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    「死ぬにはもってこいの日」
(3) アンチ・クライマックス(またはポスト・クライマックスか?)

2010/11/29
(3)
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の最終回が終了し、来週からはつなぎの「坂の上の雲」らしい。
どちらも同じようなエセ・リアリズムの汚い映像、香川照之の過剰な演技も暑苦しくってイヤなのだが。
他に人生的には大してやることがないので、だらだらみてしまうんだろうなぁ(^^;
 
坂本龍馬は画策してきた大政奉還が成ったのを見届け(前回放映)、一ヶ月後に暗殺される(最終回)。
これは見事な生涯であると言う他はない。
例えば西郷隆盛の場合は、こののち新政権の要職につく。
しかし、征韓論で他の幹部と意見が合わず薩摩に帰り、やがて西南戦争の首魁として自分が参画した新政府に殺されてしまう。

龍馬にしても、前回放映分あたりでそろそろ新政府の要職を占めるハズの西郷や木戸達から疎まれることが暗示されていた。
しかし暗殺されたことによって大望を果たした時点で生涯を終えられた。
これで坂本龍馬は国民的ヒローとなった。
32歳で暗殺されていなければ、この方も人生規模のクライマックスの後、長い不遇の人生が続くハズである。
龍馬の理想主義は新政府の現実的政治巧者達の政策とは相入れないのは自明であるし、逆に
時の政府に迎合し、ふやけた龍馬になるのなら、ただ過去の栄光を自慢して飲んだくれるだけの
後半生がつづくんだろうなぁ。
 
そういう意味で西郷も英傑としての生涯を全うしたと言える。
現実にも若くして生涯を終えたこの二人の知名度に、他の新政府高官組は及ぶべくも無い。
 
「坂の上の雲」の主人公、秋山真之は日本海海戦で生涯のクライマックスを迎え、海軍中将までいく。
しかし、その後ちょいと狂信的な思想に凝ってしまい、怪しげな行脚をし、得た名声を損なっていく。
司馬遼太郎さんもこのアンチクライマックスの処理には困ってしまっているのが原作では読み取れた。
 
私はこのアンチクライマックスというか、生涯の最高峰を終えた後の人生の期間が常に気になっていた。
これは子供の時からの悪癖である。
例えば童話では、冒険の試練を乗り越え王子サマが妃を娶った時点で「メデタシ、メデタシ」となって物語的には大団円で終了する。
しかし、実際には語られない「その後」があるハズだ、と常にウラ読みをしてしまうのである。
やがてこのはつらつとした王子もイヤラしい中年になり、最愛のお妃サンもハナにつきだして、
メカケに走る日々になるんだろが・・とか。
 
自分でもイヤな性分だな、と思う。素直ではないよなぁ。
しかし、人間の能力はある時点から確実に衰えていくのは確かなことだ。
自分の能力の衰えを自覚したとき、その事実を自然に受け入れ、これから自分が着地する地点を
きっちりと見定められる人は現在では極端に少ない。
慌てふためいて、やおら近所のコナミに通い出し、なれない筋トレしたりして、
ふと垣間見た自分の着地点の残像をできるだけ遠ざけようとする。
 
生涯のクライマックスからどのように最終地点まで軟着陸していくかが実は本当に大事で、むつかしいのだ。
自明なことだが、能力を発揮することより、収めていくことの方がはるかにむつかしい。
攻撃より撤退がはるかにむつかしいのは戦略論では常識である。
至難の軟着陸ができなければ、強制的に中断してしまう他はない。
非業の死をとげた英雄はこういう仕組みで完璧に人生を全うし、語り継がれていくのである。
 
20世紀の拡大再生産経済モデルは無限に「向上」していくのみ、という一本調子な人生観を一般に
与えてしまったというのが私の持論である。
健康で長生きし、とにかく攻めることだけ考える人生。
で、縮小するとか、収めていくとか、撤退するということを忌み嫌う風潮がある。
結果として「死」をできるだけ遠ざけようと無意味にあがくだけの人が増えてしまった。
 
過去の時代に題をとった小説で、常套句だが 「死に場所を得る」なり 「死にがいを求める」、
「生き恥をさらす」なんてセリフを口走る場面を見ると、つい単純に心根が美しい!と思ってしまうのだ。
 
「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)とかね。
まあ、死を美化しすぎで、理念だけだったかもしれないが、積極的に死を評価する気分が一般にも見られた時代もあったと思っていい。
 
生きていることも、死ぬことについても評価はどのようにでもできる。
プラスでもマイナスでも、ニュートラルでも評価は何でもありだ。
しかし、生きて、そして死ぬという生命の摂理そのものを否定してしまうことはできない。
死に方を考えないで、「ちゃんと」生きることはできない。
 
忌み嫌うこともなく、美化しすぎることもなく、次に対処していく自分の人生の必然的なステップとして「ちゃんと死ぬ」ことを今考とこう。
 

blog upload: 2010/11/29(月) 午後 0:55
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