新潮社の書き下ろしシリーズでも最長の小説ではないか。とにかく厚い2500枚。文体になんとなくきらめきのようなものは感じられないが、それほどもたついているほどでもない。この厚みに比例して多様な人物が登場し、お互いに小説的偶然で邂逅しつつ、お互いの係累が明らかになっていき、最後のクライマックスの一点に向かって収束していく太い矢印の流れ、快い長編小説の醍醐味がある。ふと、数十名の登場人物分のカードを用意し、カードを攪拌し選択しつつ小説空間の中でそのカード相互の関係の物語を与えていくような作法を想像したりする。適切な舞台に適切な人物群を配置すれば、後は作中人物達が勝手に動き出して物語を進行させていってくれる、とでもいうような。
第二次大戦直前のパリを舞台に暗躍する国際謀略組織を軸に展開する物語ならそれだけで面白そうだけど類型的でもある。やたらと曰くありげな日本人がパリでご都合主義的に連なるのや、どうして敵役の白系ロシア人秘密組織の長で実はソビエトの2重スパイが、たかが日本人の主人公に執拗に付きまとうのか批判的に読めば何とでもけなせるわけではあるが。
しかし、藤田の才は主人公をヨーロッパの自動車レースに活躍する日本人天才ドライバーとしたことである。当方には全く未知の分野だが、スポーツや技術への職人気質を共有する幸福な人々を配することが全体にさわやかな基調を与え、更には主人公の通俗的超人性が発揮される見せ場を随所に配置できることにもなる。ドライブ技術はこの地点で剣豪小説や武侠小説の豪傑の名人技風の切れ味を獲得したのである。
コタツに入って文句なく楽しめた一冊。満腹しました。
A page-turnerという宣伝文字が裏表紙に掲げられている。図書館でこの手の垂れ流し読みペーパーバック本が在庫しているとは思ってなかったので試しに借りて読んでみた。この宣伝文句はウソではない。短いセンテンス、早い場面展開、類型的な人物像、あの手この手の追跡と逃亡の手口、国際スパイモノと地球外生命モノを取り混ぜたハナシにただ甘いだけのラブストーリーの挿入もある。分り易く読みやすい、ペーパーバック本はこうでなくっちゃという内容。まさにEasy-to-read style というものである。真面目に読めば、ご都合主義のなんちゅういいかげんなハナシではないかというくらいのものだけど、一日中英文を読んでいても疲れないナという自意識上のヘンな快感もあったりする。
日本史を茶化しのめすのは簡単だけど、この人のパロディはあくまで史実と矛盾しない範囲に収まっている。高校教師が教室で生徒のウケねらいのギャグをとばすが、授業そのものはちゃんとカリキュラムに沿って進んでいっているようなもので、逸脱しない安心感・つまりは節度のあるおふざけがこの人の作風とゆーか。何を読んでも厭きさせないで適当に楽しめる、民営放送テレビ風の現代性とも言えるだろう。
牛若丸ではなくて実は弁慶の方が源義経であったというネタが最高の出来。弁慶は不破の関で富樫にとがめられて仕方なく主人を懲殴するが、実は本気でこの馬鹿タレと殴っているというシーンはつじつまが合っていて笑える。中には坂本龍馬がタイムマシーンに乗ってやってきたサイボーグに救われるというようなしょーも無い苦し紛れネタもあるが、総じて楽しかったデス。
副タイトル「挿画入新聞『イリュストラシオン』にたどる」
イリュストラシオンは写真時代以前の写実的なエッチングによる上層階級向けの新聞だったらしい。しかし写真とは違う誇張された表情や遠近法で19世紀の人口楽園「現代のバビロン」パリを彷彿とさせる。ナポレオンIII世とオスマン男爵の時代、サムライ日本からもパリ万国博覧会に徳川政府と薩摩藩が出展し、パリが世界の中心であった時代である。細密でリアルであるけれど、どこか誇張された表現のエッチングは時代の楽天的科学万能への子供っぽい昂揚が乗り移っている思いがある。
小倉は若い都立大の助教授で、アラン・コルバンの引用もあるものの、歴史・社会学の徒ではなく18世紀文学の専門家であるらしい。「イリュストラシオン」の記事そっちのけでルソーやバルザックやゾラの作品よりパリの光景を取り出して、時空のかなたに遊び入っているのである。文学という人口楽園に棲息する輩である。
前半は市場・裁判・刑務所といった闇の光景、後半は公園・温室・花壇という光の情景で構成されている。「庭の記号学」と称する章にはまったく「イリュストラシオン」の絵は使用されていない。どことなく以前書いた独立した論考を持ってきた感じである。多分このあたりが著者の畑(Champ de bataille)なんだろう。
名の知れた剣豪達の技量に関する逸話を語る講釈集。いつだって剣の達人の技術的ブレークスルーを果たす瞬間のハナシは面白いが、紋切り型の文体には辟易させられる。『伝えられる正史との相違、5年。』という風な弁士風体言止で終わるハナシはなんとなく気恥ずかしい。良くも悪くも通俗性という枠内でのハナシである。
OEDを編んだミラー博士とその協力者(検索文例提供者)のアメリカ陸軍退役軍医の伝記的物語。大学に進めなかったミラー博士は苦学の末、オックスフォード大学に迎えられOEDの作成の功によりSirに序せられる。文例検索のヴォランティア募集に応募した寄稿者マイナー博士は実は精神病棟に隔離されている殺人犯であるが、OEDの編集に協力することに幽閉された半生を捧げた。
重厚なアカデミズムとロンドンの下町で起こる猟奇殺人の交錯。いかにも何かしら19世紀イギリスの物語という雰囲気である。単なる伝記物語ではあるけれど、素材のフライデー的フォーカスが興味を引きアメリカではベストセラーであったそう。
後書きに下訳者の名前も挙げてあるというのは良心的な翻訳者の証であろうけど、その割にはいかにもの翻訳日本語口調である。代名詞や関係代名詞の扱いがごつごつした印象を与える。「かつてあれほど前途有望であったこの若い男の凋落ぶりについて語った」とか。そんな文章が日本語で書き下ろされるわけは無い。翻訳本だからゆるされる日本語である。確かに、関係代名詞が透けて見えるような翻訳口調が日本語そのものの仕掛けを豊かにしたとも言えるのかもしれないけれど。
また、Doctorをいつも博士と訳すのは時として誤訳になる。でも敬称としてのDoctorは「先生」としか訳しようはないけど、文章中にこの訳語はムリだもんなぁ。私なら「・・氏」くらいにしておくが。
突撃型フリーカメラマン不肖宮嶋が空爆可のセルビア・コソボに潜入し(まあ、別にもぐりで行ったわけではない。ちゃんとプレスの身分証明書もある)身体を張ってNATOの「誤爆」現場等の生々しい写真を撮って来る自己顕示型ドキュメントである。軽薄体を前面に出したよく喋るカメラマン。カメラマンなら自分は黙って写真で語らんかぁ!といいたくなるような饒舌。しかしまあ、大新聞・テレビの恵まれたジャーナリストを仮名にせずこき下ろしてあったりと、けれんみの無い、別に深く考えることもない文章は、戦場のドキュメントとすればさわやかといえないこともない。まあ、それはそれで懸命に仕事はしてるんだろう。
しかし、と私は時代の変化を感じてしまうのである。かつてのベトナム戦争では開高健の従軍記や朝日新聞近藤某の、いわば真面目で格調高いジャーナリストのドキュメントが出版され、文庫本にもなってベトナムモノという文学ジャンルにさえなったのだが。現代のユーゴ紛争従軍ジャーナリズムからは、この手のテレビ型視覚表現志向ギャグ多用言文一致文しかでてこないのかね。
東京外語時代にマケドニアに標的を定め、ロシア語でメシを食いながらセルビア・マケドニアに留学・研究逗留、まあ一応現在は一橋社会学部教授であるらしい。中身は留学滞在中の見聞と大学研究室関係のウラ話、特に方言地図作成のための現地調査の話。かなり自己回想的雑文である。文型大学教授として非常に良心的な冗談がある。「企業の皆さん、言語地理学出身者も体育会系同様役に立ちますよ。」
マケドニア語の語彙の地方分布についての実例も挿入されているがそこまで付き合うつもりはありません。マケドニアは鄙びたヨーロッパの典型的な農業牧畜国の様相で、人懐っこい農村的客ずきの好人物に満ちている。ギリシャ・トルコ・ブルガリア・マケドニアの国境が重なっているあたりの地図をみていると何やらのどかに茫洋として、少し上方の紛争の生々しさとは全く釣合わない。交錯するバルカンの吸引力。
サラエボとザグレブに行ってきた。
戦禍の残るサラエボからザグレブに入ると、もうまるで「普通の」見慣れたヨーロッパの都市である。イスラムからキリスト教国へということでもある。そのサラエボにしてもムスリム・クロアチア連合の領域下しか滞在しなかったのだ。
セルビア人はこの通りの建物から通行人を狙撃した。セルビア人地区立ち寄りは慎重に。明確な政治意識はないものの、知らないうちに「西欧メディア」よりの感覚になっている。
山崎の報告はクロアチア内戦勃発以降の戦時下のベオグラードで著者が会話の中で聴き取った覚書である。女性が多いが各職業・年齢層にわたっている。
聞こえてくる声を総合する:
1)戦争以前は民族間の対立はなく、各民族間の婚姻も普通に行われていた。今民族をいうのは悪しき政治的意図である。
2)セルビア人は宗教的には寛容で、大きな祭日以外には教会に通うということはなかった。だから宗教的対立はありえない。
3)クロアチア・スロベニアの独立政策はクロアチア地域内に歴史的経緯で居住しているセルビア人を無視し難民化させるだけである。
4)ナチスの遺産のようなクロアチアの政策がこの事変の元凶である。
もちろんセルビア側からの報告ということを間引いて聞かねばならない。著者が自分のコメントを挟まず、直接聞き取った声だけを再現しようとしている姿勢はニュートラルであろうとする努力であろう。その限りにおいて、ごく近くの視点からの真実であると思える。
そうだったのか。あの親切な人々が狂信的ウスタシャの影でもあったのか。
現地に行ったところで旅行者には何も見えはしない。返って私的に遭遇した個々の事例を拡大し、「アソコはアレだ。自分で見たのだから」と総括してしまう観念の絶対主義に陥る。だから旅行に行った後では多量に読まねばならないのだ。
ユーゴスラヴィア史専攻者達による中世から現代ボスニア・ヘルツェゴビナに至るまでの通史。原著の発行は1994.4、ボスニア紛争の通時的コンテキストからの解釈が主眼。著者達が先ず指摘するのは「世界の火薬庫」という印象はごく皮相なもので、中世・近世を通じて民族・宗教的対立が原因でこの地域で紛争が起きたことは無いという史的事実である。以降中世・オスマントルコ領・ハンガリー・オーストリア、セルビア人王国・クロアチア独立国・社会主義チトー体制とのべていき1994年現在の状況を報告する。
セルビア・ミロシェビッチの台頭からボスニア紛争が説き起こされ、1994年現在の西側学者の目では明らかにセルビアの執拗な大セルビア主義による武力行使がこの紛争の主因の第一との印象。サラエボを武力包囲し、ホリディ・インの最上階から無差別狙撃をするセルビア人武装勢力という構図は説明不用で通用するイメージである。
巻末で訳者佐原の「訳者という役割からは逸脱するが、」という解説があり、ボスニア紛争現在のジャーナリスティックな記述は退屈で陳腐と評し、原著者達の「ボスニア政府は紛争当事国の中で唯一多民族国家を目標とした政体である」という見解は言い過ぎであると述べている。
しかし、それが地理的歴史的必然ということでなのなら、一握りの右翼民族主義者の存在がどうして、現在に「喉を掻き切り、目玉を抉り出す」ような残虐行為も頻発した全面紛争にまで至るのか理解できない。ボスニア紛争は依然よくわからない遠い世界のことである。
美貌の女性弁護士が才覚で次第に頭角を現していく前半がリーガルサスペンスのノリで楽しかった。Bail, plea bargain, subpoenaとか法律用語も覚えられ一挙両得、しばらくやめられない。しかし、後半は大統領候補上院議員と不義密通の末子供産み、ロックスターにモンテカルロに招待され、マフィアの親分の顧問弁護士兼情婦になり云々と、まあ適当にやってくれと思っていたら、案の定尻切れトンボ風この辺で終わっとこう的ふっきれない幕になる。ちょっといい加減だよ!というくらいの話に語り口の読みやすさでのっけてしまうのがこの人の手口か。
サラエボに行くと決めた時、地雷や紛争、あるいは交通の不便というような物理的困難への躊躇ではなく、他人の悲劇を楽しむというようなやましさからくる心理的抵抗の方が大きかった。しかし、実のところ紛争地に降り立つという身の引き締まるような昂揚を密かに飼っていたことも告白すべきだろう。
このペーパーバック本は軍事ジャーナリストという肩書きの著者が、体験してきた戦場紀行である。ある意味では「地球の歩き方」風の究極のHow-to型旅行案内ともいえる。いかにして戦場にもぐりこむかということが記述の主眼に見えるからだ。単独長期滞在者が情報を交換し、ついでに自慢話に花が咲く光景が目に浮かぶ。ただでさえ事情のわからない土地への旅行は特異な体験だ。紛争地への旅行となれば尚更である。語ることで自分の体験が次第に整理され、記憶の中で滑らかに物語化が進んでいく。著者が享楽的殺人癖があるという訳ではなさそうだ。それはやはり果てしなく繰り返される毎日のルーチンから子供の頃にあった未知への昂揚を求めて旅立つ究極の海外旅行という枠内のことなんだろう。
Predrag Matvejevitch "le monde
邦訳タイトルの時事際物的響きとは無関係な、真に文学的エッセィである。巻末の解説によると原著者はちゃちなジャーナリストなんかではなくて、コレジュ・ド・フランスにも講座をもっている日本では知られていないクロアチア語・ロシア語・フランス語で書くモスタル生まれの碩学、日本語訳著書はこの訳者による「地中海 - ある海の詩的考察」があるだけだそう。事実と回想とが入り組むエッセイ集で、歴史・哲学・政治にわたる発言、物故した「中欧」の先人・友人へのオマージュ、なまなましいボスニア紀行、押さえた清明さがある地中海への詩的論考等、思索家/批評家/詩人の顔が交錯する。つまり本格的文学者の文章というわけでジャーナリスティックな内容を予期していた当方としては最初はちょっとつらかった。しかし、読み進むうち、確かで信頼できる精神がつむぐ文章は何回目かのP.D.心的危機状態にある妄弱な精神に思いがけない支えを与えてくれた。今ぼくに必要なのは確かな、信頼できる精神である。
それとは別に文章を書く力を感じさせる印象的なエッセイの最後を引用する。
『帰り道、私たちを空港に送っていく装甲車の側面に機銃掃射が当たった。私はときどきここが戦場だということを忘れていた。サラエヴォの人々が経験していた悲劇が戦争以上のものだったからだ。私はふたたび国連保護軍のロシア製イリューシンに乗った。体の芯まで寒かった。心は悲しみで満ちていた。私は読者に何の解決策も示すことはできない。何日ものあいだ、私は一行も書けなかった。』(サラエヴォ-千一夜後)
『それは、文学が遊びや瀟洒以上奢イ以上のものとなりうることを感じた、私の生涯において稀有の経験であった。』(モスタル-彼らは橋を落とした)
訳者はそういった文章の内包する力に感応できる感性を持つことは間違いない。
月氏は中国北方に居住していた遊牧民国家であったが、紀元100年ころ匈奴に敗れアフガニスタンからイランに至るガンダーラを含む地帯に移動する。わずかに天山山脈あたりに逃れた一派もありこれを中国は小月氏国と呼び、前者は大月氏国と称される事となる。そして玄宗皇帝が匈奴を討つため連衡しようとして派遣した張騫がこの大月氏国にまで達する。これが頭の中の左向きの矢印。一方タラス川まで進出したアレクサンダー大王の旗下のギリシャ系兵士は土着してバクトリア国を営み、メナンドロス王が仏教僧と出会う。大月氏はバクトリアを滅ぼし結果としてヘレニズムと出会うこととなる。これが左向きの矢印である。そして大月氏国の諸侯の一族がガンダーラを中心とするクシャナ朝を興して繁栄する。その4代目の王がカニシュカである。「カニシカ王」という響きは記憶の古層から立ち昇ってくるZ軸方向の矢印となる。
こうした矢印が大月氏という古代民族名の上で交錯し、中央アジアの茫洋とした風土に漂っている。
実をいうと小谷はそんなに簡単には書いていない。月氏は元から中央アジアに居住していたスキタイ系民族であり、中国東北に進出してきたとする。大月氏は大夏を滅ぼし、すでに滅亡していたバクトリアを版図に収めたのであり、クシャナ朝は大月氏に服属した土着の民族であるようだ。でも、当方には別にその辺の細かいことはどうでもいい。ただ茫洋とした古代中央アジアの諸民族が東西の回廊を駆け巡る興亡のイメージの中でたゆとおっていたいだけなのだ。
別にアカデミックな論考ではなくて、タリバン政権がカブールを落とした時期に中央アジアの諸遺跡を見学しにいった旅行記や通訳の美女の写真とかもある読みやすい本。富山大学人文学部教授ガンダーラ仏教美術・東西交流史専攻。いい職業だなあ、と単純に思った。
古墳に埋葬されていた女性の服装の再現図を見ていて、吹田の人類学博物館で展示されていた中央アジアの多分キルギスの女性の結婚衣裳、三角帽子の何か宇宙的なイメージを思い出した。
この人はこういう小説を書いていたんだなあ。まあ達者な話口だと思うが、何かこの人に期待していたイメージとは違う気もする。あまりにも「普通の」雑誌掲載用小説風にまとまってるというか。この小説集の白眉はなんといおうと2ページのあとがきだ。
『読み返してみると「なんと自分はなさけない性格だろう」ということに気がついた。何のことはない、ぼくは死にたがっていたのだった。これは、ぼくだけではなくぼくと同世代の男たちは、みな同じ願望があるのではないだろうか。』
『自立する孤独が、死の誘惑を呼ぶ。男たちは、一ミリさきの死の誘惑と対峙し、手なずけ、死とじゃれつきながら恋愛を夢想するのではないだろうか。』
50歳を過ぎると「死とじゃれつきながら恋愛を夢想する」、うん、それは本当だ。
第一巻を読んだ記録を検索すると5年前のことだった。ということで前段は忘却しているが、この人の作はどこを切り取ってもそれなりに楽しめる。中国古典直引きの見慣れない漢字を散りばめているのに日本語自体は平易に流れていく。流れに漢文読み下しの歯切れのよいリズムが映える。読んでいるうちに前段では孫子の門に学んだんだったかな、というようなかすかな記憶が再生する。中国古典の史実が、永い年月のうちに語り伝えられ、脚色されていき、やがて京劇の役者が見栄を切る時のような鮮やかさで名場面として定着していく。そういう胸のすく鮮やかな場面を今度は平易だが高雅さを失わない日本語が語っていく。読むことの快感である。かくてまたウチの読書禄の宮城谷の項が増えていき、いつのまにか最多となってしまっているのである。
幕末の老中水野忠邦の幼少の頃の学友であった田口喜行の伝記。といっても別に史実に残っているビッグネームではない。作者によれば勘定奉行を15日だけ務めて罷免された最短在職記録を持っている人だそうである。無官の幕臣であったが、出羽国尾花沢天領の代官となり善政に勤め、密かな水野忠邦の引きで長崎奉行そして勘定奉行に取り立てられる。日本史的規模で活躍した人ではない。小説としてはいかにも地味だけど、なかなか詳しい取材が入っているようで、比較的真面目に職を遂行した一幕臣の伝記として資料的な興味でも十分楽しめた。代官の石高とか陣屋の配下の数であるとか。他にこの作者の伝記小説として大久保長安・織田遊楽斎・中岡慎太郎のほか御金改め役後藤三右衛門というのもあるそうだ。大スターをわざと避けている風があり、面白そう。次も読もう。
永山は私より一歳だけ年少である。東北から集団就職で東京に出てきた永山と当方を同列に見るわけにはゆかないが、それでも永山則夫はぼくであるという声は常に響いて来る。『偏在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これがおれたちの時代だ』と東大生の大江健三郎は言った。「偏在する犯罪の機会に見張られながら」ぼく達は昭和43年の新宿の深夜喫茶で夜を明かす。もはや学生ではなく、職業もない、鬱屈したエネルギーが町の暗さの中に噴出する突破口を窺っている昭和43年家出の夏。という風にこじつければ永山との接点はある。実際にはぼくは大江でも永山でもなく、どうしようもない人生をただ永らえるのだけれども。
佐木隆三はこれは実名を使用した小説であるといっている。膨大な裁判資料(検事訴追状・弁護士弁論・証言・調書・判決文)とわずかな新聞記事、同様に著者が全く前にでない乾いた経過報告からなる「ドキュメント」としかいいようのない本である。
永山則夫は事実である。何らの脚色をも排し、事実をして語らしめる、佐木だから取り得立場といえる。それでもぼく達は示される資料の中に封じ込められている、確かに自分の通過した昭和40年代の一地点を感じることが出来る。永山則夫は確かにぼくのあり得たひとつの形である。
以降永山の事実は死刑廃止論と文芸家協会加入拒否騒動を引き起こすが、今はそこに踏み込む気力がない。佐木は死刑廃止論議の基礎資料ともなるようにとの意図も後書きであかしているのだけど。
例によって逃亡と追跡のドラマである。スペイン、バスク独立運動の闘士・テロリスト達と一切外部との接触を断ち、最も厳しい戒律を守っているシトー女子修道院の修道女4名とが逃げ、フランコ直系の冷酷な大佐が追いかける。そして内戦の後遺症やバスク・カタローニア独立運動が絡まり、何と言うことかあの戒律厳しい尼サンが4名とも本当に絡んでしまい、逃亡過程ではしたなくも絡んでいく、それぞれの尼さんの波乱万丈の過去、例えばイタリアの巨大マフイアの首領の娘であったりとゆーのが次第に明らかになっていくのがタイトルの所以らしい。
最後に死刑になるテロリストを愛した尼サンが、都合よく政治をも動かす大富豪の娘であるという運びになり、警吏を全員買収してテロリストを救いめでたし、めでたしとなる。こういうご都合主義にこちらも大いに絡みたくはなるのだか、ま、いいか。
<悲劇にして純愛物語にして本格推理小説>とは作者の弁。ちらりと内容を物色した時の印象は学徒出陣だとか徴兵検査とかの文字があって、おじいちゃん作家の戦時懐旧物語かと思った。でも作者は物語の発端昭和20年東京大空襲時点で1歳ということだ。それにしては戦時中の東京の鬱屈した大学生になりきっている。擬古文趣味というか。3つの小説的現在を重ね合わせるなかなか凝った仕掛け。50年前の事件を推理するという、見方によれば閉空間の中の完全犯罪ではなく、過去の時間に密閉された事件を解くという趣向も本格推理の完全犯罪ものと言えなくもない。ただ、発端の事件が明らかになると、殺人動機の唐突さが目立つ。ま、異色の推理小説とでもしておこう。
著者はセルビア人でザグレブ大歴史学教授のセルビア人。クロアチア・セルビア両民族のアイデンティティ・関係史を扱った、1991年以前の論文集ということを考えると予言的な書物。しかし、当方のローカルな問題(会社・家)に致命的に蝕まれている現在時間からはあまりに遠い内容となってしまった。内容を走り読みしたのみ。単に資料としてここに記しておく。
フィラデルフィアのマフィアのボスに仕組まれて巧妙に殺人に加担させられた配管工が、アメリカ証人保護プログラム下で変名で生活し法廷で証言するノンフィクション。マフィアの実体、証言する代わりに減刑を認める司法取引、巧妙な心理的恫喝で証人を混乱させマフィアを無罪としてしまう被告側弁護士、法廷での印象に左右される陪審員制度。全く違う人物としての生活を保障する証人保護プログラム等アメリカ社会の1断面がくっきりと記されている。この配管工は最後に法廷でマフィアに勝つわけだが、このケースの背後にある、勝たなかった、したがって本にもならないケースの圧倒的な多さに思い及び暗澹とする。
「パスティシュ文学の第一人者となる」との作者紹介が記されているが、遊び小説というべきだろう。日本語遊び・小説遊び。読む遊び。「日本語の乱れ」という小説は二人の人物が名前と職業を持って登場するが、ただ聴取者の投書を読んで感想を述べるというだけのスジである。投書にかかれている「日本語の乱れ」方を楽しみ、それへの憤懣を楽しむ。
主人公(どっちがソレかしらないけど)がいう「老人になるとソレしか楽しみが無くなるんだろうな」という感想はなかなかスルドい。
当方も身の回りで聞く日本語が気になって仕方が無い。本当はここに実例を挙げておいたのだが、最近「人のことをあげつらうが、自分のことはどうなんだ?」という匿名のコメントをいただいた。成る程、老人人口が増えると「日本語の乱れ」方を楽しんでいる老人にぶつくさいって楽しむという老人も出てくる。はいはい、消去、消去。
で、各種の小説遊びがあり、昔井上ひさしが多用したような駄洒落風もあり、最後に冒頭の「日本語の乱れ」を教材にして、どう生徒に教えるかという「学習の手引き」がある。抱腹絶倒でもないが、とにかく何か笑いたい心境だったのでちょっと笑ってみた。
著者は一関で「日本で一番音がいい」ジャズ喫茶を営み、オーディオ誌への寄稿、地元での興行も手がけてきた。その道の有名人である。実は最近ちょっと手がけだした「クラシック」ジャズのヒントを得ようと読み始めたが内容はその道のヒトだけが喜ぶオーディオオタク談義といったところで、殆ど当方の感知しない場所に突き抜けていった。コードを一ミリ動かすだけで「音が違う」と、一晩かかってセッティングをやり直すような職人芸談の世界。その割には最後まで目を通せるくらいには読みやすいのは雑誌連載記事の所以か。好きなことをして生きていることを楽しんでいる人を眺めるのは気も軽いことである。
そういえば、かつて当方も幾度かはジャズ喫茶に通ったことがある。薄暗い店内に厚ぼったい音とたばこの煙がよどみ、生暖かい羊水中浮遊感覚でただたゆとおっているという一種のアヘン窟であった。ジャズには何かそのような本能に直結する悦楽がある。
とうとうダニエルスティール「さん」のベストセラー「中」の作品にも手を出してしまった。以前日本語で読んだ作品よりはマシな内容だった。ターゲットはしっかりとアメリカ中流家庭の主婦に向けられて寸分の狂いも無い。
一瞬の事故が幸せな夫婦子二人の家庭を破壊し、夫の浮気離婚、隣のおっさんとの不倫と再婚、果ては平凡に見えた主人公の過去に生じた近親相姦のトロウマまで出て、平凡な生活というものがいかに劇的な破壊力の力の均衡で支えられているのかが活写されている、ように見える。物語の最初の事故でコーマに陥った子供が400ページを乗り越えて生還し、「Mama」と呼びかける場面は感動的風である。何も読むものが無いときには読んでもいい作品。英語難易度スティブン・キングの下、シドニー・シャルダンの上。
異色の幕末外交史小説。初代英国公使オールコック側の伝記の形態を採り、同僚のアメリカ人ハリス、手ごわい交渉相手の外国奉行水野忠徳その他との為替レート制定のいきさつを描く。この有名なタウンゼント・ハリス公使が山師に近く、日本の金貨小判を為替投機の対象として私利に走り、結果幕府側の財政悪化を招く。それがやがで明治維新につながることになる。そんな話は聞いたことがなかったが、著者が調べていって突き止めた事実らしい。いままで誰も書かなかった史実というところ。手堅くはあるが、華やかさのない地味な文体。だが、結構面白い。
なんとも地味な主人公。血湧き肉踊る戦国小説の弾みがあるわけでもなく、かといって名人名工の驚異的な芸談があるわけでもない。なんとも小市民的で歯切れの悪い人物である。というわけで感動に満ちた物語ではあり得ない。もっともそれに興味を引かれて読み出すわけだが。
信長の11番目の弟として生まれた茂益(有楽斎)は武人より文人としての自分の資質を自覚し、意識して下克上戦乱の世を逃げ切り、織田姓で唯一明治まで存続した家系の始祖となる。
織田有楽斎を書くということは信長・秀吉・家康・淀君等の戦国の激しい個性を傍観者の目から批判するということになるはずである。
現代からすればいい加減な強者の驕りという暴力が角付き合わせる中世だった。弱者が生き延びるには強者におもねる以外に無い世界。織田有楽斎は信長の弟という家系と権力から常に逃げ出すという姿勢で対立勢力の調停者としての役割を果たし生き延びた。それが我々後世の見物人が教訓とするわけだが、信長・秀吉型のどうしょうもない狂気の力の暴力に対処する方法が現代でも現実に必要であるとは実は思っていなかったのだ。
現在の経済の病は次第に中世型の粗野な暴力を容認していく。
労務訴訟専門の弁護士(複数)が執筆した見開き1ページの質問と回答を纏めた参照しやすいハンドブック。労働基準法を中心に法がどうのように労使契約に効力を持つのかを説明。
いまさらながら労基法は常に労働者側の最低限の権利を保護する主旨で制定・運営されているかが確認できる。
法律はそうなっている。しかし、現実には東京で調査した6割の事業所が労基法に抵触しているという記述があるように、法の場で決着をつけることが一般に行われているとは思えない。会社が労基法違反・是正の勧告を受けても、それが法が期待するように直接な労働者個人の待遇向上になるのかは疑問である。多くの場合、個人が疲れ果ててうやむやになるのではないだろうか。
東京管理職ユニオン書記長。管理職でも一人でも加盟できる労働組合を結成した威勢のいいおじさんのアジ演説風労働争議の進め方。労働争議は結局心理戦であるそうだ。ビラを配り、会社の前で騒ぐ。「『いったいどういうつもりなのかはっきりしろ!』とバンバン騒ぐ」というのが会社と闘うことの内容のようだ。
うむ。それは違うのではないか?それでは会社が行う恫喝に対しただ恫喝によって対処しようとするだけだ。一般に雇用者は弱いのでこの構図も許されるのかもしれないが、今にも倒産しそうな零細企業の社長に向かって、「ビビらしたら」勝ちというような争議は気分が悪い。本当はそんな場合ではないのかもしれないが、そういう場には生理的についていけないのだ。我々が構成している社会での人と人との関係は、取るか取られるかというジャングル法だけしかないとでもいうのか?
冤罪で女子刑務所に入れられ、脱出して復讐する前半と、ヨーロッパを舞台に華麗な泥棒稼業を続ける後半は明らかに2つの違う物語である。しかしどこを切っても語り口は同じなので別に読者も気にしないとは思う。復讐の手口、泥棒・詐欺の華麗な手口を次々に案出して面白がる30分連続ドラマ風短編つなぎ合わせ、どこから読んでもそれなりに面白く作ってある金太郎飴風長編。しかし帽子の中からウサギを取り出しているのを見てるような各トリックはあまりにうそ臭い。厳密な推理小説では毛頭ない。素直に見世物として楽しむというような気楽な前提で読む本だろう。
メカニック志向・コックピット願望・宇宙空間の空中戦が満載のオールドスタイルのSFの系統。敵が生物なのか機械なのか、善なのか悪なのかもわからないというような設定が現代風。激しく戦闘しているその世界は、しかし地上の日常生活からは新聞の2面の小さな記事にしかすぎないというような結構面白い指摘もあるが、主人公の性格があいまい、世界観がそれなりに類型的、やたらと哲学風な議論をしたがる会話、等々もうひとつノレなかった。力作かもしれないがこちらの心理状態は一向に覚醒しない。興奮できないSFは読んでも意味がない。
これは「射鵬英雄伝」から始まる元朝初頭の英雄嘆の後継者達の話。太極拳を創始した張三豊のエピソードからはじまる。荒唐無稽風奇想天外の見知った金庸的世界。いつも怪しい美少女教祖を供給している「魔教」が今回ははっきりと「明教」(マニ教)として紹介されている。うむ。なるほどそーだったのか。なるほど怪しくてエロチックで秘密で耽美的夜の世界であるなぁ。この魔教というのが、当初は常に殺人等の悪事を事としているのだが、最後は主人公が教祖に推挙されなんとなく善を実践する組織風になるのが、魔笛の夜の女王あるいはザラストロ的回帰を思わせる。ザラストロはゾロアスターに他ならず、マニ教の親類である故、あるいはこの魔教のイメージは金庸における魔笛の影響である、ということもできるだろう。そういえば全編主人公が試練を乗り越え最後に予定調和的に全世界の力を主催するスーパーマンとなる構図も魔笛風正統ビルディングス・ロマンを踏襲しているなぁ。
美術解剖学専攻だそうで、東京芸大で美術史を学んだ後東大医学部の養老教室で助手をしている(出版当時)とある。まあ、助手というより評論家というのが本業なんだろう。
ところで当方が美術評論をよまなくなってから久しい。澁澤龍雄の案内する異端美術や高階秀爾の正統西欧美術史関係はすぐ思い出す。
ここで布施が展開するのは泰西名画案内風の記述ではない。写真であり、マンガであり、舞踏やファッションショーを含む舞台あるいは野外のパフォーマンスであったりする。
もちろん、パーフォーマンスという言葉が美術雑誌に登場するのは1960年代で僕がたまに美術手帖誌を買っていた時期と重なりはするのだが。
古典的視覚美術内での論はたのしい。モネの睡蓮の技法を大脳解剖学的(?)に分析し、網膜に映っている色彩感知細胞の感覚の直感的なコピーであるとするかなり我田引水的推論や、ベラスケス「侍女達」を今度は王女を見つめる侍女の視点で描きなおした福田美蘭の作品の紹介等。くだんのベラスケスは堀田善衛が『視線のドラマ』であると紹介していた記憶があるが、本当はミシェル・フーコーの言ったことらしい。
視覚のドラマを越えて現在のキーワードは肉体全体のドラマということになるのか。
この評論集を貫くキーワードは肉体である。もっと言えば絵画が視覚を通じて脳に送り込む感覚的刺激作用が美術だとすれば、現代のアートは直接的な肉体感覚を起動させようとしている風である。
もちろん伝達するメディアは視覚である。視覚を手段とするが、アニメ「虹の豚」から得られる飛行感覚、前述の福田の作品の騙し絵的な脳への刺激、荒木経惟の写真や山海塾の舞台の肉体の表現、蔡国強の野外で行われる爆発パーフォーマンスのが喚起する一瞬の感動感、等等紹介し論じられるイベントが脳に送り込む情報は何か即座に肉体的な感覚フイードバックさせ、自分達の肉体に生じた感覚として最体験させるように思える。
また、こういった肉体の復権(とは著者は言ってないが)と同時に、写真・映像・CGに顕著な現実とコピー、コピーの現実化、そして逆説的に肉体の消滅も同時に論じられているのがレトリックとしても現象としても面白い。
以前読んだ「マムルーク」の著者の近著。シリアの小さな港町ジャバラでフィールドワークをしていてこの町に葬られている10世紀のイスラムの聖者イブラーヒームを知る。中央アジア・ブハラ出身のこの聖者の改心は仏陀の出家説話に近似し、ブハラが仏教からイスラム教化されていく年代に符合している。王侯の身分を捨て一切の奢侈を排した禁欲家であるが、日々の糧を労働に拠って得ているところがなんかよくわからんがイスラム的であるような。いろいろこの聖者の説話が紹介されているが、殆ど単純な貧困・禁欲を説くのが主眼でそんなに凝ったものはない。しかし、これがイスラム圏では感動を呼ぶというのが文化の違いを思わせる。このような純朴な感受性の国民に支えられているところが現代唯一力をもった宗教である所以だと思う。しかし、マイナーな分野のマイナーな本だったなぁ。中東・イスラムを専攻している人でもないと読まない本だろうなぁ。
今年は府立図書館の英語のペーパーバックスを毎回借読している。
最初にSideny Shaldonがすらすら読めたので、何時の間にか「英語の本が読める」ようになったと勘違いして以来病み付き状態になっている。
しかし、そうは甘くはない。
シャルダンは例外的に読みやすい作家だった。センテンスの短さ、情景描写の簡潔性、ストーリーの簡明性の効果だろう。
次に同じように多量に並んでいるスティーブン・キングの本を借りてきた。しかし、これはどうしょうも無かった。実際は自然な英語なんだろうけど、もったいぶった気取った言い回しの長い文章が多く意味をとれないまま20ページほど進んで挫折した。
次にダニエル・スティール「さん」を試してみた。多少シャルダンよりはセンテンスが長いが、内容が簡明なので楽しく読めた。
これで2勝一敗。
次、ル・カレのスパイモノ。007シリーズの大衆性のイメージがあり、いけるだろうを思ってたが、実際はとんでもなく難解だった。国際政治情勢が、というわけではなくて、ぐだぐだ理屈ばかり書き連ねてあるようなイギリス英語のせいだと思う。
2勝2敗。
次、スコット・トゥロー"Pleading guilty"。
読み始めてみるとル・カレに手が出なかった反動で、なんとか読めるような感じである。翻訳は一度読んでいるようだけど、内容を思い出せない。しかし1週間読んでもリズムに乗れない。一つはヴォキャブラリーが追いつかない。たとえばシャルダン本では未知の単語があっても読み飛ばして十分意味が追えたのに、トゥロー本では単語を検証しないと言い回しの面白さがわからない。そしてかなりの饒舌な言い回しが多く、それも独特の文法破りの喋り口調である。これは地の文が主人公の吹き込んだテープの再現という想定になっていることからくるところもある。一文毎に辞書を引くようでは読書にはならない。
そこで饒舌な語りは流してしまって、ストーリーの骨格だけを追うような読書形態になってしまう。最初に「読める」と感じたのはストーリーが追えるという感触だった。しかし、しかし、地の文の饒舌のスタイルがこの小説のかなりの魅力的なくすぐりになっているのは否めない。読み進みはするけれど、なにかこのままいくとただ「読んだ」という記録をするためだけの読書になると反省の念が湧く。実をいえば10年くらい前にフランス語の作品、例えば英語からの仏訳版「アスティカ*」や明姫に借りたクンデラの「存在の耐えがたき軽さ」、ウンベルト・エコー「バラの名前」仏訳なんかを読んだ。いずれもストーリを補足したという程度で読み進むリズムには乗っていなかった。読書の楽しみではなかった。確かに自分を磨く動機としての見得は必要だ。しかし、今別にそんなものにこだわっても仕方がない。
ということでスコット・トゥロ−は三振ではないが、アウトになった。
2勝3敗、勝率5割をきってしまう。
*ストラスブールの古本屋で買って、一年ほどかかって読んだ覚えがある。緑橋の道路沿いの中華店で喰いながら読んでいた光景を思い出すので1990年くらいだろう。原本はその後明姫に貸した切り戻ってこなかった。いまインターネットで調べるとこの翻訳底本は
"Aztec" Gary Jennings であるようだ。
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さて、そういうわけで悔しさ交じりの口直しでいつものシャルダン本を読む。単純な内容に畳み込むような簡潔な語り口。スピード感と追跡と謎解きのサスペンス。毎週消費するテレビの連続活劇のノリ。最後に主人公がギャングに追い詰められ絶対絶命の危機になり、ここでなぜかギャングは例によって一思いにピストルでかたをつけず素手でねちねちすることになる。読んでる方はああ、これで主人公がやられることは無いと思ってしまう。何時の間にか敵方と思っていた女が背後にまわっていてギャングを射殺する、とか、シュワルツネーガーの体のアセにドロがまとわりついて凶暴なエイリアンの赤外線感応視線から外れて助かるとか。もつれ合っているうちに主人公の後ろにパイプラインの操作ハンドルが偶然あり、危機一髪ハンドルを操作するとギャングがパイプラインに吸い込まれていく、というのが本作品のクライマックス。そうだよなぁ、そうなんだろうなぁ。
この人も「フランドルの冬」から永い。パリのT(辻邦夫)も死んだ。遠藤周作も逝って久しい。高山右近を遠藤は書いてなかったのか。そうか、加賀乙彦が高山右近を書いたのか。
信長・秀吉に仕えた勇将右近ではない。棄教せず大名の地位を捨て、前田家に拾われて25年、60歳を越した時幕府の大追放令に会い長崎、マニラへと流されその地で生を終える晩年の右近の信仰を描く。しかし、それは見事に志を貫いた信念の人であり、世俗の栄華を捨てたが流刑の地マニラで最大級の歓迎を受け、尊敬され死んでいくというのはやはり栄光の人といえる。加賀はしかし、右近の栄光を語りつつ、密かに国内に残り信仰を伝えようとしたクレメンテ神父の書簡から語り初め、その死を伝える中浦ジュリアン(天正少年使節)司祭の書簡で終わる。『中浦ジュリアンは・・長崎西坂の刑場で逆さ吊りの刑で殉教した。』と物語が閉じられる。ここに右近の栄光を例外とし、他の多くのそしてもっと悲惨で普遍である物語をも語ろうとする作者の企画がある。
今日の日記に会社・仕事・人間関係すべてがB級ホラー映画ばりの、わけのわからぬET/のっぺらぼうに侵攻されてしまったような、馴染みのない世界になった印象を書いた。もちろん一昨年来の偏在するアチラからの誘惑に囲まれているのを自覚せざるを得ない。この地点においてゆるぎない信仰を保ちつづけた人の話は、もうひとつ別の世界があるということを強く示唆する。いや、信仰ではなくてanywhere out of the world という、もうひとつ別の自殺願望かもしれないけれど。
バージョンアップの度にお金を取られ、当方には別に便利とも思えぬどうでもいいインターフェースが付き、そして基本的な処理がどこかおろそかになって上位互換性が破綻していくマイクロソフト社のVisual Basicをみかぎった。一口に言えば商業主義への抵抗といってもいい。ビル・ゲイツがDOSを必死で作っていた時はそうではなかった。コンピューターはアラジンの魔法のランプであり、ランプの魔神との対話に時を忘れる至福の自閉の箱だった。呪文はプロンプトに打ち込むシステムコマンド。初期のパソコンにはOSはなくBASICが唯一で万能の言語だった。copy conでファイルを作成し、killでファイルを消去していたのだ。太初にことばありき。
コマンドを知らなくても直感的に操作できるマッキントッシュが一世を風靡し、コンピューターの中に巣くう魔神を知る人はいなくなった。パソコンは道具に成り果て、ユーザーはプログラムを書かなくとも仕事ができるようになった。多分それは正しいパソコンのあり方なんだろう。しかし、ユーザーは何も知らなくともよいと規定するマッキントッシュはぼくの肌に合わない。そしてマッキントッシュに商業的に対抗するためだけにDOSはWindowsのオマケに成り下がる。
コンピューターのプログラムを専門に勉強したわけではないが、何かとコンピューターを使って仕事をしてきた。1984頃Commdor64を手に入れて昔覚えたBASICで遊び、更に30台後半に外国で実現した遅い学生時代のてすさびで、モトローラー6510という8ビットのCPUの命令セットをコンパイルするアセンブラをBASICで組上げたりしたのだ。たしかにぼくにとってはコンピューターは道具ではなくて、あるいは手段ではなくて、目的だったといえる。書物や音楽と同じように没頭できるもうひとつ別の宇宙がある。
昨年Perl言語を始め、パソコン黎明期の商業主義の入り込む余地のないアマチュアリズムの熱気をまた感じたのだ。元来UNIXシステム自体商業主義とは無縁の場所で発達してきたのだ。もちろん大学や企業の研究者が自分達が必要とする道具を自分達で作成するという実際的な要求が先ずあるというんだけど、しかし、本当はコンピューターが好きなだけなのだ。たとえばフリーソフトとして流通しているPerlの膨大なヘルプ文書を貫いているのは、作者Larry Wallの絶えず何か面白いことをやっているようなアマチュアリズムのノリである。面白がってやっているうちにいつのまにか十分実用になるシステムに仕上がっていき、瞬く間に世界に認知されていく。末端の当方の機械の中でも稼動し、例えばこの読書月禄の日記からの抽出と集計、作者別ソートとHTML化を自動で行うようなツールとして便利に使っている。ところが当方はLarryに一銭も支払っていないのだ。彼らはビル・ゲイツにはなるつもりはないのだ。ただ、言語の開発者としてのこの世界での賞賛が楽しいのだ。これがコンピューターの魔神に見入られた者の正しき姿である。
ところで正規表現は言語としてのPerlとは別物だけど、Perlは正規表現と一体化してしまっている。不思議なことだけど、ぼくが作るPerlによるツールは殆どが正規表現部分がメインエンジンになっている。文章処理が主体だからか。
確かに昔のコマンド・プロンプトは呪文だったかもしれない。でも現代の正規表現の記法の比ではない。しかし、なんという効果があるんだろうか。VBでファイルを操作していていいかげん頭に来てたのは、例えばフルパスからファイル名を抽出するのにもいちいちループルーチンを書いて一個一個バックスラッシュを抜いていくというような、ばかばかしいくそ真面目さだった。
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do
p= instr(Fullpass,"\")
if p=0 then exit
Fullpass=mid(Fullpass,p+1)
loop かな?
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これが正規表現+Perlでは
$Fullpass =~ s/.+\///g;
といとも簡単に目的が達せられる。、いちいち do loopを書いていた当方はコレを試してみて仕事中にもかかわらず「わぁ!」と思わず感嘆の声をあげてしまった。
この本は膨大な正規表現につての論考。教科書風に文法の仔細を解説し、実際の運用やテクニックを詳しく例示し考証していく。まともに並べられると頭から煙状態になるが、UNIXメーリングリスト口調とでもいうノリのオタク的饒舌につられて、どれどれと中身をのぞきこんでしまう。著者が暗号的正規表現式に空白と改行を入れてコメントを各行に付けた例を投稿したところLarryが同感してPerlの5.0vから /xオプションが搭載されたというような仲間の楽屋落話的な裏話もある。
まぁ、このUNIX世代はいってみれば学生気質丸出しという感じを受ける。クラブ活動的ノリがそのまま職業活動に直結している現代で一番幸福な子供達であるコンピューター世代。
オリジナルは雑誌「フランス」連載記事ということで、講話調の平易な話し言葉風文体。「ほとんどハムレット的図式なんですよ。これは。」というように。
話題は楽しかった。中世に先ず現れるラングドオックの『吟遊詩人』トルバトーレは別に吟遊していたわけではなく宮廷専属の作家・作曲家であり、実際に演奏したのはジョングラーであるとか風の中世雑学の数々。実際は仏王家の家来筋にあたるアンジュー伯系のプランタジャネット家がイギリス王家となり、シャルル大帝伝説に匹敵する系図上の伝説的箔つけをするのに採用したのがブルターニュ(ケルト系)のローカルな王であったアサー王の物語であるとか。ランスローと王と王妃の関係のトリスタン伝説にも関連させての考察。この辺も面白い主題で、勿論「愛と死」のテーマなんだけど、「(男女間の)愛」というのはこの頃の発明であるということを明記ししておこう。そして中世の真髄、ジャンヌダルクのウソとマコトを示唆し、アベラールとエロイーズに立ち返る。尊者ピェールがアベラールの論敵聖者ベルナール並びに教皇との間を仲介し、アベラールを隠遁させその死後は何かとエロイーズをかばい同情を寄せるが、尊者とか聖者とかが生々しく立ち振舞っている中世の女性の残した手紙の感性の現代性(?)に感嘆。失われたものと残っているもの・しかし中世にはすべてが共存していたのだ。
そういえば永い間中村真一郎の小説を読んでなかった。多分30年くらい前の「金の魚?」が最後だったか。「流行作家」という言い方は、もちろん活字離れの現代ではもう聞くこともない。しかし、この人のイメージは見事に「流行作家」という一種軽薄で華やかな響きがついて回る。「小説家って?なんだか、銀座あたりのバーでいつも飲んでいて、ちょっとエッチな話なんか雑誌に書いている人でしょう?」とか。とにかく、中村真一郎は軽井沢の堀辰雄から始まって、埴谷雄高等の「夜の会」のメンバーであり、戦後その「流行作家」となり数多の新劇女優連との浮名が聞こえ、福永武彦等とモスラを飛ばし、NHK「私の秘密」でパイプをくゆらし、というような「いかにも文士風」。一言でいって、この人の文章は「遊楽の記」である。男女の交情や西欧古典・平安朝文学や漢籍等貪欲なまでの遊びへの触覚。そして貴族趣味。
嘗て読んだ本にかかれていた情景をよく思い出す。例によって然る高貴な生まれの女性と同衾し初めての家なのに平気で作者使用中の歯ブラシを使うのを観察し、清潔云々という観念にとらわれているのは精神の下賎である、というような述懐があったのだ。それはそうだろう。でも本当はその然る高名な女性とそのような仲であるという顕示も同時にちゃっかりと伝わってくるしかけなのだ。当方もついでに書いておく。10年前から完全独身である当方の居宅にもたまにはそのような訪問者達があり、大半のまっとうな女性達は歯ブラシを持参してきたが、当方の使いさしの歯ブラシを勝手に使っていた向きもいた。彼女は平安朝から続いている然る典雅な家系の末裔で、助教授の肩書き付きだったなぁ。
この小説集はタイトルが示すように、いよいよ作家の「遊び」も佳境に入り、今では古希を過ぎた自分の「老い」さえ遊び尽くす様なのだ。老いの症状である記憶の脱落や現実感覚の混濁を作家の創作意欲への刺激とし、積極的に虚実の狭間を行き来し、ある種の神仙歎的境地といってもいい、なかなか爽やかな芸風になっている。そしてテーマは男女の云々を通り越して同性愛や少年愛を通過し、性というもののタナトス的原型までほのみせたりする。うむ。「老いを遊ぶ」。ま、しかしソコまで生々しいというわけではない。
老いがもたらす意識の混濁を利用しまた別の世界を見、そのように「こちら」と「あちら」を行き来することによって次第に「あちら」の方で暮らすことに慣れていく、というような文章は一種の感動をも呼び起こす。70歳を過ぎてもそれなりに「書く」ことはある。作家というのは死ぬまで作家でありつづけるものなんだ。
「倚天屠龍記」を先に読んだが、「射鵬英雄伝」から始まる3部作の2。
それにしてもよく読んだなぁ。前回の書評では魔笛型ビルディングスロマンとしての縦糸と美少女趣味の歴史的考察をしたが、もう殆ど何も言うべきことも無い。とてつもない豪傑が現れこれは適わんと思うが、更にソイツが足元にも及ばぬその師父とゆーのが現れ、しかしソイツもビビる伝説的英雄が登場し、云々という金太郎飴的格上げ格下げの連続で、流石にうんざりした。危機的状況があると必ずたまたま居合わせた某名人が背後から観察していて、暗器を飛ばして助けるという場面もステレオタイプ的大量生産される。
でもまあ、テレビシリーズ「水戸黄門」的同工異曲の予定調和的快感の到来の期待感が長編大衆小説の真髄なのかもしれない。
村田蔵六(大村益次郎)は緒方洪庵門下の蘭医だが、オランダ語の兵学書等を訳し戦略家となる。木戸考允(桂小五郎)に請われて出身地長州の軍事責任者となり、戊辰戦争を怜悧に指揮し西郷とともに明治維新の実際的実現者となる。司馬遼太郎は蔵六を決して情に棹されることのない根っからの技術者という定義で物語る。今西錦司の進化論を思わせる明治維新に輩出した個性群のなかでも異色のキャラクターである。大言壮語も政治的野心もなにもない、ただ必要だから自分が働くという明快な正に西欧的合理主義者。西郷や坂本龍馬のような英雄の劇的なポピュラリティーはどう考えても出てこない。しかし立派な仕事をする明晰な精神への敬愛は一貫し、この長編の時間を支えている。なんとも地味で、朴念仁といった人柄だが、司馬はシーボルトの娘イネとの数は少ないが同情に満ちた交情を描き、何かしら一途で稀有な愛の情感を表現するのに成功している。このイネの内面の描写がなかなか秀逸で、この何とも愛想のない男の伝記にかけがえのない色合いを添えている。司馬の伝記の作法は人を描きながら、その人が体現する時代を評論し、結局は日本という現象を常に考え視界に捉えようとする。司馬遼太郎はいつだって面白い。
それにしても、と今更のように思うのだが、明治維新を用意する人材の豊かさはどういうわけだろう。現代日本人がそういう先人の直系だとして、この落差をどう考えたらいいのか。時代が人を生み鍛えるということなのか。とすれば、さしずめ当方なども生まれる時代を選びそこなったと自分で慰める以外にはない、とでも言って置こう。
カールセーガンが「対地球外異生物コミュニケ-ション論」専攻というような学問ができる「幸福な時代に生まれ合わせた」学者であったように、A.C.クラークも20世紀科学技術の幸福な高度成長期を目撃し、科学が可能にした肯定的未来論が常に基調にある作家である。カールセーガンを思い出すのは、もっと高次な存在との邂逅をいろいろ空想させる熱が共有されるからだろう。この本の前半はそういった夢を追う科学者達が登場し、楽しげに自分達の研究分野の夢を語る。例えばマンデルブローセットのホログラフを前に果てしない幾何的宇宙にのめりこむオトナ・コドモの話。本の中に出てくるM−セットの無限拡大ではないが、パソコンのDOS画面で実現されたカラーパレットの連続差し替えによるフラクタル図形の動的(風)描画には当方も一時期のめり込んだことがある。日常の一断面から拡がるもうひとつ別の宇宙。自分ひとりだけが入り込める宇宙規模の押し入れ(←胎内回帰への日常的帰納法;-))
で、その科学者達がタイタニック号引き上げに絡んでいくのだけど、残念ながら時間切れで実はここまでしか読んでないのである。以下次回。
試食してみました。いやー、ところがこれがホントおいしい小説だったわけだよね。見かけはパソコン通信チャット語のような軽いノリの饒舌体だけど、実は古典中の古典江戸前落語のたたみかけるような語り口の伝統をそれなりの正統性でもって踏襲している、ちょうどいい湯加減に仕上がっている文体に、あんぐりと口が開くばかり。なめらかなどんどん乗っていってしまうしゃべり口で、ラジオの同世代のディスクジョッキー饒舌に「あ、そうそう、それってあるよね」なんていう仲間意識を募らせ、やたらとチューニングが自動的に合ってしまう風に小気味が良かった。といって、平易軽薄当世若者ステレオタイプ・生会話風ではなくて、読み手の脳髄内架空空間に情景のイメージをピシリと結ばせる的確な計算が施されながら、あくまでアドリブと思わせるのは実にしたたかな芸である。かと思うと「莞爾として」なんて、石原サンもびっくりの形容詞が突然出てきたりして、うむ、おじさんはすっかり感心したぞ。
主人公は36歳のジャズピアニストという設定、これがどういう加減かイギリス軍の空襲下のポツダム近辺にタイムスリップしてしまい、ナチスドイツの最後のあがきの怪しげな世界征服オカルト歌劇に巻き込まれるお話。本来ならば荒唐無稽ドタバタSFになるハナシの運びだけど、小道具の使い方が実に見事で、いちいちいちゃもんを付けるスキはなかった。当時のドイツ在住のカブレ日本人が「いやもうベルリンはたいへんなことになっております。昨日もミッテまで行ってきんですが・・・」なんていうセリフがある。うん、この御仁ならミッテというだろうなぁ、と思わずうなってしまう。My foolish heart を「私の馬鹿心」と訳してしまう感覚も実にスルドイ。ジャズの即興演奏中に思いつくアイデアを展開するような描写にもまったく無理がなく、とてもピアニストにハナシを取材しただけで、アノようないかにも本当らしい描写ができるとは到底信じられず、とすると、作者はかなりのジャズピアニストである、と結論せざるを得ず、しかし、これも芸のウチだとすると、見てきたようにウソを言う、まったくたいした小説家だよ、となってしまう。
というわけで、いろいろごった煮風食い散らし気味ではあったけど、久しぶりに満腹したなぁ。
先月同作者の「有罪答弁」のペーパーバックを読んでみたが、やたらとぐだぐだワケの分からん繰言が多いので閉口し途中で諦めた。この日本語訳を読んでも、同じような印象がある。もたもたしている。けっきょく多分に米語圏の作品独特の饒舌の面白みを狙っているこの作者の言い回しは、日本語ですっきりと表現できない要素であると思わざるを得ない。ではあるが、そこは日本語になっているありがたみで途中で放り出さず、最後のクライマックスまで読みつづけられた。結局最後の三分の一くらいから乗ってき、ようやく読書の楽しみが回帰してきたのだ。ここでは法廷の緊迫感ではなく、FBIによる囮捜査が進行する過程で明らかになっていく個々の人間関係のドラマが主要なテーマである。要するにアメリカの読者には面白くても、当方にはシチメンドクサイ分野である。それに、なんだか誰が主人公なのかくっきりとしてこない。語り手はなんの活躍もしないし、主人公風の偽弁護士も颯爽と活躍するわけでもなし、副主人公格の女性FBI捜査官もはっきりないお姐さんだし、正義の味方の地方検事も冷たい性格に書かれているし。悪党の収賄黒人裁判官がくっきり、きっぱりと描かれていて一番印象が強かったりするのだ。読者が感情移入する相手を定められないというのは小説としては弱いという気がする。
榎本は幕府派遣のオランダ留学から帰朝後海軍副総裁として最強の艦隊を率い、函館五稜郭に立てこもり最後の幕府軍の総領となる。このとき交戦した官軍の黒田清隆に請われて明治5年新政府の役人となり北海道開拓にいそしむ。その後閣僚を務め、子爵となる。なかなかかっこいい生涯である。幕府の要職にありながら新政府の高官となった才を描こうとした伝記だが、作者の筆致があまり面白くない。この人の文章には高揚するところがない。「アメリカがだめでもオランダがあるさ」というような安易なタイトルのつけ方に苦笑する。司馬遼太郎風の鋭い時代意識と弾む文章の伝記文学だけに拘泥するというものでもないが、この人の文章には何かしらふくらみや色彩の彩のような文学的陰影がない。それに同じ逸話をくどくどと繰り返すのも芸がない。素材は面白そうなのにちっとも面白くない。せっかく本をだすんだから、もちっと文章の修行をしてくれよ。
それにしても、と今更のように書いておかねばならないが、函館で「北海道共和国」総裁となった時期の榎本は34歳なのである。他の同時代者も似たようなものだった。明治維新は20台・30台の若者達が政治の主体となった稀有な時期なのだ。
第一次世界大戦(1914)より1991まで。この人のヨーロッパ通史全4巻の最終巻。比較すればこの1世紀以内に生起した事象はヨーロッパ全体史中1/4の重さがあるということになるか。前巻終了時の第一次世界大戦前夜の正に共時的というような生き生きとしたジャーナリスティックともいえる筆致は新鮮だった。今回の時代を占めているのはドイツとソビエトという二つのヨーロッパの異端分子が力を持ち肥大し崩壊して他のヨーロッパに同化していく運動である。しかし現代史はあまりに生々しく近い。時間を遡ることによって喚起される「思いを馳せる」ための距離が確保できない。いってみれば散文的歴史のようで、のめりこむ楽しみを感じることはない。スターリンはまぎれもなく当方の子供の頃の新聞で報道されていた顔である。スターリンの真実はソビエト連邦が崩壊した近年になってやっと明確になった。しかしあの時は誰も知らなかったのだ。著者によれば世界史上第一の大量殺人者としてギネスブックに公認されているそうである。スターリンによって犠牲にされた人口は実に5000万人を下ることはないという。人数からいうとヒトラーの比ではない。しかもその実態は今も全てが明らかになっているとは言いがたい。戦争とホロコースト。そしてその後始末。20世紀がしたことのすべて。
ヨーロッパ通史を語り終えた1992年2月14日の朝をノーマン・ディヴィスは語っている。新聞が世界各地の出来事を報道している。「これからの歴史家は、このように毎日飛び交っている情報の中からさまざまなものを読み取っていかなければならない。」いままで見てきたエウローペーの歩みを鳥瞰し、どこに向かうのかを見定めようとする。「うまくいけば、物心両面の障害は、現代人の記憶にあるどんな時代とくらべてもひどくはないだろう。」とそして、ちょっと気取った結語「エウローペーは進む。はたはたと風に衣をなびかせて。」はいはい。ちょっとガラではなく気恥ずかしいカンジですが、まあいいでしょう。ごくろうさまでした。
ユダヤ人の通史がそのまま西欧世界の通史に重なるわけではないが、膨大なページを読み終えてあらためて思うのは西欧が始まるより先にユダヤ人はすでに歴史を書いていたし、現在に至ってもホロコーストで噴出し、イスラエルで煙を噴いている。ユダヤ人は常にそこに居た。古代のシナイ半島で覇を競った全ての民族はとっくの昔に絶えてしまったが、ユダヤ人だけは相変わらず存在しつづけたのである。常にユダヤとして存在することがユダヤ人であるということの意味なのである。「ユダヤ人は自分たちが特別な民であることに疑義を抱かず、熱情的に信じてきた。そしてそれが何千年も続いた結果、本当に特別な民となった。彼らが特別な役割を有しているのは、自らその役割を自分たちに課したからである。」
ナチスは最初ユダヤ人を識別するため医者を配し民族的に規定しようとしたが、結局人種としては規定できなかったという。現代ではユダヤ人という「人種」を定義することはできない。自分がユダヤ人だと自覚する人がユダヤ人である。人種としては存在しないし、国籍ももちろん関係はない。しかしユダヤ人は存在している。
先ず旧約に描かれた古代ユダヤの歴史から始まり、エジプトに絡み、バビロンを通過し、イエスに洗礼を施し、西欧世界に離散していき、ローマで迫害され、ヨーロッパやイスラムの宮廷で官吏となり、中欧で町の医者や商人となり、ロスチャイルドになり、スピノザ、シェーンベルグやマーラー、マルクスやフロイト、で20世紀のナチスによるホロコーストとイスラエル建国でまた世界史の最上層に噴出する。
国家という仕組みを持たねばユダヤ人は迫害されるだけの存在であるが、しかし国家を持つユダヤ人はもはやユダヤではない。国家はあくまでこの世の規範であり、ユダヤ人がユダヤであるのはこの世の規範ではない神の律法のみに従うからだからだ。ユダヤ人という二律背反、ユダヤ人というジレンマ。
著者によればユダヤ教は徹底した合理的論理的な思考を課し、キリスト教の本質は不合理性であるという。確かに処女懐胎から始まるキリスト教の本質は奇蹟を媒介とし、人知である論理の限界を悟り神という不条理に身を委ねることであると思える。ユダヤ教には不条理はあり得ない。神が必ず最後の栄光をユダヤにもたらすという確信があるとき、神の命令は不条理なものではなく、合理的な契約の履行にすぎない。目に見える契約を通して神はまごうことなくそこに対峙しているのだ。
ユダヤ人は雑多な古代の神々を整理し尽くし、ただ一人の神という究極の合理を実現した。そして、と、どのような文脈であったか、「それによって次の段階である『神の消滅』が準備できるのだ」と著者はいう。諸々の神々→唯一神への統合→神の消滅。ではユダヤ人が矛盾した存在であるのは当然だ。国家も神も消滅し、ただ人間の知力で補足できる論理のみが最終価値であるような絶対的に安定した世界が到来するまでユダヤ人は世界の異端分子としてさまよいつづけるというのか。
オウム真理教事件(と30年前の連合赤軍事件)は誰かが文学としてまともに検証せねばならないと思っていた。しかし、目にとまるほどのものはなかった。このふたつの事件はどう考えても大江健三郎の領分という気がする。確かに連合赤軍事件の方はまともには取り扱ってはいないものの、閉鎖空間の中の狂おしい個人と集団のせめぎあいの気分は「同時代史」を彫り刻もうとする大江の夢想する作中人物に色濃く反映しているのが見られる。作中でも何かと触れられるオウム真理教事件は、正に大江の頭脳の中の四国の谷間ものの小説が「同時代」として現実を先どるということもあるという証のようでもある。
この作は前半が「四国の谷間」とは関係なく進行していき、新たな小説世界の展開か、と見えたが結局とって付けたように「四国の谷間」に帰着していく。
前半の「宙返り」が小説の言葉として見事だった。否定しようもない絶対者を否定する(コケにする)、もしくは自分の信念を自分で否定する、というような否定を通すことによって返って絶対性に近づくような小説的力学は、文学の力として快い。
しかし後半がよくない。別に「四国の谷間」を出してシリーズにする必要もないテーマであったと思う。この作にはこれこのように余計なものが数多く見られ、前半で感じた小説力をウッちゃられ、のけぞって力をそがれてしまう。先ず、狂言回し役の画家の小説内の存在感が希薄である。前作「燃え上がる緑の木」では小説家本人が出てきて狂言回し役をつとめたが、それはとりもなおさず『谷間』から出て行った人種としての「谷間人」性があり、違和感はなかった。しかしこの画家が「谷間」に行かねばならない理由が読者にはよく理解できない。それと、副主人公団中の萩青年。希薄そのものの存在感。この青年が前半ではいかにも主人公づらして登場するので読者は特別なマークをこの人物につけてしまうのだが、この人物は小説全体から見るといかにも軽い。画家と萩青年は当初は主人公格の役割があったのだが、後に小説家の都合で主役の座を、例えば「育雄」等に、奪われたのではないか、という気がしてならない。結局最後までこの画家に対する違和感が消えず、物語の濃密をはぐらかされた感が否めない。もう一歩の推敲が必要だったと思う。
小説中に埴谷雄高訳「偉大なる憤怒の書」が引用されていたのは、死んだ埴谷への大江なりのオマージュである。しかし、そこで唐突に埴谷雄高が生のママでてくるのもなんとなく不必要な突出だと見る。
なるほどスペイン在住の作家だけのことはあって、バスク近辺の現代史、地理がくわしい。しかし、小説は類型的で御当地観光小説の域をでない。それでいいのかもしれないが、バスクやゲルニカを扱うのであれば、もうすこしの何事かを期待してしまうよ。人物も器用に書けていると思うが、どこかウソくさい。うむ、文章に趣味がないのかな。とにかく何かが足りない。ストーリーを追って、はい、そうですかと終わってしまう。要するに素材を集めて纏めただけ。小説とするだけの発酵作用がない。
いわゆる5賢帝のうちトライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの物語。つい先日貸しDVDで「グラディエーター」というローマ時代劇を見たが、映画のローマー皇帝は「暴君ネロ」風の性格が妙にゆがんだ権謀術数で成り上がる権力者のイメージだった。しかし、この賢帝たちは「皇帝」業を誠実に推敲し、世界帝国ローマの維持管理専門技術者として正に凡人には及びもつかない仕事をこなしたのだ。「哲人皇帝」とはこの直ぐ後に控えているマルクス・アウレリウスに冠される献辞だが、プラトンのいう哲人が治める理想国家像がここで実現されているように見えてしまう。帝政に移行したローマでは皇帝が政治・宗教・軍の終身の最高権力者である。侵されることのない随一の権力者であるから姑息な表・裏工作、権謀術数、選挙民相手の人気取り政策等を弄する必要がないわけだ。民主主義・多数決原理のような非効率に陥ることなく管理専門家としての皇帝業に専念できる実にコストパーフォーマンスがいい体制。そして、オリエントの専制絶対君主と違って「ローマ皇帝」にはローマ市民の代表者であるいう意識が常にあるのだ。皇帝がローマを所有しているのではなく、ローマが皇帝を所有している。
ハドリアヌスの名が親しいのはユルスナールのMemoires d'Hadrienがあるからだという。そういわれればそうかもしれない。同じような感覚は日本でいえば辻邦夫「背教者ユリアヌス」にもある。ハドリアヌスは単純な賢帝ではなく、なかなか複雑な性格でその辺が近代人的で従って小説になりやすいそうである。確かにローマが広大な世界帝国でインターナショナルに安定していた時代の善意の皇帝アントニヌス・ピウスは全く小説家に書く気を起こさせないだろうし、事実この巻の記述も前2者に比べて劇的に少ない。笑ってしまうぞ。
そのユルスナールの文章をこの著者側の解釈で書き直したらこうなるという、文学的・史的遊びを遊ぶコーナーなんかも笑えるぞ。
あと、著者の指摘でちょとメモリがフラッシュしたのは、この皇帝達は全て属州出身であったり、ガリア人の子孫であったりすることを踏まえて、「国籍・出身」というものに現代のわれわれが神経質になっている程には古代ローマ人は皇帝の出自なんぞ気にしてなかった、ということである。思うにローマ帝国の世界性とは版図ではなく、そういう精神のことであるようだ。また、ハドリアヌスが集成したローマ法大全が示すように、ローマはその合理精神に基づいて法を整備していったのであり、法の基での平等という法治国家の基本理念が当然のごとく行き渡っていたようだ。2000年後の社会が思わず赤面してしまうローマの史実。一体人間はこの2000年間何をしてたん?と。結局西欧史の文脈からすればキリスト教の最強の暗闇が以降のヨーロッパにフタをしてしまうことになる。
ユダヤ人との絡みでは、自称メシア・預言者が出現し、彼らに率いられてユダヤが反乱をおこしローマに対するということがあって、ハドリアヌスがエルサレムのユダヤ人を永久追放する。ここからディアスポラが始まり、ユダヤ人というものがユダヤ問題と名を変え、ついにはアウシュビッツに至り、現在もパレスチナ問題として噴出する系列の出発点がここハドリアヌス治世下134DCである、ということも歴史というものの時間を相対化してくれる。つまり、今ここからパレスチナを覗くとハドリアヌスが向こう側に透けて見えるという意味である。
いやー、前回読んだ最新作「鳥類学者のファンタジア」ではもうすっかり騙されてしまって、てっきり作者は国際キリスト教大学出身の才女であると思い込んでいた。まさかこの作で著者は「夏目送籍」であるとは思わなかったが、結局この人の本質は一作一作全く違う自在な文体を駆使する現在の戯作者だった。前作の細部の「もっともらしさ」もかなり楽しめたし、今回の上海租界の猫社会、あるいは夏目漱石の作中人物の語り口の時代味もたしかな芸である。殺人事件自体は漱石の作の壮大なパロディで、細部に破綻をきたさずにもっともらしいウソをつきとおす戯作者のウデも相当なものだけど、そんなものだけならこの膨大なページ数は不要である。江戸の話芸のリズムの流れを基調に、今から見れば軽妙で珍奇な漢語がごろごろころがっている、明治の文学者が使用した文体が持っている時代のほのかな幸福感を途切れることなく語り続ける文体の遊びの面白さがこの作の眼目。
折込のしおりの作者の弁「とにかく、小説の面白さを何もかも詰め込んだ作品でして、少なくとも、近代小説史上、著者自身がこれほど絶賛した作品はない(笑)。」
柄谷「『吾輩は猫である殺人事件』は売れないと困りますね。」奥泉「一言でいうとそういうことなんです(笑)」
しかしなぁ、この明治の戯文の戯作という凝ったシカケを面白がるのはかなりなオタクしかいないよーな気もするが。
Margaret A. Murray, The God of the Witches 2.ed 1952
マレーはイギリスの女性民俗学者。魔女裁判の記録を考察し、教会の公式歴史からみれば裏側の「悪魔(教会側からみれば)」=「魔女の神」信仰が連綿と引き継がれ生きつづけているという研究を行う。この分野の先駆者であるが、非アカデミックな出身の女性学者の異端的な学問ということで風当たりがつよく論考に対する批判も多いという。
スコットランドの旧石器時代人の末裔人種は、ドルイドとも関連する独自の生存様式をもちつつ時折教会が支配する現人種と接触し妖精の話を残す。緑の服を来た子供の体躯の妖精のイメージはシェークスピア以降の時代の創作である。
人々は教会に通っていたわけだが、平行して古い祖先から伝えられた土着の宗教も温存し、サバトで踊る。教会の司祭でさえ旧宗教の僧を兼ねていたケースも多い。
ジャンヌ・ダルク、ジル・ド・レの裁判記録から両者とも実は教会以外の宗教理念を引き継いでいての行動であると喝破する。ジャンヌの生地ロレーヌはそういった異端の神(悪魔)信仰が強く生きていた地域であって、ジャンヌが妖精または悪魔と付き合っていたという容疑には反論できなかったという。ジャンヌとその火刑の事例は、模擬王をいけにえとして殺すことで王の支配(地の豊饒)を確実なものとする古来の宗教行動パターンを完全に踏襲していたものである。
あまりにもすっきりと悪魔・妖精を「キリスト教に完全には駆逐されずに密かに生き延びていた古代の宗教の神とコヴェン(使徒・預言者:12名)である」との主張が示すように、得体の知れないだけだった怪しげな現象を、明確な古来の宗教行為と断ずるのは確かに魅力的な学問的解決であり、小気味よい論旨・仔細説明は楽しめた。近年ではそこまで単純な話ではないとの批判も強いと訳者が紹介している。しかし、本は面白ければいいので、学問的正当性なんてものは犬にでも喰わせろ、と当方は思うのである。
著者のHPを見たことがある。なんか出版社と抗争中の経緯のよーなキナくさいものが置いてあった記憶がある。かなり威勢のいいおネエさん風だった。
このエッセイ集では、そのよーなキナくさ威勢を面白がって連載(「世界」)させたような、あんまり趣味がよくない編集者の姿が透けて見える。そしてこの才媛はそうした真に商業的な思惑を文学的善意に解釈し、わざとキナくさめのテーマばかりを選んで編集者の意向を体現しようとする、少しく不純な動機が文体を更に硬直させている。
いわばちょっと捻ったレトリックを多用しすぎる。ときどき何がいいたいのか論旨不明の、おそらく作者自身にしか受けない楽屋ウラネタ風レトリックが多いよ。これで少女漫画直伝のずっこけ式言語遊びがなければ、ほんと、読み進む気力がなくなってしまう。
「私はマジで国を憂えているんですよ」とか、「故郷への道はかくも遠い。」とかのステレオタイプ風独立節を最後のシメにもってくるパターンも、いわせりゃクサい。
うん、小説に比べてこの人のエッセイはどうもね。
面白く書こうとするときに出てくるマクラの凝ったレトリックがどうも自己本位、または楽屋オチ風で何がいいたいのか正直いって良く分らん。とそっと聞こえないように言っとこう。聞かれるとかなりヤバイ。噛み付かれるかも。
Robert von Ranke Graves 1895-1985 "I, Claudius" 1934
殆ど信じられないことだけど、この本の訳業は今まで無かったようである。世界の文学を読みたければ日本語を勉強せよ、といわれたくらいの貪欲な外国文学消費国であったのにもかかわらずだ。そこで思うわけだけど、出版業が外国文学としてマーケットに出したのは著名な古典と現代の問題作であったのか、つまりは教養と学習・あるいは議論のための外国文学であったのかと。
これは楽しみとしての、いわば大人の文学である。東方の絶対王制とは異なる古代立憲君主制というべきローマの帝政をアウグストゥスが樹立する。そして次にやってくるのは皇帝の座を巡る後継者争いの「本家」といいたいような権謀術数が始まる。ここで語られるようなローマ史の逸話が非常にくっきりとした輪郭を持つように感じられるのは、全てが個人名をもった人間の物語であるからかもしれない。皇帝であれ、奴隷であれ、彼らローマ史を構成する人々は我々と同様の顔を持った人間として描かれている。名誉と誇り、勇気と昂揚、嫉妬と怯惰、驕慢と退廃、恐怖と狂気というお馴染みの心理がそれぞれの劇を演じているのだ。それも古代風に太く大らかに。
塩野七生の「ローマ人の物語」連作を忘れるわけにはいかない。すくなくともその著作のおかげで日本語は古代ローマ史への大衆的アクセスを果たし、ティベリウスやゲルマニクス、カリグラやクラウディウスという名が織田信長や明智光秀と同様の肉付けで想起できるようになったといってもいい。そしてそういう文化的成熟が必要だったんだろう、こういう西欧史文学を楽しめる土壌が出来、翻訳され出版されるようになるためには。
現代風虚弱なインテリである狂言回しとしてのクラウディウスの、物語の語り手としての距離感がなんとも言えずいい。強烈な個性で後継者を争う人物群につながりながら、常に距離をおいた傍観者という役割は冷静な批評家の条件だし、皇帝カリグラの叔父にして名目上にしても共同統治者としての対象への近さはレポーターとして理想の位置である。そして、描写されるこの狂気の皇帝カリグラの軽薄で悪魔的な素行の圧倒的な描写の数々。悪徳のローマ皇帝という一種のステレオタイプがあって、この前見た映画「グラデュエーター」の皇帝にもちゃんと引き継がれている。あの映画では、自己顕示欲の強い皇帝が主人公とコロッセウムで戦うのだけど、試合の始まる前に主人公を刺しちゃんとダメージを与えてあったんだっけ。うむ。いかにもカリグラだったらやりそうなことだよなぁ。
湯水のように殺して排除していく暴君に決して逆らわず、ひたすら恭順ただ卑屈。どのみち相手は狂人だしこちらは運命に逆らわずにただ生きているだけの無害な老人だし、と、いきつくところまでいくと、カリグラが遂に暗殺され、なんと「この私、クラウディウス」がなりゆきで皇帝に文字通り担ぎ出されてしまうのである。「皇帝もやってみれば、それほど悪くないものですぜ」と。いやー、なかなかの文字による愉悦。
完璧な時代考証とローマやギリシア文学への遊び心、クラウディウスその他が議論に浸る、例えば古代エトルリアの祭碑文学というような、いかにもありそうな事跡がどこまで作者の遊びかは知らないけど、確実な学識に支えられた豊かな文字による創造の楽しみがここにある。そしてこういう西欧古典のもじりの真髄のような作品を見事に明晰で自然な日本語にした訳者の力量へも賛辞を惜しまず。
基本的には特殊能力者・スーパーマンがなんかしらない兼ね合いでこの社会に出現し、現代の悪と戦うという類型のB級娯楽小説。ここでこのスーパーマンの正体を役小角とし、古代日本の大和政権が成立した当時の民族抗争事情を明かしていくという背景がなかなか「古代日本史の謎を解く」風に楽しかった。だから、オタク系本格SF風にも見えたけど、良く考えてみると物語の現在である事件と役小角との因果関係が何も無い。ただ、たまたま役小角が転生してきて事件に絡んだだけである。開始直後の雰囲気は面白そうだったけど、物語としてのクライマックスまでいくとかなりばかばかしい展開になっていき、作者もいいかげんステレオタイプの役小角のセリフをもてあましている気味までわかってしまう。物語はもういうまい。ただ、古代日本史関係の自由な仮説を紹介している部分は面白かった。大和朝廷に服属する出雲系加茂氏は冶金技術を持ち鬼として記憶される先住民系山の民の長であり、渡来氏族秦氏の起源はネストリウス系キリスト教とゾロアスター教が混交したパルティア人である、というような議論。しかし、もう一度いうが、そのような議論と物語本体とは結局何の関係もないのである。興味持続限度3時間小説。
若き堀田善衛の芥川賞受賞作「広場の孤独」で印象的だったのは「コミットする」という言葉の語感を計測するというか、賞味するというか、同じようにカタカナを使わせていただくならば「エスティメートする」という風に言葉で探り確認していた作業である。以来堀田の文章で日本語の語感を確認したことも多いが、それと同様の意味で、ある事物に対しての感覚を言葉で翻訳し言い表す事物感ともいうような語り口に乗せられてきた。といっても堀田善衛全集が刊行され毎月本屋に予約通知票をもって買いに行き、全巻揃ったところで、海外移住がらみで全ての蔵書をなくしてしまったのはもう20年前のことだ。
確かに、埴谷雄高の「xxとxx」シリーズと「死霊」の各バージョンを別にすれば、ぼくが個人全集を所有していた唯一の作家である。「この人の言うことは解るし、信ずるに足る」という思いがあった。あるいは当方の大脳の好みが堀田善衛が関心を持ち表記するものと方向が同じと感じたのかもしれない。大胆に一口で言ってしまえば「人間の、歴史に対する処し方」への関心ということになるか。
このエッセイはPR誌「ちくま」の連載記事の集成であるらしい。時事的内容を扱った短く軽いコラムである。この人くらいのイキになると日本に住んでいようがスペインの田舎で暮らそうが情報源や視点は世界共時的にグローバルである。(←うむ、なんていうヒドイ日本語じゃ。)ただし、老いの故かPR誌連載の故かそんなに深く感銘を受けるようなモノない。あちらでは何か国際的事件があるとバチカンの見解を聞いて自分の態度の指標とするような習慣があるとか、ルネサンス期にはルネサンスというような概念はなかったとか、中立国スイスが大戦中にドイツがユダヤ人から強奪した金のマネーローンダリングをやっていて、戦後ずっとそういったアヤシイ金を銀行の休眠口座として保有しつづけていた問題(「中立国の<犯罪>」)とか。まあ、そんなに切り口が鋭いとか分析が巧みとかゆーものではない。それに口調もなんとなく老人くさくなっちゃったなぁ。まあ、この人はジャーナリストではなくて小説家なんだから。しかし、そういえば「ミシェル 城館の人」まだ読んでなかったっけ。
斎藤秀雄の名前は小澤征爾「ボクの音楽修行」で若き小澤に合理的で完璧な指揮法を伝授した指導者として誇りを持って語られていたのを見たのが最初だったか。そしてこの多少軽薄な印象のある人物が「世界の小澤」となっていくこの30年間に日本人が西洋音楽の世界に奇跡のように進出していくのを見た。ちょうど日本の高度経済成長期と連動していたかのように。この日本の奇跡を用意したのが斎藤秀雄の「子供のための音楽教室」と桐朋だった。(もちろん鈴木鎭一もいたと急いで付け加えておく。ストラスブール大学近くのとある建物の入り口にInstitut SUZUKIという看板が掛かっていた記憶がある。)
直接間接に斎藤が育て、世界に輸出した指揮者、ヴァイオリニスト、チェリスト、ピアニストその他の弟子達の名前を列挙するのは止めておく。しかし斎藤が西洋音楽を志した時点の日本の楽壇といえば、宮沢賢治の描くセロ引きゴーシュの金星音楽団の世界だった。たしか、「インドの虎刈り」とかいう勇壮な曲を練習していたんだったっけなあ。作者にいわせればこのゴーシュ君をボロカスにけなす楽長こそ斎藤秀雄がモデルであるという。西欧というものに対するに対する憧れと青春期特有の情熱はある、しかし誰も本物は聞いた事が無いというような黎明期の一種のバンカラ性は、一方で久野久子のように本場ウィーンで自分の実力がどのようなものか思い知らされ、自殺してしまう悲劇をも生む。この初期のピアニストの伝記は中村紘子が書いているが、中村自身も「子供のための音楽教室」の一期生ということだ。ま、とにかく、そのようなムードだけが先行していて、実態のない時代に音楽を志した斎藤が、音楽性と技術の考察という面で世界水準に到達してしうのは驚くべきことだ。たしかに才能もあるだろう。しかし確実にいえるのは、絶えることの無い音楽への接近力というか集中力を生涯維持していった持続がもたらした成果であるという印象が強い。青年期の興味と情熱が衰えることなく生涯を貫くような人生であれば、どんなに遠くからでも最上に達するものらしいのだ。
この本はもちろん斎藤秀雄の伝記であるが、40年来の西洋音楽の聞き手である当方が同時代的に出くわしたイベントや人物名も多く、それぞれに個人的な感慨を抱くということが重なり、日本と当方の軌跡という風なものがあぶり出てきたりしてかなり奥行きのある読書となった。
斎藤秀雄の父は斎藤秀三郎で、岩波の「イデオム中心英和中辞典」(だった?)は確かに当方の蔵書でもあった。この正則英語学校の創立者もかなりのオタク風のかたで、来日した英国の演劇を見に行き「てめえ達の英語はなっちゃいねえ!」とか英語でわめきだし、新聞沙汰になったというような逸話が紹介されている。近衛秀麿達とドイツ留学(チェロ)。帰朝後日本のオーケストラ創生期に関わり、宮沢賢治が新響の練習を見学にいくというような挿話があり、そのまま日本のクラシック音楽史の中心に常にいるような存在になっていく。40台後半で演奏家としての活動から教育者へと方向を変え、以降日本の音楽的高度成長期を生み出したカリスマとなる。
斎藤メソードは徹底した合理的な動きの訓練であったらしい。伝統は教えることが出来ないが、技術なら分析し研究することができる。とはいえ、「サイトウ・キネン・オーケストラ」の事例で感知できるように、斎藤は技術を教えたことで慕われたのではなく、その徹底した音楽への情熱を教えたことで若き音楽家達に強い影響を与えたようである。
弟子達の名前は列挙しないが、他にも思いもかけない名前が出てきて面食らう。埴谷雄高の姉の証言とか、埴谷自身の文章の引用も引かれてあったりする。最近は弟の方の著作が親しいけれど、作曲家の別宮貞雄や柴田南雄、吉田秀和達の桐朋創生期の活動なんかも興味深かった。皆若くて何かをやろうとしていた。そして高度成長期に入っていく。皆が大家になり巨匠になり、そして創生期神話が終わる。斎藤秀雄(1902-1977)の生涯は20世紀の日本そのもののようだ。
作者はフォイアマン夫人等も含む130人からのインタビューを基にこの作を物したと書いている。司馬遼太郎以来(本当は森鴎外以来というのが正しいんだろうが)、伝記の作法は小説的に生涯を再構成した作品が主流だけど、この作はあくまで証言に語らせるというようなジャーナリスティックな手法で成っている。しかし、作者の意思が主導していることは明白である。同じ材料で小説化するのも可能であるかもしれないが、同時代人の伝記にはフィクショナルな脚色はそうやすやすとはできない。いや、このスタイルでもかなりの文体的統一感はある。
付記)文中の誤りの指摘が斎藤秀雄さん門下系チェリストよりありました。申し訳ない(^^; (以下ご指摘の文の無断引用↓)
[金星交響楽団はベートーヴェンの「田園交響曲」を練習してたんですよ。 「印度の
虎刈り」は作者不明ですが、ゴーシュがネコを追っ払うために弾いた曲です。(ちなみにネコは「シューマンのトロメライ【もちろんトロイメライのこと】を弾いて下さい」と頼みましたが)ネコが火花を散らしながら泣きわめいた程すごい曲です。金星交響楽団の演奏会が大成功して指揮者(斎藤先生?)にソロでのアンコールを頼まれたゴーシュは「皆、おれをばかにしやがって!!!!」と「印度の虎刈り」を弾いたら「あんな曲だったけど、皆真剣に聴いてたよ。君はすごく上達したね。」とほめられたんですよね。 さすが、言われてみるとその指揮者と、厳しくて生徒想いの斎藤先生はかさなりますねえ。]
(Special thanks to S.Nishimura)
秦の始皇帝の暗殺を試みたタイトルの二人の交流と、それぞれの謀計を描いた中国歴史小説。宮城谷昌光の次の世代かと期待したが、言葉の相が現代の感覚で書かれているので2000年の時空を越えて古代にたゆとう風情は感じられなかった。中国古典への趣味があったとしてもこの作者の方向と当方が愉悦を感じる方向とは違うようである。あまり特色の無いニュートラルな文体。巻末に作者のあとがきや解説者の書評等が収録されているのが非常に大げさなものに感じてしまう。
sub t.:世界と人間の現在についての七つの物語
非常にバランスの悪い連作短編集。というのも最後の総タイトルともなっている作品だけが中篇で自己完結しているのだ。あとの短編は思わせぶりなレジュメがついた、かなりひとりよがりの習作。どこかの高校の文芸部誌にでもふさわしい。創作するという意識が奇をてらい、なにかことさら新味を出そうとするよこしまな意図にかたむく。「何がいいたいのかよくわからんが、才能はあるな」風の評を無理に言わされるような。よせやい、こちとらはそんな青臭い「文学愛好者」ではないわい、朝の通勤電車の喧騒の中の悲しみからできるだけ遠くに意識を飛ばしたいだけなんだから。でもまあ、そこまで敵も青臭くは無くって、文体に冷笑のようなブラックユーモアのような絶対に哄笑にならない冷めた現代の笑いと、「世界保険の勧誘員」というような冗談遊びがある。
で、いやいやだったけど「ホテル・アウシュヴィッツ」に来ると、何やらよく解らんが冷たい笑いに満ちた空間があり、一方で次第次第と「カフカ的状況」が明らかになってくる。カフカ的状況が明らかになるということは、よく解らん世界であるということが解ってくるというカフカ的意味なのだけど。そうと気が付けば、読者の見物席は用意されているわけだから、あとは作者のお手並み拝見と高みの見物を決め込めばいい。うむ、なるほど。グロテスクでナンセンスでこっけいなイメージがぶよぶよと登場する。被差別階級上級者が下級者を差別する?うん、それってあるある。笑ってしまうよね。
というわけで、あんまり今読みたいとは思わないけど、文学的毒を調合するらいの力量はある作家だろう。
中世→近世→現代ときて古代を最後に読む。最初に歴史を記述する史学の歴史風の長大な序論があり、公正な歴史というものが記述されたことはない事実を例証し批判する。そして自分がこれから記述するこのヨーロッパ史の構想を語る。「ヨーロッパ史もラクダと同じで、苦労してどんなもんか定義することより、まず書くこと。それが実際的な道だろう。」自負。前回読んだ「現代」の記述で時間軸の系列からすればこの100年足らずは全ヨーロッパ史の4分の一の重みがあるのか、と書いた。「古代」では人類の発生から12歳の少年シャルル(シャルマーニュ)がローマ司教ステファヌスをブルゴーニュに迎えに行く753年ADまでの何万年が4分の一の距離なのだった。現代に向かってズームしていくような記述法。カールセーガンがやった宇宙カレンダーの逆を意識してやっている。通時的記述に挟み込むスポットライトとしての「カプセル注」。そういうアイデアと多分にユーモアを含んだ語り口の面白さで、いつのまにか全巻読まされてしまったなぁ。
ギリシャ・ローマの通時的記述は拍子抜けするくらい短い。それに政治史よりも文化史を見ているような視点である。クラディウス帝あたりの雑談がありはしないか、と期待してたんだけど。
著者は古代ギリシャの先駆けとして東方バビロニア文化をいい、現代に至るまで最大の詩人とされているホメロスのイーリアスと、ギルガメッシュ神話との類似性を指摘することを忘れてはいない。
古代を考えるとき、現代のヨーロッパの目から見ては事実を取りこぼしてしまうことが多いが、これが非常に難しい。
ギリシャではホモ、ヘテロとりまでてのおおらかな性交渉がおこなわれていた。これらは奴隷制に支えられた特権的市民男子の肉体の欲求を処理する即物的な対象であって「愛」という概念は無かったので当然である。現代でいうフリーセックスと同一視はできないのである。ローマでは、というかかなり多くの地域で中世以前では女性に名前はなく、父親や夫の名前の女性形で呼ばれていた。日本の中世と同じだね。もちろん西暦という年代の数え方が成立したのは中世以降であるし、国家や民族という概念も今とは違う。民族的にいうなら今のギリシャ人は古代ギリシャ人とは何の関係も無い。というか、イギリス人やフランス人というと、ともすれば最初からその土地にその民族として存在していたような気になってしまうが、もちろんそういう国家の形成は民族大移動ののちの近代の話である。
そして宗教。著者はいう。イスラム教がキリスト教を封じ込め、その結果ヨーロッパという意識が成立した。つまりイスラムがヨーロッパを生んだのだと。
ポワチエの戦いでサラセン軍が勝っていたら、というIFは、クレオパトラの鼻よりも切実なSF的現代を空想させる。この空想では、当方はどちらかというと甘美で和平に満ちたおだやかな現代を想起してしまうのだ。ヨーロッパ、毒々しいまでのとげがあるバラ。
この高名な作家の作品は実はまだ読んだことが無かった。20年前に朝日新聞に「コルベ神父の列聖」についてのこの人が書いた記事を読んだのを覚えている。実はその後すぐといっていい時期にポーランドのオシュベンツム(アウシュビッツ)の帰りの列車の中で、ポーランド人と「コルベ神父」の話をしたので記憶が定着してしまった。それ以外には読んだ文章を思い出せない。
ヘロデ王は例のベツレヘム中の赤ん坊を探して殺させた人物である。最近立て続けに塩野七生のローマ、ポール・ジョンソン「ユダヤ人の歴史」、ロバート・グレーヴズ「この私、クラウディウス」、ノーマン・ディヴィス「ヨーロッパ古代」を読んだので、この「ヘロデ王」は恰好の視点補填になると期待したのだ。アウグストゥス治世下のローマの一属国、しかし紛争の火種でありつづけたユダヤ人国家の「狂王ヘロデ」である。
ありていに言えば、「この私、クラウディウス」の文学的ふくらみと文体の楽しみはなく、何らのユダヤ的匂いも無く、やたらと複雑な王位継承争いの姻戚関係だけがあるという代物だった。ヘロデ王姻戚のしちめんどくさい係累を覚えて小説の筋の展開に備えるという労を取らせるだけの文学的な凝集力がないのである。ただの小ローマである。ユダヤくささも、サロメがヨハネの首をはねさせる場面も、宗教的背景も、ややもすると歴史さえ書かれていない。なんて面白くない小説だったんだろう。嬰児殺しをたった一行で済ませるというのは、作者としてはカソリック小説という舞台で勝負しようとは思っていないという自負のなせるワザだったろうけれど、それでは確実に面白くない。「ハドリアヌス帝の回想」のようにヘロデ王の最後の日々を描くのが文学的目的であったのだろうけど、肝心の文体と遠い世界へと誘う香気のような文学性が皆無なので始末が悪い。たしかに、狂言回しとして「穴」と呼ばれる竪琴弾きを配したのは工夫というものだろう。
しかし、あまりに聾者の「穴」の説明がくどい。たやすく「王様の耳はロバの耳」の「穴」から借用したと底が割れてしまう。いかにももっともらしい文学的捏造をしようと「穴」に細工をすればするほど、大道具の張りぼてが見えてきてしまうというような印象だった。2ページにわたる巻末の参考文献もなんだか大げさで見苦しい。
自分の後継者を処刑していく話をかたり、暗に殺戮を逃れ終に「ユダヤの王」となる人物のことに繋げたつもりなのかも知らないが、残念ながらそのたくらみは成功しているとはいいがたい。
この著者の作は「ウィーンの密使」を以前読んだことがあって、成田から気軽に飛んで留学する時代の、日本史よりもヨーロッパの宮廷の内情なんぞの方が慣れ親しんでいて詳しい世代の申し子というような印象を受けた。多分学生時代をフランスで過ごした人だろう。語学的にも金銭的にも自由なんだろうな、そうであれば当然精神まで自由というわけで、この伝記はフランス各地をお気軽風に取材してつづった気楽なジャンヌ・ダルク紀行である。普通紙の普通のページにカラー写真を印刷している造りは珍しい。で、なかなか遊び心に満ちた文体で笑わせていただきました。「ブロワは、・・小麦や野菜の集散地であり、特にアスパラガスが有名である。おいしいのよ、これが。」
ファナな田舎の少女が、そのど素人戦略の意外性と偶然とで本当に戦闘に勝ってしまった風の、フランスショービズムとは関係の無い無神論日本人の常識論からの解き明かしが、彼女によるジャンヌ・ダルクの奇跡の解釈である。超自然的神がかりには踏み込んでいない、とはいってもその17歳の処女の運命はそれだけで充分好意的な記述につながっている。直接不利益をこうむったピェール・コーション司祭でもない限り、だいたい誰がこの少女に悪意を抱くことができよう。
文章は軽くて楽しいが、しかし、当方なんぞは男装のジャンヌがジル・ド・レなんかに確かに及ぼしたはずの、怪しげでちょっとエッチな魔力っとまではいかなくとも、狂信者の得体の知れないエネルギーというような摩訶不思議な領域での活動を見てみたかったのだが。著者もことわりなしに引用している、リュック・ベッソンの映画で、ダスティン・ホフマンがジャンヌを試していうせりふを当方も引用しとこう。
「人間は結局、自分の見たいものしか見ないのかもしれない。」
詩人としての作品は読んだことがないが、たとえば小説「アカシアの大連」「朝の悲しみ」等のみずみずしい感受性が冴える散文を読んだ記憶から詩人の本性を窺い知ることができる。寡黙で内向的な作家であったという印象である。
しかし図書館で借りるのを躊躇するようなこの大部な2冊本の「小説」は膨大なパリ・青春・詩人と画家達の話を語りその饒舌は倦むところがない。なんとなれば、1920年代のパリは彼らだけではなく、なにかぼく達全体が共有する祝祭めいた青春という思いがある。青春の思いというヤツに関しては、語って語り尽くすということはない。ここでぼくたちといってしまったが、多分この中にはビートルズ以降の世代は入っていない。今ではすっかりアメリカなんだから。
しかし、それはパリだった。そこに若者を世界中から惹きつける魔力があり、やってきた者たちがお互いに交遊し議論し・遊び・喧嘩してパリの魔力を増幅する。そのようにしてパリは永遠の青春となっていく。
ぼくが森有正「バビロンの流れのほとりに」一冊だけを持ってパリに足を踏み入れたのは33歳だった。そして思ったのだ。「これがせめて10年前だったら」と。1980年代の30歳代のぼくは既にはやばやと青春期の感受性を失っていた。自分がパリに「居る」という意識だけで感動するには少々スレ過ぎていたという忸怩たる思いがあったのだ。いや、本当は50年前だったらというべきだろう。1920年代のパリに対する熱気は時代の「若さ」ということを思わせずにはいない。そしてそのときパリは紛れも無く世界の文化的首都としての輝きを極東の市井の人々の心の中にまで反映させていたのだから。
清岡が60歳を超えて始めてパリを訪れた描写からこの作品は始る。あとで、73歳にして初めてパリを訪れた山内義男への共感を込めた記述もある。フランス文学を生業としている学者にとって晩年パリを初めて訪れるというのはどういうことか?それは単なる懐旧ではなく、青春期に憧れ、以来絶えず増殖する知識と理解に支えられたもう自分の内部における実在するもう1つ別の世界、いってみれば魂のふるさとのようなものではなかったか。
本編は悠々とパリに14年間滞在した画家、岡鹿之助の伝記がまず語られる。いつのまにかパリで出会った先輩画家藤田嗣治のことに触れ、気がつくと日本人で伝説のモンパルナスの主人公として活躍したフジタの物語に地すべりしていく。複数の小さな地すべりは絶えず物語を横切り、この今世紀初頭のパリという一点で時間が幾重にも重なり、ここが他でもない特権的な時間に支配された特異点であったという思いに収束する。ピカソ・ドラン・パスキン・スーラ・モディリアーニ達画家、キキのようなモデル、映画作家、シャンソン歌手、ブルトンやコクトー、パリに住んでいたヘミングウェーや数え切れない作家や詩人達が織り成す不思議な熱気と陶酔に満ちたあの時代のパリ。ここで作者は個々の人物ではなくその「パリ」という現象自体を語っているということに気がつく。
なんという「小説」なんだろう。全体小説という言い方もある。パリは、自由と芸術への憧れ、恋愛や性交渉やバカ騒ぎという刺激に満ちた永遠の学生生活とでもいうような個人の思い入れで充満した時点であったのだ。
作者はひととおりフジタの伝記をとおしてパリの魔力を語り終えると、今度は1928年にパリに居た日本人達という地道な研究を開始し、島崎藤村を筆頭に無数の学者・文学者がパリで出会い、パリが与えた影響を検証したりしている。たとえば九鬼周造の記述だけでも、小さいながら完結した伝記として読める。人間のかかわりの不思議さ。2度目のパリの九鬼に書いてもらった紹介状をもってサルトルがハイデガーに会いに行くということも起きる。
フジタと薩摩治郎八はこのパリを見ただけではなくて、実際にこのパリを作った側といえるのかもしれない。確かに雑多な国籍の人々がこのパリをつくりあげた。
パリのフジタを媒介として清岡が記述の焦点としたのは、ローバート・デスモスと金子光晴という二人の詩人である。作品全体の構成からいえば金子の記述は冗長すぎる。下巻の半分は日本における金子の伝記で占められている。この作品の最後の方で1920年代後半にこの3者がパリのフジタのアトリエで会う描写がある。そして実際は行われなかったデスモスと金子のお互いの詩作にかんする架空の対談を清岡は再現する。これは清岡自身がその詩人達の作品と魂を響き合わせ、そのときその場にいなかった身としてのそれへの憧れを熱っぽく語るという、そのような作品である。とにかく圧倒的な作品。今更言うのも気恥ずかしいが、やっぱりパリに行きたい!嘗ての熱気がまだ漂うそこかしこをさまよい、やはりこの憧れと昂揚が一生消えるものではないことを密かに喜びたい。
しかし金子の伝記だけは別の物語とした方が良かったという感がある。もっと下卑たことを言わせていただくなら、清岡は個々の人物たちの伝記を切り売りし、50冊の本として出版すればもうけははるかにおおきかったろうに!
ジャンヌ・ダルクを捕らえた側として先ず思い出すブルゴーニュ候フィリップ・ル・ボンだが、王太子シャルルも密かに戦争よりも密談外交を望み聖処女をもてあましていたというところだったろう。本気と嘘真面目と遊びが交錯しているのが中世であると、堀越はいう。ドイツ(神聖ローマ皇帝ハプスブルグ家)とフランス(ブルボン王家)のあいだにひとつの国家ブルゴーニュが成立するような動きがみえた。それがブルゴーニュ問題である。ヴィヨンの注釈にずっと取り組んでいる堀越のべらんめえ調ブルゴーニュ家のややこしい係累の数々。どうしてもホイジンガ「中世の秋」の気分が渋いエンジ色に染み込んだ時代のうっすらとベールを通してくるような光で照らされているような、ふるいとおい話題であるが、やたらと軽く喋ろうとする堀越の口調とが奇妙にミスマッチを起こし、本人が思っているほど受けてないという印象。だいたい堀越は自分の本の宣伝が多すぎる。同業者のエライさんをくさすのもちょっとしつこい。オタクの世界の仲間ウチ話のような。
かるいタッチのほのぼの新聞連載家庭小説である。で、アレができない主人公のカップルがアレの問題を愛と絡めて悩み経験し、最後に「満願」(太宰治)成就となるアレが主題の長編小説である。主人公カップルだけじゃなくて、主人公と父親の世代と祖母の3代のそれぞれのアレ関係の交渉も同時に進行していて、愛と性、結婚と離婚、アレなしの精神的結びつきというような例示ともなっているのである。そういう意味ではまことに真面目な親子3代で楽しめる新聞小説ということになる。なかなか達者な会話調で、すらすら楽しく読める小説で、ま、それはそれでそんなもんか。と思ってたら、本の奥付けに著者略歴があり、当方より一回り上の年齢だったので唖然とした。とすれば芸ですね。みごとに21歳の若い女性の文体に化けました。いや、文体だけだったらマネるのは技術としてできるが、感覚や感受性まで化けきれるというのはエラいもんだよ。たしか作中でも触れられていた太宰治「女学生」風の趣味でもあるんかいなぁ。ここまで見事に女装できるんだったら、私メもしてみたいです。文を書くことによって違う人生を生活してみるというように。
以前に読んだ2冊("Insoutenable legerte de l'etre", "Le livre du rire et de l'oubli")はいずれも仏訳版だったし、今回のは仏訳版からの重訳であるから文体をいうことは多少の無理がある。しかし、圧倒的な文体である。先ず仏語に写され、それを日本語に移したとして、翻訳という外皮を透かして、その内包している圧倒的な文字のリズムと力は直にやってくるようなのだ。どこから?作家の作家である所以の場所から。アゴタ・クリストフの、同じく翻訳されても伝わってくる、クリアな観念を厳しく切り詰めた文体とどこか通ずるところがある。アゴタ・クリストフは母国語でない仏語で書くことによって返って余計なにごりのない結晶化した文体を得たと逆説的に思うのだが、クンデラはもちろんチェコ語で書いているのだけれど、なにかそういう精神の外国語への亡命者という共通のフィルターのようなものを感じてしまう。外国語(仏語)という文化・精神のフィルターで濾過され抽出された透明な言葉と思考の構造。
ふとプールで見かけた女性の仕草から、作家は愛と性、恋人と家族にまつわる物語が創造されていき、関わる人物の人生が別の場所で語られ,いつのまにかミラン・クンデラという作家がプールサイドでヒロインの夫に紹介されるという情景にまで創作と現実が連関しあうのだ。豊かな創造と変形のバリエーション。作家であることの楽しみと書くことの喜び。短い文体と完結な章立てが次々と繰り広げる確かなでくっきりとした語るべき事象。ふと出会う日常の光景がこの作家の透明な感覚のフィルターを通して再構成されて語られ、読者がひそかにその解釈を受け入れる、日常の外側の共犯関係。愛と性と死がどろどろと混じりあう生活は、現実という枠から外側に出てた目からみればコメディに他ならないという共犯者同士の乾いた笑い。これはしかし、お互いが生身の生を実体として持っているので自嘲というべきであろう。小説というもうひとつ別の世界。
翻訳文はクンデラのリズムが感じられる優れたものだといえる。しかし、各章ごとに施されている脚注はいただけない。論文じゃあるまいし、小説に注釈を付ける必要はない。読者が読み解くべき楽しみまでしたり顔に解説しているのでうんざりした。クンデラ自身だって作中で、小説は読者によって勝手に読み飛ばされるものだといってるではないか。訳者が読者に講義してはだめです。
中浜万次郎より10歳ほど若いジョセフ・ヒコ(通称アメリカ彦蔵)の伝記であるが、当時頻発した日本の漂流民による西欧との接触の事例もくわしく取り上げている。丹念な取材による手堅い文章。万次郎と同様彦蔵の場合も開国まもない若々しいピューリタン的ヒューマニズムに満ちたアメリカ人たちに支えられて教育を受け実務に付き、やがて開国前夜のアメリカ領事館の通訳として帰国する。幕府側の通訳の万次郎と違うのは彦蔵が洗礼を受けアメリカに帰化していることか。この時期の日本人が西欧的教育や実務生活の文脈に偶然入り込んだとき発揮する勤勉さと知的素養を考える。日本人という民族の特性ということではなく、それはおそらく情報社会以前の小さな村落で文化的に単一で素朴な社会内で純粋培養された素材としての若い頭脳が素直な形で、巨大ではあるが価値観からすれば同一線上にあるより発達した文化を吸収するときにだれでもが本来的に持っている能力ではないかという気がする。この場合江戸期の日本の小集落とピューリタリズムのアメリカという接続が幸福な融合を生む。
彦蔵の伝記にもアンチクライマックスの影がある。開国前後の日本外交史の舞台で活躍した30台をすぎると次第と英語は流暢に操れるが、日本語の読み書きの基礎がない彦蔵の希少価値はなくなっていく。悲惨な晩年ということではないが、もう時代の表舞台に立つことも無く40台からはただの人として過ごす風なのである。一応、故郷に錦を飾るのだが、公的人物を迎える故郷の人々はただおどおどとし、侘しく悲しい日本の寒村のみすぼらししさがあっただけだった。外にでれば豊かな文化的吸収力があるはずの少年達が、村落にそのままとどまって構成されている日本の寒村の限りない悲しさ。まあ、一方でそのアメリカの初期ピューリタリズム民主主義文化の行き着く先というのは、一方的なアフガニスタン空爆ということになるのであるが。
15世紀フランドルの小公国の領主のチェス友達のフランス王国騎士が暗殺され、公爵の妻との不倫が原因と噂されるが、この奥方はブルゴーニュ候フイリップ・ル・ボンの姪であり、実はアルマニャック派とブルゴーニュ派の抗争が裏にあった。フランドルの巨匠が公爵と騎士がチェスをしている肖像画を残しているが、プラド美術館で修復を手がけている美貌の主人公は絵の中に「誰が騎士を殺したか?」というラテン語が塗りこめられているのを発見し、やがてチェス盤に再現されているナイト殺害の謎に連動した殺人事件に巻き込まれていく。・・・
おっと、最近ちょっと調べてみようと思ってるジャンヌダルク・ブルゴーニュ候国がらみじゃないか、うう、おもしろそう、と読み始めたのだけど、で、確かに15世紀の史的フィクションとチェスのゲーム運びや何でもファン・アイクの弟子であるそうなフランドル派の巨匠の絵画、現代の画商や銀行家の暗躍というようにお膳立ても料理そのものもなかなかの献立であるとは思うけど、なんだかもうひとつノッってこない。なぜか?オズタンブール公国とか画家ピーテル・ファン・ファイスとか著者がソレらしいと思ってつけた名前が当方の感覚からするとウソくさいと思えるということも少しはある。チェスの棋譜の解析の細部につきあってやらなかったのもそうかもしれない。事件が起きて早々に真犯人の見当がついてしまい、以降その推定からはすべてが矛盾せず筋書きが運んでいったのでサスペンスにならなかったというのが一番の理由だろう。むむ、残念だった。スペインのジャーナリスト・作家の作。仏語からの重訳。
故あってVBからPerlに転向したが、本来的にコンソールコマンド入力型言語なので流行の派手なGUIはない。・・と思ってたらTkモジュールを組み込むことでtextボックスやリストといったおなじみのwindowsのGUI部品共が組み込めてしまう。早速、Canvas座標内で円の媒介変数方程式を変形して絵を描いてみる。これが楽しいんだよね。プログラムをいじくってカレイドスコープ的に思いかけない形になる画面を創ることは、素人プログラマーが最初に試してみる楽しみだろう。
VBのような製品言語ではツールボックスからドラッグすればアプリケーションに貼り付けられるWindowsのオブジェクトが完備していて、ばかばかしいけれどお金を出して買う言語のだけのことはあると思っていたのだ。しかし、Perl-Tkを見よ。わずか一行の記述でwindows付属のメモ帳くらいの機能のエディターが出現してしまう。Canvas上に描いた線はPost script 出力だって出来る。で、これがフリーソフトとして無償配布されている。こんな素晴らしいハナシはない。いつかプラド美術館に行ったとき、入り口でチケット買おうとしたら警備員風のおっさんが日本語で「タダ、タダ」と応えてくれたのを思い出す。タダというのはいつでも素晴らしいもんだ。
この本はざざっと読んでひととおり各wigetと呼ぶオブジェクトのプロパティとメソードが頭に入るようにまとめられているが、巻末にでもメソードの一覧表はぜひとも欲しいところだ。生成する時のオプションの一覧表は付いているのに。
翻訳タイトル:マーク・トウェインのジャンヌ・ダルク
元タイトル:Personal Recollections of Joan of Arc
マーク・トウェインが半架空のシュール・ルイ・ド・コント(ジャンヌの幕僚の一人)の回想という構想で書いたなかなか詳しいオルレアンの処女の一代記。「であったのじゃ。」というような翻訳の口調がうそ臭くて読みづらかった。まったく、この人物に関してはヘタな脚色は不要である。事実にして語らしめよ、とは思うけど、この真実も各自各様であるので始末が悪く面白い。「人は自分の見たいものしか見ない」のだから。
ま、とにかくマーク・トウェインの描くジャンヌ・ダルクは神に選ばれた最高の知性で、一点の疑いもない信仰と愛国心の権化である。意外にもこの語りの重点はコーション司教との魔女裁判の顛末におかれていて、理論整然とした小娘の反論にパリ大学の学者共もタジタジとなるような光景が、それなりの脚色と共に語られる。最後にジャンヌの信仰は悪魔に基づくものであると議決するカトリック世界はといえば、当時は教会分裂時代で3人の教皇が分立し(スペインにも)、誰が本当の教皇かをいえば、一つの教会という教理問答からすればすでに異端となるという混沌とした中世であった。
しかし、このジャンヌ・ダルクはちっとも面白くない。ま、100年前の完全純粋培養透明漂白無味無臭の奇跡の乙女というところ。
表紙カバーのジャンヌ像(松永潤二)の非常に内向的で神経質な少女は印象的ではあるけれども、あまりに幼い。それって、絶対違うと思うよ。
紀元前2500年、雑多な種族が農耕生活をしている中原で最初の氏族連合が胚胎する時期の遊蕩たる神聖政治をおこなっている帝ののどかな日常が最初に語られる。帝とは机の意であり、天を祭るつまらない道具との自称である。最初の農耕社会が形成されていく黎明期のもやがかった景色がとぼけたとも生真面目とも両用にとれるような文体で描写されていき、なかなかの味わいがある。しかし、読み進むにつれて、「味わい」なんて悠長なモンではなく、嘗て遭遇したことのない特異で独異で摩訶不思議な境地に連れ込まれていってしまう。この人は並じゃありませんよ。
もともと中国歴史モノだから漢語の羅列は出もするだろう。しかし、先ず前半に出現する尭帝が視察する市場の喧騒を描く場面に度肝を抜かれ、口をあんぐりひらけさせられる。江戸前べらんめぇ口調のように句点も読点もなくずらずらと語り流される名詞節が連続しついにページ全体を覆ってしまう長大な一文。やるもんですねぇ。以下、時折出現する偏執狂めいた文体の噴出に景気ずけられ、アカデミックとも乱暴とも古典的ともモダンともつかない小説世界にくぎづけとなる。この文体の遊びは後半における尭帝の資本主義社会への黙示録とでもいった長大な議論で最高調に達する。「・・ざるを得ない。」というまったく同一の文末を持つ文が20ページに渡って続くのだ。はい、数えて見ました。きっかり20ページ。5ページ目くらいで、多分大向こうから「いよっ中村屋〜!」という声がかかるのだが、この演者は見栄を切るというサービスもすることなく、そのままこの文体ジュゲムを推し進めていくのである。脚韻四六駢儷体白文か。しかし、これって文字以前の中国世界のお話ではないの?
これは貨幣が発明される以前のお話。中原の諸氏は緩やかな軍事・経済同盟を結び、制度的に「私」としては存在しない純粋な「公人」としての帝を互選し、帝はただ専門に祭祀を執り行うものであり、「用」(職務)だけがあって「存在」あるいは「人」の部分はなかった。これって天皇機関説風の理解でいいと思う。そこに農耕をせず、解池の塩を専売する商氏が同盟に加わり、やがて塩を媒介とした商品経済を萌芽させ、それまでの物々交換による原始交易社会を緩やかに変換させていく。「商業」によって資本主義経済システムが導入されるのである。塩という通貨の蓄財が可能になり、富が形成され、したがって貧者がうまれ、労働は商品となり、等級と階級と差別が生じる。まあ、議論の筋書きとしては産業革命以降の経済問題の演繹であるが、はるか昔紀元前2500年の中国でこの議論を皇帝尭と商氏の族長隠にさせるところが、いかにも芸ですね。
商氏はアダムスミスばりの善意の産業振興、生産拡大、福利増大を論じるが、最初に物物交換社会では虚である兌換貨幣「塩」という「虚」を置くことによって、先ず生ずる「負」が実社会で永遠に返しつづける負の遺産としてのこる。これが「悪」の根源である。と皇帝尭は論破するのである。うむ、なるほどね。別に帝国主義にいたる近代資本主義の話ではなくて、古代物物交換社会における兌換貨幣の導入という単純化した図式で考えてみると、なんか、非常にすっきりと分るような気がするなぁ。あ、ひょっとして当方も文体の物量的迫力に押されて、すでに細かい論議の綾を考察するような冷静緻密な態度はなくしてしまっているのかもしれない。ま、もともとそんなものはないのだけど(^^;
そして、この商氏の商業帝国の陰謀は阻止され、尭は帝を舜に譲り、古代中国政治史上の黄金時代が始るのである。非常に変わった味のする文学である。いやー、こういうの、好きですねぇ。経済や歴史やあるいは物理や科学といった「学」は、当方にいわせれば面白ければいいんだけど、マルクス経済学、あるいは仏教の妄執・欲というような哲学に踏み込むような議論を、森羅万象一切斯如(こーゆーふー)に調理して小説世界のダシにしてしまうって、豪快爽快愉快痛快なことですねぇ。
言われてみると東大仏文系の小説家・文学者達の著作に囲まれてぼく達は育ってきた。小林秀雄・太宰治から始まるこの系譜は、多分大江健三郎あたりまで確実に続いていた。もっとも大江は渡辺一夫の弟子ではあるのだが。小説でも書こうというまっとうでない野望を持った旧制高校生が何故か東大仏文に集まった一時期があった。それは辰野隆教授の学風・あるいは人風がもたらした風調でもあると、自身が創作を職業としようと期しつつ東大仏文に入った著者自身がいう。たとえば当方がフランスに渡ると決めたとき、直接には辻邦夫の著作に影響されたということを否定できない。コレージュ・ド・フランスでポール・ヴァレリーの講義を聴いたという教授に一年間Tel quel の講読を受けた当方が、ヴァレリーの孫弟子という冗談と同様の軽さでは、辰野教授は当方にもわずかな息をかけているともいえるわけだ。
イギリスに留学し日銀本社を設計した明治の先駆的建築家辰野金吾の息子である辰野隆は、趣味人的な学風であったようで鷹揚な親分的教授であり、辰野が退官し学究的渡辺一夫が主任教授となったときが、この東大仏文の文学的梁山泊の終わりの始まりであったという。
しかし、著者は辰野隆の伝記を企画しつつ、明治から現代に至る日本でのフランス文学・あるいはフランスというものの受容像を描くことに頁を費やしている。タイトルの「日仏の円形劇場」とはそういう意味なんだそうだ。著者自身も「ベル・エポックにはもう挨拶のしようもない」遅れてきた世代なのだけれど、敗戦後の貧しい日本の高校生として続々輸入されてきた「舞踏会の手帳」等のフランス映画に魂をうばわれるた世代でもある。
辰野の畑から育った仏文学者・小説家達のことを書き、次第に著者自身のフランスとの関わりに論が移っていく。日本とは直接の利害の関わりがなく、斜陽の優雅な文化の国というイメージが日本に定着するが(斜陽というのも太宰の流行語だったかな)、本当はそんなものではない、というのは当然か。現代の仏文関係者として嘗てのフランス像に、自分の青春と重ねての夢を語ったりするが、アルジェリア以降の現代の政治的にかなりたくましいフランスの現実に触れて覚醒するような記述もある。フランス人と結婚しリヨンに定住し世界大戦をはさんで「フランス通信」を書きつづけた滝川裕二の、ヴィシー政権下の日常の引用や、著者が入れ込んで訳したルーマニア系の著作家シオランの引用が印象的だった。あまりうまく構成された書物ではない。辰野隆の伝記としてではなく、登場人物の一人として辰野を扱えばもう少し発展したかもしれない。しかし、本質的にこの人は小品のエッセイ向きだな。
輸入CDの特価販売でフンパーディンクの「ヘンデルとグレーテル」を買った。(HUMPERDINCK "HAENSEL UND GRETEL", COLIN DAVIS: Staatskapelle Dresden) 爽やかな和声に民謡風で親しみやすい歌。クリスマスに子供達と楽しむオペラ。そんな子供時代の思い出があれば当方の人生もこうまでこじれなかったろうに、と全く関係の無い感慨を抱いてしまうくらいにHappyな劇である。
解説カードにドイツ語粗筋が英仏伊語対訳で載っている。
なになに、たしか魔女が住んでたのは「お菓子の家」だったが、ドイツ語では家がKnusper(ビスケット)で、垣根がLebkuchen (胡椒又は蜂蜜入り菓子:「木村相良」)とある。
幼児期に読んだ童話のお菓子の家は極彩色であったような気がするが、本当は地味な色合いの焼き菓子で、丸木小屋を見ていてこれがKunusperだったらなぁ、と自然に発想できるくらいの色合いのお菓子だったんだろう。畑の真中にこれ見よがしに建っているラブホテルのようなケンランゴーカなモノではとんとないのである。
ついでに、色気をだして各国語の訳を調べる。
英語 家も垣根もgingerbread、生姜パン、なんかイギリス的にまずそうな。
仏語でも両方 pain d'epice、まあ、味付けパン、菓子パンでいいか。
で、イタリア語。家が marzapane (*マジパン、マルチパン:アーモンドを搾りつぶし、砂糖を加えて練り、いろいろな形に作った菓子)。垣根は panforte (*アーモンド、キャンデーフルーツなどを入れたまんじゅう形のシェーナのお菓子)。
英語、フランス語は素っ気無いが、イタリア語の「お菓子の家」は極彩色に近い雰囲気ですね。この*小学館の緑の伊和中辞典は変なものに妙にくわしいなぁ。
さて、この魔女は目が悪く、ワルガキ二人にすっかり騙されてオーブンを覗きこんだ時に、中につき落とされてしまって成仏してしまう。それにしてもなんと残虐なガキどもか、だいたい人の家を黙って舐めたキミタチがいかんのよ!ここでは完全にbonとmouvaisが分離し、相手の人権なんてどこにも無い。まあ、魔女だから人権はないのはしゃーないか。しかし、どこか、大阪市営地下鉄の「チカンを撲滅しましょう!」というスローガンとも共通する、悪いやつは殺してシマエという魔女裁判単純極刑宣言が聞こえてくる。どのようにソフィストケートしようとも、本音はいつも同じ「敵は殺せ」。グリムが収集した民話は人々が面白いと思い、語り継いでいったフィクションである。悪い魔女を焼き殺して「撲滅」するのはとても面白くて胸のすくことなのだ。それは邪悪で巨大な力を撲滅するという日常では実現されそうもない情況がもたらす心理の昇華、カタストロフなのかもしれない。
赤頭巾ちゃんは初潮少女だし、ヘンデルとグレーテルは親の家から追い出され、お菓子の家の檻つまり幼年期からの脱出劇。といったような象徴性を見ていこうとする小論集であるが、そういった分析自体は目新しいものではなく、面白くもなんともない。むしろ、幼年期から少年期にかけての性への関心、暗い森の魔物や毒リンゴというような日常の裏側からのメッセージの形を検証していくとき、ひそやかなぼく達の心の中に隠れている小児的で魔的な部分が感応しざわめく感覚がある。
ヘンデルとグレーテルが二人だけで一夜を過ごす、暗く深く魔物が潜む森。そして突然子供からオトナになっちゃうのである。どう?ぼくと二人で森にいってみない?うふふ。
著者のあとがき代りのショートショートエッセイ集は本文よりも面白かった。
悪夢型近未来小説。面白いイメージはある。モーゼの石版が端末ディスプレイであったり、BC、ADのもじり、集団自殺カルト、もう生殖という試行錯誤をする必要のない完全人間、等々。しかしながら、全体がアメリカ製B級SF映画あるいはコミックのステレオタイプ的人物達によって演じられているので、せっかくのアイデアもなんとなくガラクタの寄せ集め風になってしまう。パロディとしてはあまり面白くはないし、逆に真面目に珍奇な世界への発想を楽しんでるなら、ストーリがあまりにも借り物的で安直である。才気はあるが小手先の印象が強い。特に人物像がすべてハリボテに見えて仕方が無い。主人公のマッチョのジャーナリストや、ダークサイドの人物達もB級SFのステレオタイプからはみ出たところがない。せっかくの悪夢型近未来なんだから、どうしょうもない純粋悪のような巨大なイメージが欲しかった。さもないと、貿易センタービル自殺テロの現実に負けちまうぞ。
トルコにいったことがない。「ダーダーネル海峡に落ちる夕日」というようなイメージはずいぶん古くから持っていた気がする。
昭和30年代のテレビ司会者ロイ・ジェームスさんは完全に「ガイジン」だった。アジア系の外国人が日本語を流暢に喋っても何ともないが、いかにもの西洋人が日本語を喋るってんで人気があったんだよね。しかし、こちらから見ると西洋人だけど、あちらから見ると東洋人なんだろうな。後にフランスでトルコ人ビルゲ君と同じクラスになった。四角い顔にくりっとした目、にこやかな口元にはもっともらしいチョビヒゲ。黒髪黒目のハンサムボーイ、これはドクトルジバゴを演じたオマーシャリフのステレオタイプですね。北海道の直子が興味を示し、よって直子が好きだった当方が嫉妬にかられたりしたり。当方がウロ覚えで唱えた江利チエミの歌のカタカナの「ウシュクダラ」をこのビルゲ君に聞かせたりしたこともある。「ウシュクダラの町に雨が降る・・うーん、なんか古いトルコ語でよくわからん」ということだった。
それから同じ中公新書の「トルコのもう一つの顔」の著者で、本物のポリグロット小島剛一氏とストラスブール大学合唱団で知り合い、よく専門のトルコ方言の採取旅行の話を聞いたなあ。トルコ内のクルド人問題の話とか。
うむ。トルコは行った事も無いのにずいぶんと懐かしい国である。
著者は長年イスタンブールに勤務した経験のある外交官。トルコあるいはイスタンブールに関係のある12名の有名人を並べ、その関係を紹介していくが、同時に明治から第2次世界大戦期までのトルコの歴史を鳥瞰するという構成になっている。イスタンブールに対する愛着が感じられる好著。しかし、ひいきの引き倒しということが無いでもない。
先の小島氏にいわせれば「旅行するには素晴らしい国だが、住みたくはないよ」ということである。オスマン帝国末期のどうしょうもない官僚の腐敗だとか、クルド人への差別虐待であるとか、きびしい警察国家だとかいう側面は完全に欠落している感じである。
しかし、まあ、それが欠点ということではない。それも承知であくまで懐かしいイスタンブールということを書きつづったのだろう。オリエント急行という響きなんか聞くともう郷愁といっていいような感慨まである。何故か知らないがどうしょうも無く懐かしいイスタンブール。
70年代のセクト闘争の主体であった学生も今では会社の社長になったりする時の経過がある。しかし、あのような激しい時代に真面目にコミットし、他人を巻き込んでいった者が、今何食わぬ顔をしてサラリーマンをしているはずが無い。少なくとも痛みの記憶くらいはあるだろう。既に若気の至りで済む無責任なエネルギーの発散ではなかったはずだ。実際に人が殺されていったのだから。
というような個人的感慨をマクラに書いておかないと書評を始めることができない。あの時代に起きた出来事は当方の中でも終わることのない影響を与えつづけている。だから、作中の人物達が1995年の作品の時間を生きながら、それぞれの過去の経緯から逃れられないのは当然だと感じる。それぞれの決着のつけ方があり、未だに決着がつかない生き方もある。総じて以降の生き方は愉快なものではない。このどうすることもできない重苦しい現代という小説の基本線は、小説的に脚色されたウソくささを通して当方にも感応してしまうのだ。この世代に配して20歳の若い男女が狂言回しのように絡む。作中人物として非常に面白くできている神がかり少女がいる。この少女を軸にして物語りが展開するか、という期待があったが、結局全共闘世代の物語のほうが生の迫力で勝ってしまい、小説構造としては中途半端になった。でもまあいい。完全に構造されたものが感銘を与えるというものでもない。この少女の描写には思いがけないアドリブのような軽みがあり、重苦しい物語の基調を適当にかき混ぜる効果はある。主要人物は火薬の製造会社の社長という設定で、花火業界の会社業務・製造工程の描写があってこれがなかなか面白い。こういう実業についての確かな情報が絵空ごとである小説というフィクションのリアリティを保証する。実力のある作家による現代日本の小説のひとつの水準を示す作品といってもいい。
何かちょっと気恥ずかしいタイトルの対談集。アメリカ生活が永い小澤が表現しようとして直感的に英語で捕えたコトバを大江が聞き逃さず、すかさず日本語に直すのは少しマニアックでもあるが、一旦日本語での解をしめしたことで日本に対する義理を果たし、以降そのカタカナ語をキーワードとして的確に議論のテーマをシンボライズさせてしまうのは小説家の見事な戦略である。
先ず、小澤は芸術家の役割として「ディレクション」をするという。小澤はディレクション:指揮であったかもしれないが、大江はディレクション:方向付け、届け先と注釈し、直ちに「読者に対して明確なディレクションをすることを自分の小説作法としてきた」と実に率直に自分の創作法を語りだす。日本の伝統的小説作法は、作家が自分の感性を個人として吐露し、読者が何とかそれをそれぞれに理解しようとする構図で成り立っていたという。大江は明確に何を伝えるかのディレクションが創作の基本であると語る。正にそれは指揮者が楽員に、演奏家が聴衆に伝えようとする相似構図になっている。
次に小澤はインスティチューションが個人を隠してしまうとダメになるという。大江はインスティチューション:組織・制度と注釈し、現在日本の問題はそこにあると同意する。ああ、インスティチューションだった。そうなんだ。例えば「組織と個人」という名詞群で捕えられるのは「会社・社会」という社会論的な問題意識にとらわれてしまう。当方の手持ちの「問題意識」のストックで言えば「反必要悪論」「手段の目的化」風の色合いになる。インスティチューションと言い直せばボストン・シンフォニーもあるいは経済優先社会もジャパン・ソサエティも含む。ここで「トニオ・クレーゲル問題」くらいも含めてしまう範囲になる。家族はどうなのかな?家族はインスティチューションに入る?
小澤が芸術家の位置としてインタープレートという「解釈」をするが、ここで大江はインタープレートよりもメディエートではないか?と修正を図る。うむ、これはなかなか面白い地点だ。音楽家としての小澤は作曲家と聴衆をつなぐインタープレートを想起するのは自然だが、大江のメディエートは「仲介」、ことによると「預言」。そういえば最近読んだ大江の「宙返り」では「仲介者」が明記されていたなぁ。
小澤がサイトウキネンあるいは小澤征爾音楽塾、原型としての斎藤秀雄の教育を語り、基本的な人間の欲望としての教えることを語るに、大江は光氏との関連で教育することで自分自身が変わっていったと語る。そんなものかもしれない。教えることは自己表現の快感であり、最も直截な他者との相互関連であるんだろうなぁ。この辺を考えると・子なく・弟子なく・先師なく・語るべき友人すらない当方の社会的もろさというものを思い知らされる。この人間との関係性の薄さが、結局当方がいかなる芸術家ともなれなかった真の理由ではないかと思ったりもする。
実を言えば、あ、そーなんだ・この二人は同年なんかぁ、いったい何の話をするんだか、といった単純な興味で読み始めたにしては、エントロピーが増大しカオス化が進行しているこの脳髄になかなかの局所的刺激がありました。とにかくこの人たちは真面目に仕事をして来た世代なんだなぁ。
これは小説ではなくてノンフィクションであると著者がことわっている。高橋たか子の小説は「装いせよわが魂」がかなり気に入ったので、まとめて読もうとしたことがある。しかし、パリまでは一緒に行けるが、そこから先へはちょっとご一緒できないという感じで、以降の小説はもう読まなかった。以降は著者の使っている言葉でいうと「超自然界」に関する話ということになるか。
高橋たか子はもうずいぶん多くの小説を著している作家である。このドキュメントは本来なら小説の形で内的に昇華させて発表するのが妥当なテーマであるはずだ。文学的発酵を待たず、一人称の生身の体験を直接読者に放り曝すことは小説家としての敗北ではないのか。文学的脚色をするのではなく実際の体験を提示しようとする意図は、しかし、充分に察することはできるのだ。で、言わしていただければ、著者には不本意かもしれないけれど、小説より面白かったのです。
ときどき見られるプロの小説家にあるまじき安易な文体「・・・する私であった」等、鼻持ちなら無い自己主張「私の莫大な鎌倉の財産・・」「私一人で他の人の何人分にも相当する価値」「男女のことの達人の域に達していた私」等々、小説であれば即座に推敲削除になると思われる尖った表現が散見する、危険な生(ナマ)の自己表現である。実名で登場する人物もいる。しかし生のエネルギーはすさまじく、いっちゃあ悪いが場外乱闘流血反則マッチの趣ともなり観客席はさぞ湧いたでしょう。
高橋がセクトの長の司祭が発する「火の柱」に惹かれフランスの修道会に入り、霊的生活を深めていく前半。おそらく人間関係・男性関係に絡み取られてしまっている日本と、その対極としてのヨーロッパ・フランスのカトリック世界への救いの予感。より男性であり、より女性であることで真により霊的な人格となるというような感覚に見られる、ヨーロッパの信仰の強靭さや、多くの知識があるから知識人というのではなく、知的操作ができるということがインテレクチュアルということなのだ、というような文化的基盤への視点が印象的だった。そして次第に信仰を深めるために集まった組織が人間関係の軋轢の場所になるというやりきれない地上的皮肉が出現していく。あまつさえ、恩を仇で返すようなうすっぺらい日本人女性達も登場し、ここで小説的に塗布昇華させようもない生身の世界のやりきれなさ・救いのなさが披瀝されていくのである。
のような未整理のプライベートな感情を記述するという行為は日記に近い。一体自分の内部に生起するものを記述し、それを公に公開するということはどのような精神の働きなんだろうか?かかずりあわなければいけなかった人物達に対する、ペンを剣に持ち替えての腹いせもあるはずである。しかし、本を書くというのはそれだけではないはずだ。
書くことは想念を深化させるという個人的な作用だけれど、同時に推敲するには仮想的読み手の存在が必要なのではないか。私なんぞもホームページに書評を載せる、という意識があってこそ文章を推敲するという色気も持つのである。このホームページの1997年以前の書評の素っ気無さをみればいい。読者を想定しない日記の文章なんて再読する意味もない。純然たる個人的資料である。表現には矢印の方向を向けるターゲットが必要なのだ。ま、本当に読者がいるかどうかはまた別の問題なんだけど。
しかし、読者を想定するというのは両刃の刃で、色気を出しすぎると文章の推敲のつもりが脚色に走るということも起こりうる。仮想読者は手段であって目的ではない。表現は自発する欲求だ。ホームページに掲載するということで仮想読者の存在を内的に保証し、書き始めるが、書くこと自体は自分のためにしているのである。だから、別にこの記事も書評でなくともいい。書評という区切り方でつけている個人的日記に他ならないのだから。
高橋たか子は心的なエネルギーに満ちた求道的な、ちょっと怖い系の女性に見える。京大系の才媛というと「上野千鶴子なんて怖くない」という本まで出ているあのお姐さんを思い出すが、似たような尖った印象を持っている。本文中にもちょっとアヤしい感じの神秘体験が描かれているが、その、ちょっと神がかり風のアレですね。求道的というか。しかし、信仰者特有の導かれる方向へと進んでいく直線的なエネルギーの発露を目撃するのは不快ではない。むしろ爽快な光景である。わが身に救いがたく残っている経済主導型価値体系の痕跡を隠蔽することができず、身動きならない無方向的カオスでもがいているぼくにすれば、このような価値体系とは無縁で、明確な唯一の方向につっ走っていく人のイメージはかなり啓示的である。神に掴まれ、自分の進むべき方向を感知できるということはどんなに心強いことなんだろう。
----高橋和巳の覚書---
高橋和巳の作品は殆ど読んだはずだ。そしてもう再び読むことはないだろう。だから今、高橋和巳のことを書いておく。
高橋たか子は夫の高橋和巳が死んでから小説を発表し始めたと記憶する。例えばこの作品の現在時において日本に帰ってきて会った人物の名が3人、いずれも物故者だからか実名であげられていて、埴谷雄高、遠藤周作、中村真一郎であった。遠藤とはカトリック、中村とはフランスという線があるとして、埴谷とは夫からの線であったろう。
ぼくが埴谷に耽溺したのは高橋和巳を読む以前であったと思う。しかし、数年後に家出をし駿河台の明治大学学生会館に寝起きしてある日埴谷家を訪問したときには、多分高橋和巳が埴谷家に初めて行ったときのエッセイのことを思い出した記憶があった。実際には三鷹で降りて埴谷家に電話をしたら、奥さんの声で「不在ですが」と応答されたのだった。埴谷とは会えなかった。この話を当時の文芸仲間にしたところ、彼は吉本隆明に会いに行き、ぼくとは違って首尾よく本人と面談し、「試行」一冊を買って帰ってきたのだった。
高橋和巳はわが卒業高の旧制中学時代の卒業生で、ある日職員室に入ると黒板に「中29期高橋和巳氏京大助教授に就任」と墨書されていたのを記憶している。高橋和巳の実家は浪速区貝殻町で、ぼくが住んでいた西成区のはずれとは道路を挟んでの斜めに向かい合っている地域だった。のち小説家として高名になったとき、ウチの母親が「ああ、あそこの家(高橋家)は知ってる」というくらいの近所だったので、どことなく高橋の小説の、大衆文学を引きずった知識人志向文学とでもいうような傾向の由来を理解したと思えた。鎌倉文学者ではなくて、町工場の息子だったのだ。
煩瑣で雑漠とした生活環境が対極にあるアカデミックな場所への arrivisme を植え付ける。和巳が亡くなった時、集まってくる親戚縁者に辟易したというようなエッセイを高橋たか子が書いていた。京大の助教授をやめて有名な小説家になった親戚がいる、ということが人を昂揚させる。ぼくの母校の黒板に「高橋和巳氏京大助教授に就任」と書いた人の昂揚もよく分る。ぼく達は教授や博士という称号に対する素朴な賞賛・憧れが生きている、いかにも大衆文学的な世界の住人だったのだ。「非の器」や「わが心は石にあらず」というような・いかにも・風なタイトルを自作に採用する和巳自身も同じ世界の空気を呼吸していた。「大学教授・正木典膳」というような主人公名は浪曲の世界にどっぷりと親しんでなければ出てこないはずなのだ。ただ、当時の若い読者は、何故か「知識人の問題」を扱った文学であると誤読し、そのいわば中国の伝統文学を踏襲した大衆小説であるという本質を誰も見なかったという気がする。とにかく、和巳が活躍したのは「あの」全共闘世代が大学や知識人の役割を性急に問いつめていた時代だったのだから。
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