(いっしょけんめい)」というのが正しい表現であると知ったのは、高校での日本史の授業内だったか。 元は鎌倉時代に生じた、自分が開墾した土地を守り、命をかけて子孫に伝えていく、という生き方を形容する表現とされている。
この先祖から受け継いだ土地を自分の命よりも大切に考え、子孫に伝えようという「一所懸命」の精神は現在でも日本の基本的な生活観を支えているように見える。 私も「懸命に」は生きてきたつもりだが、何故か周囲から違和の目で見られる。
私自身もこういう違和感を周囲に対して抱くことが多い。
どうやら私には「一所懸命」のこの「一所」の部分が欠落しているのではないか、と考えるとすっきり腑に落ちる気がする。
ただ「がんばる」のではなく、この「一所」、同じ土地でがんばるというところに日本的美意識があるのだろう。
このように考えれば、ばかばかしい美談のお祭り騒ぎだったこの一年の説明がつく。
しかし、いきなりそこには踏み込むまい。
私が大きな違和を感じる現代日本を、これからしばらく「一所懸命」というキーワードで分析してみたい。
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卑近な例からはじめる。
最近よくこのブログにも登場してもらっているのだが、84歳のハハオヤ(義母)を見ていると典型的な農村出身者の生活パターンが見えてくる気がする。
とにかく際限なく物を買ってくる。
野菜・日用品は冷蔵庫に溢れ、風呂場を占拠し、洗濯機の上まで領土を拡げている。 そこでこのような冗談も可能になる:
「イモ買ってももう置くところないですよ。もう一台洗濯機買わないと。」 昔の農村では納屋に当面の(一冬のか)食料や日用品が備蓄され、何かが欠ければ常に補充していたのではないか?
また、何かが格安で手に入るのなら、その機会に多量に手に入れ集落内のメンバーで分けて使用したりするようなこともあったのだろう。 しかし、移り住んだ大阪下町の庭も納屋もない長屋風集団住宅(テラスハウスと称するらしい)では、このような備蓄に空間的な無理が生じるのは当然だ。 常に備蓄しなくとも歩いて10分のスーパーに買いに行けば常に必需品は手に入るというのに。
また、必需品ではなくともスーパーで良くやる客引きの何とかセールでは全部が使い切れそうもないのに多量に日用品を買ってくる。 これも手に入るときには出来るだけ多量に入手しておく、というような感覚があるような気がする。
つまり、ハハオヤの生活感覚は常に大家族が前提で、自分ひとりという単位に適正化されることはないのである。
一所懸命、そこに産まれて生涯を通じて留まり、そこで死んでいくという生活形態は必然的に緊密な大家族制を生む。
これが若い男であれば、家から巣立ち、都会に新たな居所を設けるということもあるのかもしれない。
現にチチオヤはそのようにして大阪に出た。
しかし、ハハオヤはチチオヤと結婚して大阪に出てからも故郷の六人の兄弟姉妹との繋がりの中で暮らしを調整し、核家族という単位に自分を絞り込むことはなかったようだ。
多少の余剰があれば、金やモノは常に郷里にいる6人の兄弟姉妹へと還流していった。
また、金と地位(家系や学歴)に関する盲目的な崇拝がいつまでも抜けないのだが、このような農村性に由来すると考えれば納得がいく。
農業の富は常に目に見える形で形成されるのである。
この物持ちや金持ちという評価は比較的オープンに語られ、隠すことも出来ないし、隠す必要もない。
ハハオヤにとっては人間の評価は金と学歴・勤め先だけで決まる。
何事も具体的な見える形に翻訳しないと評価できないので、常に数字を訊ねる。
私の居宅のテレビを「これ、いくらのヤツ?」と聞くので「40インチですよ」と答えたのだが、ハハオヤが尋ねたのはサイズではなくて価格だった。
日本の農村では、町のような流動性がなく、固定した人間関係が代々続いていったのだ。 その家の備蓄量がそのまま格付けポイントとして明記され、家系を代々累々と引き継ぎ、誰かが都会に行き大学に入ったり、大阪に出てパチンコで全財産をすって来たりすると大家族を構成している親戚縁者類にあまねく語り継がれる。 かなり単純に類型化して言えば、町での中心は商家であり、これは自分の情報を隠すことで利を得る業種といえる。
仕入れ原価を明示しては商売にはならなし、自分の個人資産は隠し、あくまで客より下手であると見せる、というような戦略も必要だ。 農業者は共同体のメンバの畑の状態は常に眼に晒され、各自の家の大きさも明確である。
個人の情報は農村では隠すことができない。
だから個人情報の守秘を尊重するという感覚も育たなっかったのではないのだろうか。
この老婆はそのようにして「一所懸命」に生きてきたのだろう。
世界はその一所に尽き、その一所だけで懸命していたのだ。 世界を見るそれ以外の、複数の視点を持つような機会は、この人には終になかったのである。 blog upload: 2012/4/20(金) 午後 2:36
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