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[死ぬにはもってこいの日] [時爺放言] [団塊の段階的生活] |
「死ぬにはもってこいの日」 |
2010/12/09 |
(4)
84歳の義父が肺炎を発症し救急車で病院に搬入された。
この総タイトルの中で、義父入院とその後の顛末を書くと、不謹慎とそしる向きもあるかもしれない。 死について語るには数々のタブーの間をすり抜け、関係者の思惑、感情との正面衝突を回避又は迂回し、
こちらも多少なりとも命をかけてしか言葉を発することはできない、という具合にもなる。
しかし、そんなことを恐れ、一般常識とされる線で無難にまとめて、「老人医療、難しい問題ですねぇ」、なぞとしたり顔で言っている間に、人間の死について本気で考える機会を逸してしまう。 自分の死についての仮定を言うのは易しいが、闘病中の他人の死の仮定を言うのは至難である。
しかし、近親者だから言えるということもある。
私が現に見ている老人医療・末期介護の現状を記しておく。
救急車治療室の医師が付き添ってきた私を呼び、先ず「この年齢の患者さんに対してはご家族に最初に確認しておくのですが・・・」と切り出す。
「治療方針をどうします?」
医療の方でも「死」を仮定し、末期医療についての方針を家族と打ち合わせるということから義父の治療が開始された。
たとえ肺炎の炎症が治まったとしても、日頃から寝たきりに近い義父の体力では医療の負担自体が一歩終末に近づけさせると考えられる。
しかし、極端に言えば、現代の医療では患者を生かせておこうと思えば、いくらでも生かせておけるのである。
本人は無意識で植物状態であっても、栄養を頸動脈点滴や胃瘻で補給しておいて、それぞれの不具合に
しかるべく対処しておけば、とりあえず生を維持していくことは可能である。
なんなら臓器移植でもして、ときどき内臓を入れ替えたりすると、永遠に生かせておく事もできるかも知れない。
確かアメリカでは末期の患者を冷凍し、画期的な治療法が開発されているだろう未来の時点において解凍・蘇生させる、というビジネスもあると聞く。
末期の患者の多くは本人の意志を明確に伝えることができない状態になっている。
本人の生への志向や、蒙っている病と治療の苦痛の度合い、現在の感情の確認が不可能なことが多い。
周囲の者が生か死かの二者選択を迫られる。
(1)どのような治療法を用いてでも出来るだけ患者の命を長らえさせる。
(2)通例の対処治療を施し、無理な延命治療をせず自然な経過に委ねる。 尚、このほかに以下の選択肢が論理的には可能だが、現在の医療現場でこのオプションはない。
(3)患者本人の肉体的・心的苦痛をこれ以上長引かせず、即座に患者の生を停止させる。
義父の末期の療養については日頃から実の娘のヨメと話し合ってきたし、義母から「本人も覚悟はしている
ようだ」との確認を得ている。
「(2)通例の対処治療を施し、無理な延命治療をせず自然な経過に委ねる。」
と合意する。
義父の容態は一進一退を繰り返し、酸素吸入器と静脈点滴に生理代謝を依存したままもう一月になる。
しかし、認知症ではあるが、瞬間的には充分なコミュニケーション反応をする義父は到底植物状態とはいえない。自力で栄養摂取と呼吸はできないのだが、私の毒のある冗談にかすかに笑いもしたりする。
3週間目に強制酸素吸入に切り替え、足の付け根からの中心静脈点滴にきり換えた。
担当医師は、延命治療をしないという方針だったが、すでに延命治療の最初のステップに入っている状態である、という。
結局、医療側としては本人が死なない限り医療を続ける以外にはないのである。
義父の例でいえば、酸素を吸わせ、栄養を点滴管から送り込んでいる限り、義父は「しっかり生きて」いて、生きている限り、治療を続ける他に医療側としては選択肢はない。
これが植物状態ということであれば、酸素を止めるという選択肢も現実化するのかもしれないのだが。
医療が奏功し肺炎が完治し退院できたとしても、寝たきり同然だった義父の状態がより悪化しているのは
明らかだ。そして、また食物誤嚥下をするたびに肺炎を再発し、救急車が呼ばれる。
あるいは食物の口腔摂取をあきらめ、胃婁を施し、一歩植物に近づくか。
治療してもやはり確実に義父の終末は近くにやってくる。
○医師のジレンマ
死刑囚が執行前夜に肺炎になった、と仮定しよう。
執行が中止され病院に運ばれる。そして医師が肺炎の治療を行うハズである。
医療の目的はただ一つ。病を治療することである。
医師は死刑囚であれ患者として病気を治すことに専念する。 そして、病気が快癒し健康体になったとき、死刑が執行されるのだ。 だから医者は殺すために治療することになる。
どのみち殺すのだがら、肺炎を放置して病死させればいいようなものだけど、 少なくとも医者に託された時点で、医者は治療に専念するしかない。
義父は寝たきり同然となった今年はじめから、もう長くないと「覚悟していた」ようだった。
しかし、今はそういう達観は混乱した脳のどこかに埋もれ、煩わしい酸素マスクや点滴管を
払いのけようとする動物的反応や、喉の痛みや不快の直接的刺激を単にイヤがる小児的感情
表出だけが精神の座の大部分を占めている。
それでもヨメと私が「You are my sunshein」と小声で歌うと喜んでいるようではある。
酸素マスクや点滴管が煩わしく、すぐ手で払いのけてしまうので、見舞いの我々が居ない時は
両手をベッドに縛り付けれられてしまうようになった。
しかし、酸素なしでは呼吸困難に陥り死んでしまうという状態である。
生きたいと思う精神が戻ってくると、自発的にズレた酸素マスクを正常に装着しようと試みるときもある。
○患者のジレンマ
酸素マスクを払いのけようとするのは、自由になりたいと思う精神の業か。
しかし、それは酸素マスクのない自由な世界に行きたいということではなく、死にたいのか?
と聞けば明らかに否定する。
もうこの人の精神は自分の肉体や精神自体を、ひとつの統一された人格としてまとめる(マネジメントする)
能力を失ってしまっている。
多くの器官や神経が互いに矛盾しつつ未だに一個の人間の中に無理に(不自然に)押し込まれている。
老・病とはそのような自己矛盾の過程と見ることができる。
やがて致命的矛盾が生じたとき、ホメオスタシスとしての人格が破綻し、個人は死滅せざるを得ない。
動物が自分で餌を捕え、咀嚼できなくなれば自然死する以外にない。
人間は生きていることの基本的な動作を自分で完結させることができなくなっても、
なお社会が生命活動を補完し生かし続ける。
独身生活が長かった私は、「働けなくなった時は死ぬだけ」という覚悟でずっと生きてきた。
寝たきり状態であった義父は社会的人格としてはもうすでに死んでいたのだ。
もともと我々は生理的に雑多な器官を寄せ集めて無理やり成立させた矛盾した存在である。
自我という意識が矛盾する自己を苦しみながらも統一し、生活を維持している。
○家族のジレンマ
ヨメとは当初、延命治療は不要と合意していた。
84歳の義父は後半生が病気がちであった割には長すぎるくらい充分生きてきた。
近所つきあいもなく、私が縁者になった当初は、病のために鬱屈した精神を酒乱で発散してた印象がある。
私以上に自己顕示欲が強く、くだらない知識を誇る俗物ぶりも私以上で、さしもの私も辟易していたものだ。
家族は、病で倒れればそれが寿命ということであろうと、淡々と今回の入院騒ぎに処していたのだ。
しかし、酸素マスクの下から懸命に応答しようとする義父は、もう家族の上に君臨する暴君ではなく、ただの子供に返っていた。
義父の酒乱を非難していたヨメも、まるで自分の子供でもあるかのように介護に専念し、私と義父の死を前提とした話になると、涙の気配も見せるということにもなる。
私とて、その暴君ぶりを疎ましく思っていたのでここ1,2年は疎遠だったのだが、救急病室のベッドにおとなしく横たわる義父の傍らで数時間語り続けることで、密かに義父との和解が成立した思いがある。
どんなに死が避けられない状態で、闘病が苦しく見えようと「なんとか生きていて欲しい」と家族は
直感的に願うものなのか。
ヨメは苦しんで延命させるよりは、本人が楽になるということを目的とした医療を望んでいたのだが、強制酸素吸入を停止させるという決断はできなかった。
医師と家族のモラトリアム(判断保留先延ばし)が始まった。
私は自分の死について考えてきた時間が比較的多かった。
このようなモラトリアム的態度は自分に対するアンフェアな責任回避だと考えている。
少なくとも私は他者の思惑で生かされていたくはない。
私は社会から引退した時点で自分の死期についてのプランニングを開始しているのだが、
ヨメは「自分が死ぬ」という可能性を考えることもない人格であり、またそう表明もしている。
してみると、実の親である義父もこのような「死ぬ」ことを自分のこととして考えたことのない
人である可能性は大いにある。
この人達にとって「死」は突然訪れて強制的に生を剥奪する理不尽で非合理な存在なのかもしれない。
ひたすら自分の目の前にある「死」を遠ざけ、極力その影が見えていないように振舞うこと。
そのように対処する他はないのかもしれない。
義父は今何を考えているのだろうか?
「死」という未曾有の不条理に対してただ恐れ逃げ惑っているだけなのか。
「諸君、拍手したまえ。これで喜劇は終わりだよ。」と最後の俗物的見栄を張ろうというのか。
(↑このような逸話を瀕死の患者に話して聞かせるという私の俗物ぶりと最後の勝負をして欲しいものだ。)
blog upload: 2010/12/9(木) 午後 2:34
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