(4)絶対的同一的自己矛盾 | (6) 何回死んだらいい? |
[死ぬにはもってこいの日] [時爺放言] [団塊の段階的生活] |
「死ぬにはもってこいの日」 |
2010/12/13 |
(5)
前回の記事をアップしてすぐ義父の容態が悪化、病院に詰めていたヨメから「いよいよ」との連絡があり、奈良からバイクで大阪西部の病院まで午前三時の高速道路を伝って駆けつけた。
午前4時義父逝去。 この週末に葬儀を執り行い、家族だけで最後の見送りをした。 前日あたりから血液中の酸素量が低下し、医師から「そろそろ」と宣告されていたのだが、
以降にも2、3度の小康状態があり、ヨメからの連絡もその都度二転三転した。
酸素量が低下すれば人工呼吸器の酸素濃度を上げれば機械的に数値は回復する。
しかし強制呼吸を抑えればもう自力では呼吸できず、酸素量が危険閾値を低下していく。
ヨメが駆けつけた時点では、義父は問いかけにかすかに応答したようだが、いつしか意識は完全に無くなっていた。
数値上では基本的生理的代謝が行われ、生きているのだが、意識が回復するというような高度な脳の機能を復旧できる地点にはもう至らない。 看護師が臨終を看取る予定の私の到着時間をヨメに確認する。
このとき、医療側と家族との暗黙の根回しが行われ、義父の未だ残っている肉体の方の生理維持システムを停止させる時間が決定する。
午前4時の私の到着時間にシンクロナイズさせ義父が公式に死者となり、当直医師が死亡診断書に署名する。 午前8時の搬出車の到着時間まで病院の遺体安置室でヨメと二人で義父の遺体の番をする。
整えられ、かすかに微笑んだ表情の義父の身体はまだ暖かい。 呼吸しなくなってからも肉体はすぐ崩壊せず、生理的に存続を続ける。
しかし、身体の無数の器官を統合し、意味や目的のある生物としての動作を指揮する主体がもう存在しない。
いや、外からの刺激にはなんらの反応も示さないのだが、脳髄の内部では未だに微かな自意識が
漂っているのかもしれない。しかし、それはもう誰にもわからない。
もともと認知症が進んでいた義父は、最後の期間に自分の死という事実をどう認識していたのかが
明確には窺えないまま、この世界との境界を超えて行った。
瀕死の病床の患者に「あなたはこれから死んでいくんですよ」と誰も教えない。
「からなず良くなりますよ」「良くなるように頑張って」と周囲が結託して事実を隠し、偽善を行なう。
いや、この場合は悪い意図はないので偽善ではない。「方便」というヤツか。
そして、殆ど小児化している患者の精神は、すでに「自分が死ぬ」という客観的判断ができる状態では無くなっていたとも見える。 義父は最後には自分が死ぬことも、死んだことも知らない状態で精神の活動を停止したのではないか。
実の娘であるヨメは、普段は義父の死をネタにした私のアスペルガー症候群的冗談にも付き合ってくれるのだが、さすがに「死体」になって安置されている義父を見るたびに涙目になっている。
血のつながりも、共有するような懐かしい想い出もない私にはヨメの悲嘆を共有すべくもない。 義父の看病を続けるヨメのサポート体制が案外と短期で終了した安堵の方がよほど強い。
更に言えば、穏やかに整えられた義父の死に顔を見ていると、これでこの人も
やっと「仏」になれたんだなぁ、という祝賀の念まで抱いたのである。
家庭内暴君としての義父の尊大さや、数年来の介護生活を家族に強い、子供が親を見るのは当然とばかり、感謝の念も言葉にしないような自分への甘えが鼻につき、私はこの人のことを考えるのが嫌だった。
地方の地域の秀才だったこの人の人生を、周囲の縁者・親戚・家族どもがことあるごとに誉めそやし、結果として徹底的にスポイルしたのは私には明白である。
残念ながら私は同性としてこの人の人間としてのひ弱さに同情できないでいた。
晩年の酒乱は開花しなかった自尊への鬱屈が原因だったのだろう。
この人も本来自分がいるべき世界と、現実に自分が置かれている位置との乖離がついに承服できず、不如意な人生を鬱屈して生きてきた。 ユゴーの「レ・ミゼラブル」の映画化は何度かされているが、若い時フランスで見たバージョンの一シーンが記憶に残っていて、よく思い出す。
つまらない盗みの罪で投獄されたジャンバルジャンが放免され、
”Jean valjean, vous etes libre !”(ジャンバルジャン、お前は自由だ)と看守に声をかけられて送り出される。
ここから、まるで小説のような苦難の人生が続き、いよいよ最後の時になる。
消えかかる意識に例の看守が再び現れて声をかけてくる。
「ジャンバルジャン、お前は自由だ」と。
義父の穏やかな死に顔をながめている私には世間の通念とは逆に死者を悼むという悲痛さはなかった。
「いろいろあったけど、やっと仏さんになりはったんですね。」と声をかけた。
実際には信仰を持たなかった義父が苦難の輪廻転生のサイクルを断ち切ることは至難で、 またどこかで`うっとおしい人生を再開するのだろう。
しかし、とにかく今回はこれで一応の完了となった。
私は涙目のヨメの横で義父の死を密かに寿いでいたのだ。
blog upload: 2010/12/13(月) 午前 9:52
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