年末に正月越冬用の長編小説を物色しているとどうしても宮城谷昌光全集の黒のクロスカバーに誘惑される。毎日ヒマにしていても結構出歩いているのだが、さすがに正月は図書館もプールも休みというわけで長編小説の出番だ。宮城谷はしかし殆ど読んでいるのでさすがにめぼしいものは残っていない。しかし、それでも宮城谷全集のうちの数冊を手元に置いておきたい。なんせ正月だもんなぁ。「楽毅」は再読とわかっていたのだが、内容を一向に思い出せない。確か分冊の最終巻まで読んでいなかった気がする。あれから日も経っているのでもう一度最初から読んでもいいだろう。で、読み進むのだが一向に前回の記憶がない。これはしめたものだ。宮城谷全集を初巻から全部読み直すことも出来そうだ。ボケると得することも多いのだ。
宮城谷の文体や漢字の語感の魅力は既に考察したと思う。見事に意味を視覚化させる漢字の適切な使用により余計なものが一切ない引き締まった文体に乗って春秋時代の英雄の生涯を追うこと。その至福は、正月を晴れやかに楽しむという意識が期待するものと殆ど同じ振動数で共振するのである。こたつでみかんを用意し宮城谷本に没頭するのが古来からの正月の正しい作法なのだ。
漢字を発明し、歴史を記録することが古代から行われていた中国では、行動モデルを歴史から検索するのが普通で、絶えず自分を客観化する訓練が自然に出来ていたのである。そして自分もまた歴史の中に記されるという意識は、必然的に自らの行動理念を明確にする。特に春秋戦国のような英雄豪傑諸子が百出する時代であれば、自分で自分を演出し、歴史の中で一瞬でも輝くことが生きている直接の目的にもなろう。言葉と行為が一致することが見事に生きるということだ。つまり理念で生きるのである。こうした古代の清冽な英雄の姿を安逸と飽食にだらけきった正月のコタツで夢想するのが至高の悦楽であることはいうまでもない。
で、春秋戦国の末期のスーパースター楽毅である。この人は、うむ。忘れた。この分ではもう一回くらいは十分読めそうである。いよいよ当方の人生も佳境にさしかかる。
著者が没してからも評価は高く、最近の時代劇映画の原作の宝庫の感がある。この人が従来の超人的剣豪譚一辺倒であったこのジャンルにNHKの朝の連続ドラマ風の生活劇として楽しめるような物語を持ち込んだ功績は大きい。江戸人情話風の作品は以前にもあったはずだが、藤沢周平の筆は奇をてらうことのない自然な情感が丹念に醸成されているのが特徴だろう。読者は、さあ「時代劇」が始まるぞ、というような心理の構えをとることなく自然に物語に入り込み、主人公達の視線で江戸期の生活をながめるということができる。実は永い間藤沢周平を読まなかった。単行本に描かれている表紙絵や、時として挿入されている挿絵に抵抗を感じ、敬遠していたところもある。挿入画の優劣の問題ではなく、そのような他人の解釈の具体案を目にすることへの違和感がある。とすれば、そういう違和感は現在の映画やドラマの藤沢作品でも同じではないのだろうか。多分、本来の藤沢の読者は映画を見ないのではないか?藤沢周平が文章で描く世界は既に読者に十分なバーチャル・リアリティを与えるので、映像化された作品は自分自身の作品像との乖離を見るはずである。私は藤沢周平の著書を全集本として作品の系統順に挿画なしで活字を追えることがありがたい。藤沢周平全集も正月のこたつ本の最有力候補である。
というわけで、適当な分量と位置にある表題作を今回は選び、楽しく読んだ。しかし、藤沢周平に永い間抱いていた上記のイメージよりは多少古臭い時代劇のパターンが踏襲されているのが目に付いた。雑誌連載という制約もあり、時代の制約もある。「銭型平時捕り物帖」(野村胡堂)風の連続人情劇のようなステレオタイプ下敷きは歴然と見えてしまう。しかしまあ、このステレオタイプ化も「水戸黄門の印籠」のように、当時の時代劇の大事な伝統的楽しみではあったのだ。「よろづや平四郎活人剣」では直接の毎回完結の人情話の横糸をより合わせる縦糸として旗本の末弟である平四郎自身の自己形成、天保の改革期の鳥居耀蔵の暗躍と失脚をからませ、かなりの構想力である。しかし、どうしても一話完結の人情話部分が類型化し、素朴・粗暴ではあるが根は善良、という江戸庶民感に安直に乗ってしまっているのがこの作品の限界だろう。善良だが貧しい町屋の職人と、一途な商家の娘、主人公の助けを借り困難を乗り越えて手に手をとって挨拶に来る幸せな光景は連続テレビドラマの予定調和的大団円である。挿画だけではなく、藤沢周平を読まなかったのは庶民的幸福(あるいは不幸もある)の類型像の提示に反発を覚える部分もあったのである。藤沢周平を楽しむ正月。当方の妻帯(最終バージョン、昨年決行)のおかげかも。
副題『「幻想」と「理性」のはざまの中世ヨーロッパ』
『・・中世人の考えの中には、さまざまな宗教習慣が混在していてのかもしれません。宗教の混在に慣れている日本人は良いポジションにいると言えます。』(はじめにより)
私はフランスで滞在していた経験があるが、幽霊話の存在を聞くことはなかった。ブロッケン山やヘンデルとグレーテルの森があるドイツ、デンマーク王の幽霊や夏至の夢幻を描いたシェークスピアの霧のイギリスと比べ、明るい野(champ claire)が広がるフランスはもともと魑魅魍魎どもが暮らせるところではなかったのだろう。加えて一切の曖昧な存在は存在論的にデカルトが掃除してしまったのだから。とは私は個人的には納得していたのだ。この本で紹介されているは、そのデカルト以前の中世である。美術や建築、文学に現れる怪人、怪獣、ドラゴン、幽霊についての地道な調査一覧表で、日本の中世の同僚化け物の比較もある。私はデカルトと名指したが、ヨーロッパ一般から言えばクリスチァニズムが人々の意識の底にうごめく異世界の存在を否定し、あるいは整理して取り込んでいったことが鳥瞰できる。それは理性による非合理の否定ではなくて、ひとつのドグマによる異なる体系の否定である。だから聖書の論理で解釈しなおした非合理な存在が、キリスト教の教導路線に沿って教訓的な聖人譚に焼きなおされることになる。そのような変遷の後をたどっていくと、やはりヨーロッパでもそこかしこに混沌とした異次元の存在が跋扈していたのだった。やや観光案内風の駆け足にはなるが、ヨーロッパの魑魅魍魎の体系的な鳥瞰が得られる。中世に行われていた写本作成の過程で、ギリシャ・ローマの年代記に記されていた見聞のスペルの誤記や読み違いによって奇妙な怪人が創造されていくという実証は興味深い。しかし、それは単なるミスだったんだろうか?書写僧のかくあれかし、という願望が無意識の恣意によりに古典を読み替えた、と考えることも可能ではないだろうか?
東洋やエジプトでも行われていた水の神としての龍神信仰に触れ、西欧世界の伝説の起源を考えるドラゴンに関する章も興味深い。タラスコンの祭りにおけるドラゴンのイメージのフォークロリックな研究の紹介は示唆に富む。なんてたって、「ドラゴン・クエスト」以来、西欧中世への憧れの象徴はお城と騎士とドラゴンなんだもんなぁ。
著者が撮影したものが大半だと思われる図版が豊富で視覚的にも楽しい。しかし、図版の索引や目録がないのが残念。あるいは著作権の問題でぼかしてあるのかもしれないが。
それと、文体が「です・ます」調なのが気になった。うむ、それでなんだか観光案内のようだな、という気がしたのかもしれない。あまり衒学的な格好をつけない生真面目な印象を与えるが、ドラクエ風中世ごっこで遊びたい読者には、もすこし遊びに満ちた語り口のほうがいいだろう。
実在の鷹匠小林家鷹の伝記小説。その卓越した技量で浅井・織田・豊臣・徳川に重用され、戦国の覇者を家臣の目から描く構造にもなっている。しかし、何といっても鷹匠という時代考証の難しい技芸を小説の形で描いた取材力に感嘆する。確かに、鷹狩りというイベントを戦国大名達が行ったという知識はあるが、その実際に思い至ったことがなかった。鷹を捕り、育て調教する技術と戦国の大名達がレジャーも兼ねて権力の誇示を鷹狩で行った事跡が生き生きと描かれている。また、鷹匠用具の挿画が詳しく、小説の挿絵という域をはるかに越えている。エンターティンメントとして仕上げる力量は感じるが、小説としての脚色が幾分強引な気がする。副主人公格で登場させた韃靼人が史的コンテキストから浮き出して目障りである。どうしても本場の鷹狩りに言及したかった著者の思い入れが突出してしまっているようだ。アルタイ汗やヌルハチの知人で、武術と鷹狩りの達人、語学万能の韃靼人が漂着し信長・家康の客将となっているのは作りすぎだろう?信長には黒人を珍しがって用人として側に置いていたという史実があるにしても。
著者にひとこと指摘しておきたい。この韃靼人はポルトガル語をアルファベットのまま引用する(!)のだが、いかにも唐突で語学的にも少しおかしい。"Negocio da China" (明との商売)。もちろん西欧語でのChina、Chineは中国の清王朝の「清」の音から派生してきたものだ。この物語時点ではこの単語はまだ生まれていなかった。小説としての勇み足である。それと、多少文体に趣味がなく紋切り型が多いのが気になった。
2月は航空券が一番安い季節だ。早く動かんとなぁ、と思いつつ、旅のイメージを描きはするのだが。ヨーロッパはユーロ高で全く手が出ないし、未だにアメリカにはとんと興味がない。しかしタイ、マレーシアはだいたい見てきたし、まあ今回はベトナムくらいかな。と思っていた矢先、梅田で出会ったフランス人がマグレブ系だった。あ、そーゆー手があったんだ!そのファティマ嬢が「フランス語で用が足ります」と保障すると、思わずニヤっとよだれが出てしまった。私は英語よりフランス語の方がラクな人なのである。昨年のヨーロッパ旅行でも英語を喋る前には気合を入れる必要があった。疲れている時にはこの気合を入れるのもおっくうになる。その点、フランス語だとハンバーガーを焼いているオバさんに「お、いいにおいですねぇ?」なんて世間話風に切り出すことができたりする。うん、やっぱりゼニも頭も使わなくて済むに越したことはない(^^;
ともあれ情報を収集することにする。ここでマグレブ系というのはチュニジア・アルジェリア・モロッコの旧フランス植民地諸国である。イスラム圏だがアルコールもOKだという。しかし、タイやマレーシアに比べ旅行用の参考書は極端に少ない。私の情報収集場ではこの本が唯一のチュニジア旅行記だった。しかももうかなり古い情報である。でも、楽しそうな文章である。
女性が一人で旅行するような気分ではないご時世だった。第一次湾岸戦争があり、イスラム系に対する西欧マスメディアの影響を受け、おどろおどろしいイメージが広まっていった。というような時点で、いろいろあって著者はチュニジアに降り立ち、決死の覚悟で旅行を開始するのである。まあ、内容は詳細しないが、なかなか新鮮で素直な感受性がくすぐる楽しい読み物である。文中にハートマークのエモチコン埋まってるので了解されるように、かぎりなく話し言葉に近い今様の文体だが、感覚がまっとうで納得できるので浮ついた印象にはならない。まるで話すように文章を物することのできる世代か。砂でカメラが駄目になり、『ばかやろう!きれいじゃないか!』と景色に浴びせる捨てゼリフも♪くゆ〜い♪
でも、文章は自然に書けると思うほど私はおめでたくはないのだ。著者のセンスもあるけれど、チュニジアで出会った人々のことを伝えたいという思いがエンジンになっていることが良く分かる。観光ズレしたエジプトに辟易した著者にとってチュニジアの人々のホスピタリティは感動ものであり、イスラム圏というだけでよからぬイメージを抱いている小世界の人々に是非とも伝えなければならない、という使命感を抱かせたのだ。
それだけではない。旅行中に感謝の気持ちとして持参した物をよくプレゼントしたが、そういった行為が人々を次第に観光客ズレさせていくのではないかという、自らへの行為への反省を述べているのだ。おじさんはイタく関心したぞ。そうなのだ。相手への配慮。私が今身近な不特定多数に辟易している根源はこの配慮のなさである。素人でどこが悪い、と開きなおって堂々とどこの世界にでも自分のライフスタイルを持って行ってゆるぎない。まあ、本人はそれでいいんだし、タマには当てて既成の悪習を打ち破ることだってある。しかし、私のような小心者にはこの手の人達を見るのは耐え難いことが多い。旅行する前にはその国の情報と言葉を勉強するし、とりわけ宗教的慣習には気をつけるようにするのは当然じゃないか。タイの寺院で帽子も取らずに入り込み写真を撮ってた日本人が叱られてたなぁ。とりわけ宗教を畏れよ!あなたには見えないのかも知らないが、日本から出れば神は至るところにいらっしゃる。クアラルンプールの駅で「ビールが飲めないんか」とボヤいていたおじさんもいたなぁ。
曲が終わってもいないのに場違いな拍手をしても気が付かないとか、テレビで「みのもんた」が言ってたと医者にその治療法を要求するとか。どうして素人がこんなにあつかましいんだろう、この国は。文化の大衆化というが、衆愚化はもう見かねる域にまで来ているぞ。私も相当うるさいおじさんなんだろうなぁ。まあ、よほどでない限り、ふつーは黙って耐えてますが。
まあ、あまり書評にはなってないが、このような自分への反省が出来る著者のような感性には救いを感じる。大阪人なのに感心である。
残念なことに1991年の情報なので、もしかしたら今では既に大阪のオバちゃんが大挙して押しかけた後なのかもしれない。まあ、私もできるだけ自分では日本人一般としての責任を感じないようにオヤジ化していくつもりだけど。
中世文学の年代記を真似た文体、スロバキアの、自動人形・自動機械に囲まれた城に住む領主と美貌の娘、招かれてこの世にまだ無い本を作る印刷職人。次第に霧の中からいつか聞いた物語が立ち上がってくる。姫と恋に落ちた職人は領主に幽閉されるが、生まれた女の子は修道院に預けられ10歳のパイカとなり再び現れる。膨大な流れ去った記憶の中からかすかな手がかりが形を現していく。当時も私は印刷屋で透明フイルムに印刷したパイカ尺を下敷きとして使っていた。徐徐に物語が思い出されていく。しかし、その実一向に焦点を結ばない。物語の雰囲気だけが鮮明に色づいている。ここで、過去のデータを調べてみる。一度読んだ本だったんだな。しかし、最後まで読み続けてはいず、物語の初段は闇へと連なり消えていた。しばらく過去を思い出しながら先に進んでみる。擬似古典的な趣味に満ちた物語だ。作り物の世界だが、印刷技術の描写だけが生々しい。次第に物語が上滑りをはじめ、魔術的な雰囲気は薄れていき、ぼんやりとしか像を結ばなくなる。ああ、何だか今回も白濁の中に物語が吸い込まれ薄れていくようだ。おそらく何かが間違えられている。作家のペダンの破綻か、訳者の文章のイメージの喚起力か。おいしそうなのに一向に味がしないのだ。物語の環が閉じられていく。亀を追いかけるアキレスの前に広がる無限分割された物語の行く末の膨大な距離。いくら読んでも終点にたどり着くことは無い永遠につづく物語を職人は物語の中では完成してしまったのだろうか?私は結末を永遠に知ることは無い。本を開く前に物語は既に閉じられている。永遠の向こう側では閉じ、こちら側では開いている。入り込みはするのだが、終点にたどり着くことは永遠に無いのだ。
職人が選んだタイトルは 『−無限の書−』。
図書館の地誌の棚にあった。モロッコ紀行と思って読み始めたが、そのようなのどかな読書ではなかった。モロッコに寄寓し終にアメリカに戻ることなく客死した作家・作曲家ポール・ボウルズをめぐる挑発的なエッセイだった。挑発的というのは今の私にとっての表現で、別に政治的・文学的にとがっているという意味ではない。非常に魅力のある文芸評論である。作品の論評に留まることなく、この異端の作家をモロッコに訪ね、時代や個人の生涯を丸ごと考察していくうちに次第に文化の特異点としてのモロッコが浮き出し、そこに住みつき、再び帰ることのなかった作家の感性の色合いも感じられてくるのである。私はこの作家については完全に無知なのではあるが、時代や国家から常に余所者であったような、それでも別に世捨て人というわけでもなく現地での人間関係も適当に絡めて生きた、この人のこの世とのかかわり方に妙に気が惹かれた。立場は違うが、本書にも比較言及されているアルジェリア生まれのカミュの作品のタイトルの響きがもう一度私の頭で共振する。
異邦人。
うむ。誰がこの日本語訳を思いついたのか今更わからないのだが、フランス語とすれば単に「外国人」という単語にこの日本語を与えた訳者の感性に脱帽する。異邦人。これはむしろExpatrieの訳であるはずだ。どこに居ても外国人なのだが、しかし、実際に常に外国人で居られる場所に居る方がはるかに心理的には処しやすい。「モロッコ」で外国人をする、という時代の雰囲気があったこともある。映画「モロッコ」の時代。この4楽章構成のようなエッセイのタイトルに使われている「流謫」という漢字を入力するのに苦労した。この日本語は今まで見た記憶はない。が、まあ、この「異邦人」の語感に連なる表意があるものと思われる。
四方田はものおじすることのなく世界を飛びまわれる世代の論客で、韓国、米国、イタリア、ボスニア・ヘルツゴビナでお座敷がかかればホイホイと呼ばれて教授をしにいくようである。最近そういうタイプの飛び回る教授も増えたようで、私は既に昨年京都でProffesseur errant (さまよえる教授)の命名を提唱した。なかなか格好よさそうな職業だ。で、この人の文体も相当格好良く、マクラや構成も見事で実に読み甲斐のあるエッセイである。作家論でもあり、紀行でもあり、一種教養小説的な純文学とも読める。ひとつにはこの人の文章には基調になる気分が一貫し、それが一種小説的な雰囲気、というか味わいを与えている。大学では映画史、漫画、国際コミュニケーション論等を教えているという。口八丁・手八丁、腕もかなり立つ教授である。うむ。どうやったってかなわん世代。
ふと、モロッコに行こうと思い、このタイトルに騙されて読み始めたのだが、モロッコではなく、内なる漂白と異邦人への憧れを見てしまった。観光にはモロッコよりもチュニジアかな?
いつ事件が始まるのかと思いつつ、長い背景らしき前置きを読む。しかし一向に始まる気配がない。女性の手記、それも北日本の漁村に住む女性のモノローグである。高村のキーワードは男の世界、それも大都会の下町の昭和30年台風小便くさい町工場で機械油にまみれた男たちが引き起こす犯罪だった。しかし、この作では誰もなかなか罪を犯そうとはしないのだ。いや、そんなことはなかろう。やがて重苦しい社会の裏側から抑圧された人間の情念が湧き出し、歪な犯罪を形作るはずなのだ。
しかし、終に高村は犯罪を書かずこの小説を最後までおし通してしまった。
きわめて古典的な書簡体小説風にきわめて古典的に女の一生を描いている小説だった。
上巻ではいつか高村薫風に「事件」が始まるものと、その気配を探しつつページを繰っていったが、終に何事も生起しないと理解せざるを得ず、ならば投了の態度決定をする時点が来る。しかし、そのときには既に高村の創造する戦後日本のクロニクルの意趣に惹きつけられ、遠い北日本の生活を目で追体験する人工楽園に感染してしまっていた。
見事な創作世界である。
以前から当方よりも年少の高村が、粘着する都会の下町の夜の光景や、高度経済成長期の裏側で、はなやかな経済に乗りきれない中年男の苦味をどうして創出できるのかと賛嘆してきた。これは大阪出身の作者であれば、都会の裏側の下町の匂いも親しいものだったのかもしれないとも考え、当方が一生かけて逃れ回ってきた大阪釜ヶ崎での原体験をちらりと思いうかべもした。
しかし、今回は実際には高村の世代が体験してはいない戦前の地方の日常の子細が描写されているのだ。高村の文学的昇華が来た。自分の見たものを追求するのではなく、自分が見なかったものを文字で創出していくのである。ある特定された時代と社会、そしてそこに生活する個人の感情が、おそらく文学だけが再現できる精度で造形されていく。高村はもはや以前の小説を呪縛していた筋・お話・仕掛けというエンターティンメント的手法をきれいさっぱり捨て切り、その架空の家族の年代記の精緻な創造に淫していると見える。作家の魂が創造へと欲情する。
小説を前に押し出すエンジンだった「事件」を作品から消去し、結果作品を脇から支えていた筆力・創造力だけが小説の核として残ることになった。
この境地はあるいは高村が自分の小説家としての根源的な水脈に達したということなのかもしれない。嘗て大江健三郎が「万年元年のフットボール」で四国の谷間へと創造的回帰を果たしたように。
ともあれ、嘗ての高村らしさはそれでも容易に見て取ることはできる。取材を通して小説の中に組み入れる現実モジュールのマテリアリズム。そして、作中の男達がふと発散する悲哀に過去の作品に登場していた男たちの血流が確かに遺伝していると感じられる。
しかし高村が初めて登場させた女性の主人公は、男達が逃れられなかったステレオタイプからは限りなく自由で、不思議な明るさに満ちている。なるほど、こいつは本当に女性であるわい、と思わせるのである。女性が書かない・書けないと論断されてきた高村の反骨が痛々しくも、ちょっとおかしい(失礼)。もう一言付け足せば、母親が息子への手紙に自分の初潮体験を克明に書き送るなんて、いくらなんでもやりすぎではない?
これでもか!というところまで書いた作者の性格の粘着度はちょっと怖い(笑)。
比較的自由に書かれた野村胡堂の伝記。時として小説風の演出された会話文も混じるが、軽いドキュメンタリーというところ。文学としての含みや文体の面白さはなく、作品としての統一感もあまりない。ここでの読者を牽引するエンジンは敬愛する人物の全体像を伝えたいという意欲である。著者にとって生涯の師となった人物の豊富で雑多なエピソードを次々と語り継ぎ遅滞することがない。若年からの敬愛の念を生涯持ち続ける著者のような人を見かけることも少なくなった。明治の青年達の葛藤のない志向の直線的な発露のほとぼりをこの作品自体にも見ることができる。
私の野村胡堂・あらえびす像を思い出しておく。クラシック音楽に目覚め、ヨーロッパへの憧れを募らせていった15歳の私は古本屋でドボルザークのチェロ協奏曲のスコアを見つける。よく見れば戦前のSPレコードに添付されていた非売品である。45分くらいの曲だが、重いSPレコード4,5枚組で立派な箱に入って発売されていたのだろう。スコアは演奏の解説の後に併録されていたもので、チェロはスペインのガスパール・カサド。我が原千恵子の夫君にあたる、と解説が紹介している。レコードの解説や音楽雑誌・新聞のコンサート評というジャンルは現在とは全く違う重みを持っていたことがその立派な装丁から伺える。解説者は野村あらえびす。・・と私は記憶しているが、あるいは野村光一か堀内敬三だった可能性もある。愛蔵していたが失って何十年の間に著者名が野村あらえびすという記憶に収束してしまっているのは事実である。この人はこういう影響を後代に与えているのである。
明治15年岩手県に産まれた野村長一が、時代の流れにそって流行新聞小説家やクラシック音楽解説者として一時代を築く。コンサートもなく、黒く重い78回転レコードの雑音に満ちた音、もちろんモノラル録音で、ほんの少数の人達だけが接することができた時代のクラシック音楽愛好者の熱気が当方の初期の音楽開眼時代を強く思い起こさせる。不自由だからこそ貴重であり、真摯で殆ど宗教的ともいえるくらいの崇拝の念まで引き起こす。
私はラジオのモノラル放送でこのジャンルへの開眼を果たしたものだ。当時ステレオ放送といえばAM放送でNHK第一と第二、毎日と朝日が時間を合わせ、夫々が左右のチャネルを放送するという擬似ステレオのことだった。すでに「ステレオ」と一般名詞のようにして称されるレコード再生装置があり、AMのチューナーが2チャンネル分付いていた。それ以前は「電蓄」と呼ばれていて、四隅に足もついた重厚な箱である。うっと、小学校の音楽の時間では、手回しゼンマイ式のレコード再生装置を使用していたのも思い出した。こうなるともう電気的な増幅回路はなく、純粋物理的な共鳴管で音量を拡大していたのだ。さすがに昔のビクターの商標にあるようなラッパ式の再生装置は実際に見た記憶はない。
ともあれ、野村あらえびすのような先駆者の解説を当時の読者は、まるで人生を教導する指針のように真摯に読み感動を共有し、西欧や文化に対する憧れと渇望を醸成していった。現在のように簡単に音楽が手に入るような時代ではなかった。
まるで精神修養のような、何事かを学ぶという求道的クラシック音楽フアンを揶揄するのが現在の私の常なのだが、青年が真摯に求道することが悪いわけがない。ただ、現在ではあまりにも硬直した価値感に見えてしまうのは事実だ。
この評伝を読みながら、野村胡堂という人がそういった時代の、いわば葛藤のない直線的でおおらかな精神を体現していることに、現在の曲がりくねった私は魅せられ憧れてしまうのである。
野村胡堂はまた「立志伝」という言い方にふさわしい人で、父の残した負債を結婚後も20年にわたり返済し続けて完済し、あきらめていた債権者に感謝状を書かせる、ということをする。その恋女房も輪をかけたような明治の女傑で、薄給の新聞社員である夫のレコード収集という贅沢病を見定め、自分が日本女子大の講師となって喜んでその浪費を支える。これが後のレコード評論家・野村あらえびすを生みだすのである。やがて銭形平次シリーズで流行作家となるが、その生活や精神はいささかも蔭らず、明治の青年としての生涯を全うする。天才の伝記ではアンチ・クライマックスが常なのだが、野村胡堂にはそのような曲がりくねりはない。自らの資産を苦学生の援助を目的とした野村財団に寄託し、惜しまれつつ世を去る。うむ。この人の人生に何も付け加えることはない。
文体がどうあろうと、こうしたおおらかな精神が生きていた時代のおおらかな空気が文字から染み出し、読み浸る興味はつきない。著者も野村個人の伝記にとどまらず、胡堂周辺の人々を取り上げ豊富な人脈の妙という他はない時代との交遊の様も描いている。友人の金田一京助、石川啄木、後輩にあたる吉川英治や先に記した音楽評論家達との、全く私利私欲のない交流。近隣の前田多門家との家族ぐるみの交流等々。前田兄妹の上の前田陽一は東大のフランス語の先生になるが、私がフランス語の独習用に買った最初のテキストが前田陽一(他)著岩波の「フランス語入門」だったのを思い出した。明治の青年の西欧語学への渇望も密かに私の時代にまでその求道の精神を送り込んでいる。また、この妹の神谷美恵子の肖像も子細され、この稀有な精神科医の事跡を教示されたのは思わぬ収穫だった。実は昨年新たに自分に冠した神谷という姓が日本史的には何らのビッグネームを輩出していないことが多少は気になっていたのだ。うん。これでよし。
類型的な恋愛小説風に始まり、そのうち「何か」小説趣向が始まるんだろう、と思っていた。多分相手の男の過去との隠された接点があり、次第に運命的な出会いの枠組みが明らかになっていく、というような「冬ソナ」風のサスペンスか?と。
半分まで進んでもこの恋愛物語は衒いもないステレオタイプ路線を突き進み、性愛描写でくすぐりはするものの、それ以上「小説をする」つもりもなく古典的恋愛小説の本道をひた走り心中してしまうのである。なんと、こんな真っ正直な婦人倶楽部か主婦の友連載風のステレオタイプ不倫小説風道行文って今時可能なの?と驚きあきれました。はい。それ以上言うことはありません。
唯一気を惹かれたのは女性の視点からの性愛描写だったが、最近めっきり歳くっちゃって、昔たしなんでいた不純異性交遊にもとんとご無沙汰の私には感興ももうひとつ。
かわいそうに、この本は外れた読者に読まれてしまったんだねぇ。すんまへん。
Didier van Cauwelaert : L'Evangile de Jimmy
お、竹下節子女史が翻訳してる。なんと、聖骸布ねぇ。オカルティズムとSFと現代の信仰の諸相のアマルガム。奇蹟はすべて科学的に処理されうると捉える人口と、依然として心の中に不条理な信仰を温存している人口が西欧では拮抗しているようである。タイトルは原題の方がいいなぁ。「ジミーによる福音書」か。以前に同じフランスの小説で「ピラトによる福音書」があった。ダビンチ・コードしかり、こういう題材の求心力は未だ衰えない。教会の影響が皆無である日本のローカルでは想像できないくらい、こういう題材の求心力は強いんだろう。キリストのクローンを現在という文脈で作成したらどうなるのか?クローンであってもキリストは果たして現在の時点でも奇蹟を示すのか?現代人として育ったキリストのアイデンティティはどうなのか?
興味深い思考実験である。この仮定が小説をぐいぐいと前に引っ張っていく。当然政治がこれを利用しないわけがない。政治と宗教との軋轢。
というように大変興味深いストーリー。ちょっと軽薄な現代のイエスの造形も意外性があり楽しい。
適度なエンターティンメントとして進行していくのだが、結局「信仰とは何ぞや」なんて風のほのめかしに収束していく気配が、エンターティンメント性を減速させる。
あまり楽しく読もうとすると、作家の本当に格闘したかった命題はどうでもいいように読み飛ばされてしまう運命にあるようだ。まあ、いいか。
で、よーわからんかったんですが、ジミーは本当に奇蹟を実現させる能力があったんですかい?(^^; 何か最後の収束地点がちょっと、すっきり腑に落ちないんですがぁ?小説としてのブレじゃないですかねえ?
思えば阿部謹也さんの著作も私の人生の初期から時折「西欧」に向かっての刺激を与えてくれていた。西洋中世史の、寒色の不思議な色彩で包まれているような光景に私の魂を導いたのは初期の名作「中世の窓から」に他ならない。苦しくも暑苦しい高度経済成長期の混乱した青春の生々しい現在から見る西欧中世は、あり得べき「もうひとつ別の世界」に他ならなかった。一種さわやかな倫理と森の生活という牧歌的、叙情的な西欧中世世界への憧れを阿部の著作は植えつけたのだった。
西欧史家として一世を風靡しポピュラリティもあり、大学人としても一家をなし一ツ橋の学長まで勤めた碩学に、「差別論」から「世間論」に大きく迂回するという思いがけない展開があり、その新たな命題の展開を知ったときこの人の学者としての姿勢に感銘を受けもした。
一例を挙げればホソーンの「緋文字」を切り口に、西欧キリスト教社会における女性と恋愛のタブーを打ち破ろうとした個性を語る淡々とした、しかし硬質の感性に裏打ちされた文章を読んだとき、通勤車内であったにもかかわらずその文章に封じこめられた情念の質的噴出に直にさらされ、不覚にも涙が止まらなかった。(「西洋中世の男と女−聖性の呪縛の下で」筑摩書房 1991)
論説のような一種静的なジャンルにおいて、このように直接人の感性に働きかけるような文章を紡げる学者とは、どのような内的モチベーションによってその学問の方向を決定していったのだろうか?
安部はカトリック系の教育機関で知り合ったヨーロッパ系の宣教師たちと接し、それまで育ってきた日本の社会環境にどことなくなじめなかった思いが払拭される体験を持つ。
初めてドイツに遊学した時、日本では尊敬する恩師にさえ話さなかった、これからの研究テーマについて、ふと知り合ったギムナジュウムの教師に語ってしまう、というような単純で新鮮な人間の関係を確認する。
これらの人々の精神への親近感がその精神的原点である西欧中世史を調べ始めるのである。しかし、後期の阿部は西欧中世にとどまらず、かつての日本社会に感じた違和感の根源を考察していく。この過程で中世の賎民差別や近代の性差別に踏み込み、やがて日本の人間関係を貫く原理が「世間」と名指すことで説明できると直感し、「世間論」を取り扱っていくである。
いささか単純にまとめすぎてしまったが、この人の学問は単なる知的欲求ではなく、自らが生きている社会と自分との関係を正しく解明していこうという内的必然性が強く働いてい、そのことが学問を衒学化させることのない絶対的なモラルとして働いているのである。
「ここではなく、もうひとつ別の世界があるはずだ」という異世界への憧れだけをバネにして、かろうじて現実の社会に棲息している私には、老いてなおこの現実との調停を一段高次な次元で果たそうとするあくまで真摯な学者の姿勢には、ただ遠くから頭を下げるのみである。
芸術家として理想主義者のフルトヴェングラーと、この高名な指揮者をナチスに取り込もうとするゲッペルスとの葛藤をテーマにした評伝小説。文学的な細工や小説的な演出は特になく、いわば音楽雑誌によく連載している歴史上の指揮者の逸話風記事ののような作品である。ヒットラーの誕生日に祝賀演奏されたベートーベンの第九を演奏しながら、曲想にことよせて両者の心理を語っていく場面が見せ場になっている。シラーの詩そのもののような実に素直なベートーベン風の芸術論義と人間の志向の高さへの賞賛があり、高校生時代に誰でも熱中したことがあるような芸術至上主義への憧れに満ちている。
作者の志向は買うが、小説としての面白みを感じさせるしかけは何もない。
一見観光案内風の瀟洒なカラー写真本。須賀敦子のフランスを題材にした作品への文学紀行である。須賀敦子を知らなくともフランスの田園の透明な大気が感じられる軽いエッセイとして読めるだろう。しかし、須賀敦子の足跡をフランスにたどるリポートでもあり、エマウスの熱心な活動家であったこの小説家の、若年の心の曲折が異国の風景に際立つ。日本の精神風土になじまず、学生として昭和50年代に渡仏した心情を思うと多少痛々しい。今日の安直な海外留学ではない。異国で確実に自分が一人であるという地点にさかのぼるのである。「魂の遍歴」というコトバが似つかわしい求道的な青春があった。そのような彷徨する青春が、あくまで清冽なフランスの大気を感じさせる風景写真の後から浮かび上がる。
晩年の須賀敦子が訪れたアルザス成城学園を著者もまた訪れ、快く職員が見学させてくれる。キーンツハイムの学園の建物は元は修道院であった。この建物に成城学園の分校を開設する時、私は現地の通訳として立ち会った。当時の諸我校長の知己を得、あるとき地元の儀礼的パーティをすっぽかし、辻邦生全集の装丁に使われていたクリュニー修道院所蔵の「ベリー公のいとも豪華なる時?書」のことなど話しながら鉄道でコルマールまで帰ったことを思い出す。辻邦生も死去して久しく、アルザス成城学園も既にない。
どこか当方の青春の彷徨も供に呼び出してくるどこか共通の気分がある。
「人々は生きるためにみんなここへやってくるらしい。しかし僕はむしろ、ここでみんなが死んでゆくとしか思えない」(リルケ「マルテの手記」)とも。
それが明らかになれば江戸幕府体制が基本から揺らいでしまうという、家康の出生の秘密を物語のサスペンスの起動装置にしたのは白土三平「カムイ外伝」だったか。他に「影武者家康」の隆慶一郎もある。この小説は同様な物語の起爆剤として「朝鮮」を持ってきた。江戸期に続いた朝鮮通信使の史実から巧妙に論拠をとりだし、虚実入り組んだ伝奇小説として纏め上げた。エンタティンメント化するための安直な人物像の設定等不満は残るが、朝鮮という視点は新鮮でよくできている。
でも、しかし、白土三平の仕掛けの方が実際のインパクトは強い。江戸時代の国家意識は現在のものとは違う。司馬遼太郎の言では、江戸時代において例えば「李之家」という姓があったり、高麗・新羅の家系でも薩摩の家系というのと同じような感覚だったはずだ。小説中でも朝鮮にあこがれる当時の知識人が登場するように、朝鮮は夷狄ではなく先進国だった。
司馬遼太郎「最後の将軍」は、徳川慶喜の将軍サマとは思えない才人ぶりや、火消しの親方との交流等で示されるような「庶民性」が活写されていて、痛快な作品だった。やたらといばり散らす、いわゆる身分意識というものは、やっと成り上がった階級の思い上がりの産物で、純粋貴種にはそんなものがひけらかすに足るものであるとの意識すらないようだ。徳川慶喜家当主の著者にもこの気分があり、徳川という姓を名乗るとやたらと構えてしまう、我々ふつーの世間の感覚を揶揄する序の文章が軽妙で面白く、つい最後まで読んでしまった。肩の力を抜いた、軽いがなかなかの達意巧妙な文章だ。やはり慶喜さん以来の才人の家系というか。
司馬も上の小説では将軍在位中までの半生しか書いていないが、実は徳川慶喜は33歳で将軍職を天皇家に返すと77歳でなくなるまでずっと明治を生きていたのである。明治維新で将軍は死刑にされたと思っている人もいるのではないか?と著者はいうが、それはないだろ。いや、意識としてはしかし、それに近いかもしれないかな。
この本にはそういう徳川将軍家の明治から現代に至る、ちょっと他では聞けない愉快で意外なエピソードがてんこもりになっている。もうほとんど忘れそうになっているが、昭和の始めまでは公侯伯子男は社会に厳然と制度していたのだ。
この人の、ふつーのサラリーマン感覚の軽くて自嘲気味の今様の文章とその「身分」とのミスマッチぶりが面白い。しかし、よく読んでみると次第にさすがの家柄が透けて見えてくる。縁戚は結局、華族・皇族に連なり、やはり上流階級という会員制秘密クラブは、密やかにわれわれの知らない場所で連綿と続いているという気はするのである。
徳川慶喜家当主の家の事情のざっくばらんな内輪話がこの本の魅力だが、次第と逆説的にとうとう「上流階級」と遭遇しないまま下層に沈潜し果てているわが姿何ぞもちらりと見えてきたりしてしまうのだった。
井上隆雄のカラー写真が美しい堅牢な造本の京都歴史紀行シリーズ。業務上の必要(^^;)にせまられ、最終の第八巻に急いで目を通す。
梅原猛は私が高校時代に出版された・何だっけ?「ニヒリズムの哲学」だったか、にいたくあおられ、熱中した覚えがある。しかし、その後「梅原日本史」で称される日本主義的色合いに恐れをなし、長い間著作を敬遠していた。
うむ、あれから40年か。再び梅原の著作に接し、相変わらずの「わかり易さ」に、あおられそう、とか。これは多分梅原が純粋に私的な視点でものを見、意見を表明していく態度が直接読者の感覚に触れるからではなかろうか?
この書でも京都の禅寺各塔頭を訪れる梅原先生が親しく同行してくれているかのような、生の息づかいを感じるのである。
また、写真のすばらしさもそういう臨場感を高めている。雨に濡れた大徳寺の石畳の美しさは比類ない。遠方から京都を訪れる人たちを案内する日、もし雨になったらどうしよう?と傘をさしてのお寺めぐりを懸念していたのだが、この写真を見ていて開き直りできる気になった。
「京都の雨の日!なんという幸運でしょうか!」
司馬遼太郎はよく室町時代に日本文化が始まったといっていた。梅原先生の案内で見て回る臨済各寺のくすんだ黒と白の建築はたしかにわれわれの美意識の原点にあると私も思う。当時は権力者は力を得ると美を追求したのだ。そして驚くべきことに室町のわずか100年であっさり日本的美意識は極められ、以降未だその高みを凌駕することはできていない。江戸以降の大してオリジナリティのない建築を見ているとそういう気までしてくる。
文化とはゆっくりと熟成していくものではなく、ある天才が一気に駆け上がった境地を時代がすぐ共感するような時期もあったのではないか?それが中世の不思議さである。
私は元来、とんでもなく鼻持ちならない権威主義者である。自分の学歴・経歴がずさんな分、他人には「学歴なんて・・」と嘯くが、東大切符への憧れは複雑に内向化し、抜きがたい俗物権威主義が内部には巣食っていて、自分で自分が常に胡散臭い。だから、こういう安直なHOWTO本を手に取るとは思っていなかったが、職業上の必要とあれば自分に対する言い訳にはなる、というものだ。やれやれ。
ということで仏教そのものに深く踏み込むことなく、社寺の奥に収まっていらっしゃる千の仏様たちの大まかな素性を教えてもらった。
なになに、如来は本来の悟りを開いた仏であり、菩薩は仏になるために願をなし、現在必死に営業されている姿なか?観音さまは変幻自在ですぐ十一面千手を出してしまう。地蔵さんは、六道のどこからでも道案内してくれる?あ、それでよく道端に?
まあ、書いてあることないこと、適当に当方のネタに採用させていただきました。とにかく若い女性向きの、非常に簡易な説明は、ときとして安易と隠れ権威主義者の私は思うものの、それはそれ、読書の容易と速度を大幅に向上させてくれる。仏像図も著作権や白黒印刷精度の問題もあるのか、線画イラストで、有り難みに欠けるが鮮明である。
実を言うと高校時代に密教の曼荼羅に魅了されたこともあるのだ。クリスチャニスムの妙に尖った垂直な宇宙観ではなく、茫洋と水平に果てもなく広がる仏教の宇宙図。56億七千万年後までの救済をシステマチックに配置した仏の体系は、想像力の物量の巨大さで圧倒してくれた。その後、仏教徒とは称していたがさっぱり勉強はせず、専らしつこい「ものみの塔」系宣教師撃退の口上だけに使っていた。
いや、今改めて仏様のシステムの巨大さを鳥瞰し、京都三十三間堂の1001体の仏像のひしめきの切実さを感じた。これでもか、これでもか、というような仏像、つまりは仏の体系の自己増殖の迫力。それだけ救いへの希求が切実であったということか?
まあ、これだけ仏様がいらしゃるのなら、多分私にだって救ってくれる仏様もいることだろう。くたばっていく私の目に、25仏を従えた阿弥陀様が雲に乗って迎えに来てくださるのが見えればしめたもの。それまでせいぜい京都・奈良で仏様達に顔を覚えていただくよう事前運動しておこう♪。
見開き完結、図と説明が要領よくレイアウトされた解説本。見開きのレイアウトを維持するのに、息抜きの「エピソード」というようなカラムもある。これで読者が赤線でも引けば完全に受験参考書のノリである。エピソードのひとつに梅原猛の日本史の「謎」へのまた引きがあり、なかなか面白かった。
このように体系ずけて仏像・ひいては日本の仏のシステムを鳥瞰すると、日本仏教の変遷もそれとなく見えてきたりもする。
先週も京都の寺を商売で回ってきた。三十三間堂の1001体の仏はすべて千手観音だった。1000x1000の宇宙像にも圧倒されるが、歴史上の祖である釈迦そのものよりも、そのリアルな「どんな手を使っても必ず救済する」という万能の救済者を作り上げ、それにすがりつく想像力のメカニズムの意味するところも興味深い。
釈迦の教義は原型にあったにしろ、庶民は千手観音の奇妙なまでにデフォルメされた救済のイメージを信じ、あこがれたのである。
清水寺でも釈迦堂の釈迦像には誰も参拝者はなく、本堂(千手如来)から奥の院(千手如来)へと急ぐ参拝客の単なる通路になっていた。
28部衆や毘沙門天のようなインドのサンスクリット・ヒンズーの神もすべて取り込むのは仏教のやわらかさにもよるが、とんでもないエライさんよりも、喜怒哀楽を浮かべる身近な神をひいきにしたい、という気分はもしかしたら判官贔屓という日本の心精によるところもあるのではないか?とも。
拳法の達人でF15のパイロットでもあり、職業は臨床心理コンサルタントという魅力的なスーパーヒローをエンターティンメント活劇に持ち込んだシリーズの続編。F15のコックピット内での描写や、深層心理を操る技術というような異色の職業の仔細が読者に爽快なの自己拡大感を味あわせる。その着想は楽しいが、物語の進行は世界征服を企てる悪との戦いという、ど古典的ステレオタイプ活劇である。しかし、そういう通俗パターン自体も安心できる娯楽を成り立たせている要素であるかもしれない。水戸黄門の印籠・遠山金四郎の桜吹雪・スパーマンの赤マント、そうそう、いつものそれ。だから、別に批判するつもりもないのだが。私の好みからすれば人間に対する認識をゆるがすような思考実験にふみこんだ本格SFを読みたいもんだ、という飢餓感を募らせられてしまう。
「きれぎれ」「人生の聖」の二編の中篇を収録。
たしか町田が芥川賞を受けたのはこの後だったと思う。心斎橋を歩いていて本屋で文芸春秋を立ち読みし、芥川賞の発表を見た。受賞者の経歴に私の出身高校名が書かれていたので、そのとき同行していた今の妻にそのことを告げた覚えがある。ただし、作風がどうも食欲をそそらなかったので今まで読んだことが無い。ちょっと達者な戯作者もどきの文体で、ちょっとワルな若者が自分の無頼的で刹那的な日常を語っているという印象だった。そういう言葉の遊びも嫌いではないが、そうだとしたら筒井康隆ばりのハチャメチャエンターティンメント風の遊びであるべきで、この若者のは妙にシリアスな語りのような気がし、すでに守りモードの人生に入っていた私には刺激過剰に思えた。若者の新しい表現へのエネルギーに付き合うには、もうすでにかなりくたびれていたのである。
この2編では「人生の聖」が、異様に長いセンテンスを多用した実験的な文体で、面白いとは思うが読み続けるのはしんどかった。しきりに誰かの文体に似ていると思わせる。野坂昭如か?たしかに。まあ、野坂の文体も関西の語りの伝統の意識的な模作なので、これは古典上方文化の継承と言えるのかもしれない。しかし、その饒舌のどうしてもくっきりと切れない語り口は、整理のし様もない散文的な日常の生の感覚を語るにふさわしいのかもしれない。我々の会話も思考もただ雑然とした日常性の中でうごめいているだけで、一向にくっきりとした、あるいは心が洗われるような清新なイメージに収束することはない。しかし、そんな雑漠な内面を描写して一体どうだというのだろう。あくまで私が本に期待するのはAnywhere out of the worldへと連れ去ってくれる虚構の仕掛けである。こうでしかない世界を克明に描写しても何も見えてくることはない。
しかし、まず本の構成にしたがって「きれぎれ」を読んだ。はるかに完成度が高い作品だった。「人生の聖」では実験臭がきつかった文体は、この作ではほどよい錯乱と軽いユーモアを含んだ自在な表現道具になり、この文体でしか行けない地点へと案内してくれるような風でもある。ばかばかしく愚かな日常を、こういうふわふわした文体で表現していくことで見えてくる地点もある。自分の文体を持っていることが小説家であることの基本条件だと私は考えているが、町田はそういう意味では合格。ええ、立派な作家です。この文体を使って、まあ、行ける所まで行って欲しい、と、応援しないでもない。なんせ、母校出身の唯一の現役小説家だもんね。
白イルカと戯れる著者の写真がカバー見開きに掲示され、そのさわやかなイメージに惹かれて読み出した。のだが、残念なことに読書の醍醐味には至らないという評価である。文体が月並み、ストーリに意外性も新味もなく、主人公の役割が中途半端。おまけに全体の流れにまったく影響しない余計な主人公の性的回想のような場面もあり、著しく求心力に欠けたミステリといわねばならない。沖縄近海の島のリゾート開発をめぐる小説舞台である、わずかばかりのダイビングやイルカ飼育にまつわる情報だけが、だらだら読書をつづけさせたのだが。どうもミステリに期待されるサスペンスや興奮が希薄である。
内容全体の重量を持ってしても、カバー見開きの3X4センチの写真の吸引力を凌駕できてはいないのである。
これに主人公に魅力的な女性タレントを充てれば、テレビのシナリオならこれでいいのかもしれない。ごはんを食べてる間にさらりと流して見ることができるのかも。
しかし、読書に期待するのはテレビ映像の口当たりのよさとはとは違う。スムーズな映像と紋きり型のストーリではなく、本を読むことの楽しさが何であるのかをこの作家には考えてほしい。
巻頭に要領のいい中村元の仏教・仏像の起源の解説があり、その語り口の平易さに思わず紀元前の中央アジア・インドの世界に引き込まれる。カニシカ王が鋳造させた貨幣に世界最初と見なしてもいい仏像が刻まれているが、なんとそこにはギリシャ語でBoddo(仏陀の音訳)と記されている。こういう古代世界の空間的拡がりが、こちらの精神の風通しを非常にいいものにしてくれる。
全体に7名の著者達が夫々のカテゴリーの仏像の解説をするのだが、玉石混交でサンスクリット音訳の漢字を並べただけの文があるか、と思えば、テレビ番組の卑近な枕から始め、ユーモアを交えたすっきりとした分かり易い解説をしてくれる著者もいる。(津田真一・不動明王の項とか)後ろの著者達の経歴を見るとすべて東大印度哲学の出である。
東大インテツ。ああ、そういえばそういう世界もあった。全国のお寺さんの子女の中でも優秀なのや、ちょっと変わった哲学の輩が目指す場所で、中心にその中村元博士がデンと鎮座しているのである。で、多分お寺さんの優秀な跡継ぎ息子の場合が、よーわからん固有名詞の羅列を書き、経路の変わった哲学青年が私にも良く分かる卑近な例(たぶんコレを仏法では方便という(笑))の面白い説法を聞かせてくれるのである。上記の津田さんは真言学を勉強し伝燈大阿者梨になってる、「要するにかなり偉い」密教僧であるそうだそう。
まあ、ちょっとした興味で再び仏教本を読むようになったのだが。仏教には古代サンスクリットやヒンズーあるいはもっと土俗の神々がいつの間にか混在をはじめ、とうとう現在のような複雑怪奇な仏様の体系になってしまった。もとはといえば、純粋に哲学的な観念だけがあったのである。お釈迦様は何も具体的なことは言わなかった。いや、言葉もださずただ「蓮華微笑」したのみである。それが時代を降るにしたがって仏の体系が付与され、得体の知れない魔物までが参集し神格を与えられ、いつしかたとえば標準日本人よりもはるかに伝統に無知な私の深層にまで言葉としての「韋駄天」や「修羅」とかが埋め込まれているような具体的イメージを伴って実体化している。その歴史的文化的総体が仏教である。SF的空想を誘うのが28部衆の各イメージだが、そのサンスクリットの漢訳を見ていると、こういう仮説も浮かんでくる。
「あほんだらぁ」というのは大阪で一般的な罵倒語だが、これは「阿呆」さえ神格化され「陀羅」の称号を得た晴れの姿ではないの?知らんけど。
カード賭博の詐欺師達をへこませる元プロを主人公にした短編ミステリのシリーズ。転向した天才的詐欺師の主人公に配するに、子供っぽい一本調子の正義感で失敗を重ね、最後には主人公に登場を懇願するワトソン役の友人である若き資産家もいるという、エンタティンメントとしての定番の趣向がなかなか小気味よい。主人公が悪党をへこませる種明かしをするクライマックスが水戸黄門の印籠であり、遠山金さんの桜ふぶきというような、お馴染みの大団円になっているのだ。
この小説の舞台になっている、1920年代のアメリカの社会には成功した老実業家や、誇り高い退役軍人、成功を信じてうたがわない青年実業家が会員になっている社交クラブ、またそういう人々からの一攫千金をねらう賭博師というような人物が登場し、エンタティンメント性に一種のノスタルジックな色がついている。
こういったミステリの趣向そのものもシャーロックホームズ風の推理小説の伝統を意識したスタイルであるともいえるだろう。おおらかな時代を感じさせる上品なミステリである。
脊椎動物が陸に上がり、哺乳類に進化し、更に水に返りクジラになる。これが正に大進化。その変転の歴史のスケールに思いを馳せると、容量の限られた私の頭は、はるかな時間の膨大な経過に茫洋となる。その圧倒的な大きさへに感応する一瞬の灰色物の質飛翔がこの化石考古学の解説書を開ける毎日15分の楽しみだった。別の言葉で言えば、そんなに大著というわけでもいないこの本を通読するのにほぼ4週間かかってしまった。図書館の借出し期限を一回延長してもまだ足が出る恐れがあった。細かく読むとページが進まない。進化に関する考古学者達の論拠の検討について行くのは遠慮した。ただ学者達の生き生きとした業績の紹介とインタビューは楽しんだ。
海から陸、陸から海というこの進化の劇を著者の案内で見ていくと、進化のチャンピオンは人間ではなくクジラではないか?との思いがしきりにする。とりわけ、最小の生物プランクトンを摂取する独創的な食性を採用することで、逆説的に史上最大の動物となったヒゲクジラなんて進化の極北ではないか?この本の記事に沿って、雑多な空想が絶えず去来する。イルカの知能が喧伝されたが、予見されたようには「人間とイルカの哲学的会話」は進んでいない。それは人間の側の無意識の思考の擬人化が障害になっている、と著者は言う。うむ。人間型以外の思考法とはどんなものか?おそらくこの言語の内包する情報から来た世界像ではなく、イルカの感覚器官・ソナーの特性からくる世界観とは?と、当方の頭脳が雲状に散開する。ちなみに、イルカのソナー知覚は視覚によるよりはるかに精密で、遠くの魚の内臓構造まで知見できるということである。・・って、一体どんな世界?その他、ダーウィン的でもなく今西的でもない最新の進化のイメージや、進化かならずしも「進歩前進」とは限らないというような事例に、読み進む楽しみは尽きない。
訳者も著者に劣らぬ科学ジャーナリストらしく、日本語で表現された内容の的確さはまったく危なげがない。このような理系専門分野の訳書に散見する「たぶん誤訳だろう」という箇所はまったく無い。いや、それどころか学者のインタビューの会話文がうますぎ、あまりに流暢に過ぎるが返って気になったりもする。つまり、NHK海外ドキュメント風の定型会話文体に見事に収まっているのだ。なんで女性だったら『そういう研究はできますかって教授に聞いてみたの』であり、男性だったら『平べったい骨の断面がみえたのさ』に収めないといかんのか?その辺、訳者の芸があまりに伝統的過ぎる。私はこーゆーのは、ちょっとやだね。
いやぁ、時間があればゆっくり楽しみたい内容である。いや、時間はあるのだが、図書館の借読では4週間が期限なんで。じゃ、自分で買えば?ということなんだが、それはその。被扶養者生活予算の関係というか。
700万年前、この種が枝分かれし地球の歴史上20種にも及ぶ同類が見え隠れする。しかし現在ではわれわれホモサピエンスしか残っていない。つい3万年前までは確実にネアンデルタール人と共存した10万年があったのだ。それも闘争し駆逐したのではなく、確かにお互いを意識しながら共存していたのだ。
このタイトルには自分達の種が孤立していたのではなく、多くの親戚がいたという親しい仲間意識がこめられている。この今は消えてしまった人類の先輩達の歴史の要領のいい現時点での研究成果と、それを解明しようとしている先人学者達のプロフィールである。
何を持ってホモと呼ぶか。大脳の容量と二足歩行。確かにある時点で大脳の容量は飛躍的に増えたことが示される。この原因はおそらく狩猟生活をする上でのコミュニケーション能力の必要からとされる。それが芸術と宗教感情をも生む。この2つの特性は社会という前提があるのか。私の中にどうしても存在するる社会との違和感の根因は何に由来するのか?もうひとつ別の考え方・感じ方、世界観を自分の脳髄の中にビジョンとして実感したい。このとき、まったく別の人類、ネアンデルタール人の脳容量が現代人よりも多かったという事実が私を駆り立てる。彼らはわれわれには与えられていない脳内部位で、われわれには考えることもできない考えを考えていた。論理の因果関係と計算で成り立つ世界ではなく、生活には何の役にも立たない思索に浸ることで彼らは生きていたのだ。ということは無かったのだろうか。いや、そんなことはないだろう。しかし、人類はわれわれだけではなかった。この事実は「これでしかない」世界に生きている私に。もうひとつ別の世界もあったという密かな安堵を与えてくれる。
人類は君達だけではない。あなただけが人類ではない。もしかしたら、私の同輩がどこかにいるのではないか、という希望と連帯が、脳内のあり得ぬ場所で密かな光を放っている。
一応、研究社「ラテン語辞典」は持っている。しかし本気で勉強しようと思ったわけではない。ラテン語の辞書が書棚にあるということが、なんともアカデミックでしょ?という悲しい安サラリーマンの散文生活の開き直りだったのだ。
実用目的でラテン語を学ぶ人はいない。すでに西欧中世でもそうだった。ラテン語は、非実用世界に身を置いている人々の排他的業界用語であるのだ。
どう?ラテン語の習得って、退職後の「黄金の10年」のメインテーマにはふさわしいとは思いません?もう実用にならないけど、精神は生きてまっせ。圧倒的なローマの文学に分け入り、古代の精神を味わってみる、これこそ究極の余暇では?と、志向だけは高いのだが。
ラテン語あるいはローマ帝国の文化的歴史的位置からはじまり、言語としての特色や世界の文化に及ぼした影響、キケロ、カエサルを含むラテン文学のビッグネームのプロフィール、単語の薀蓄、その他いろいろ。なかなかテンポラリーな雑談もあり、面白い語り口である。意外な指摘もある。ラテン語には冠詞はなかった。定冠詞、不定冠詞は後継言語の発明だそう。西欧語では必ず数の概念があるのは、基本的な文化による発想の違いと思っていたが、それはローマ時代ではまだ確立していなかった、ということか。
ラテン基本語彙のDNAが、特に現代の英語にどのように発現しているのかというような実例が豊富に紹介されている。action とか animaとか。特にanimationから日本語アニメとなり、それが西方に逆流し現在animeとして英語に加わっている、というようなハナシは、とにかく面白い。語源に興味のあるものにとってはある程度は英語やフランス語から透けて見えてはいたのであるが、やはりこのように列挙されてみるとその影響はあなどりがたい。いや、決してあなぞってはいないのだが。例えばセネカが造語したQualityというような語が2千年も基本語彙として生き延び、現在でも発想の根幹として世界に影響を与えている、というような指摘には一種の爽快感を感じる。天才がある言葉を発想し、そしてそこから文明の根源的な精神がはぐぐまれる。うん。これはかなりおいしい話でもある。よし。かくなれば、当方だってまぐれの造語で、以降の世界史になんらかの痕跡を与えることも不可能ではない?おい、待て。非実用の人生を旨としてたんじゃ?
ただ、贔屓の引き倒しのような匂いもある。たしかにラテン語は豊穣な造語力、屈折語の特徴である厳密な語尾変化規則があり、ユニバーサルなコミュニケーションを担える能力はあると思えるが、それはローマ帝国の政治力に支えられていたからではないか?
翻って「日本語は、その歴史のなか単語をどんどんふるびさせて別の語と置き換え、すててきた言語である。」と書く。しかし、これは言語の内在する固有の特質のハナシではない。膠着語日本語では、いかなる単語も格助詞等を付け足せばその言語体系に取り入れられるという利便の裏側からの指摘に過ぎないのでは?
ラテン語史。言語もこのようなメジャーで長い命脈を持っていると一国の歴史よりも興味深い。
引きこもり、ストーカー、ネット社会でのコミュニケーションや他人との位相の突合せ(自分でもちょっと意味わからんが)。この時代の少年にまつわるキーワードで構成されたクロスワードパズルを埋めていくような小説の作風だった。環境というキーワードの裏で「日本」にこだわる佐渡トキ保護センターの欺瞞性に注意を向けられたが、それ以外の小説内での展開はかなり類型的な危ない少年期の社会病理・心理を描く小説。今様のキーワード群を消去すればいつか読んだ小説群とまったく同じ印象に紛れ込んでしまう。凡庸なという以外にはい。
小説としてのクライマックスに突如見知らぬ米ポップが流れる場面で完全に失敗してしまっている。『ミラのスピーカーから聴いたことのない歌が流れてきた』として、たっぷり2コーラスの英文が引用されている。「聴いたこともない」英文がかくも鮮明に書き取れるのか、歌詞の内容は単に暴力に走る若者の告白で、小説のテーマのあからさまな明示であり、興ざめする。そして読者が聴いたことがない音楽を小説のクライマックスの要素として読者に想起させるのは作家としての怠慢ではないか。
残念ながらこの作家は却下。
グレシャムの本はおいしいくて、ほとんど害もないので食がすすむ。ひょっとしたら再読かもしれない。加齢効果で再読しても、それとはわからないのでいつまでも楽しめる。呆ければそれだけ楽しみも増えるというものだ。
見事に9千万ドルを着服し、まんまと逃亡した第一作もそうだったが、頭脳だけを使い大金をせしめるストーリーに自分が同化するのは、宝くじで当たったようにうれしいことである。ここに司法取引なんぞというアメリカ的実利主義の産物があり、手際よく大勝すればすべて合法としてしまえる、勝者を手放しで賛嘆する国民性もある。ドミノ倒しのように仕掛けた法的作戦が機能していき、最終的な勝利に持ち込んでいく過程の爽快さ。そして、最後にやってくる思いもかけない小説的どんでん返しの、予定調和的満足感。頭脳を駆使して勝ち上がる主人公はアメリカの夢の実現者なんだが、実をいうと本当の主人公はグレシャム本人である。たまたま開いているle nouvel Observateur 2007.7.26の巻頭記事にグレシャムのプロフィールが紹介されている。実は9千万ドルを着服した弁護士の物語を書いたグレシャム本人は実に5億ドルの資産を実際に稼いでいるのである。私なんぞは5億円でもあればもう一生何もしないで遊び暮らすのだが、実際はもっとちゃちな月10万の年金で遊んじゃってるのだが、こういうとてつもない金を持っててもやはりグレシャムは更に本を書く。そういう金と作家にまつわる生活を空想することも、小説同様に楽しい付録である。
ここで確認、やっぱり再読だった^^。私の人生も貧乏だけど楽しいな。
コンラッド・ローレンツやデスモンド・モリス、リチャード・ドーキンス等のタイトルや著書の内容を思わせる書名である。内容も同じくらい独創的で興味深い人間の行動の観察と洞察が展開され、面白い読み物である。ケータイに馴染んだ世代をサル呼ばわりしてくれるのは、メル友は奥様一人の私なんかには胸のすくような一刀両断振りである。うん、この世代はあらゆる公の場所にも頓着なく、すべて「私」の場所と見なして行動するメカニズムの解釈に深く同意。その他、ほとんど一生家族内ですごす、サル化する日本人という定義に大いに納得。また、「私の場所」にしてしまうことができない者が自閉症になって「私」の中に閉じこもるというのも見事な論理的帰結である。翻って、このような「私」が充満する日本で「私」を見たくない私がどうして生きにくいのか、存分に得心。しかし、あまりの一刀両断ぶりに、時として掲せてあるユニークな実験の結果を見ていると、結果をあらかじめ予測してから、案出した恣意的実験ではないのか、と勘ぐってしまう。面白いことを実験したり研究テーマにする学者もいるんだ。阪大の例の「人間科学部」の出身で京大の霊長類研究所認知学習分野の教授になっている。まあ、あたらしいタイプの学者ですね。ネットで著者を検索すると、そのあまりの一刀両断振りへの批判もあるようである。いや、結構結構。論戦・揶揄嘲弄のサル芝居、大いに楽しませていただくぞ。
松下幸之助の伝記。同郷(和歌山)の偉人というスタンスで語りはじめ、直線的にこの20世紀の日本を代表する人物の事跡を描いていく。別に文学的な装飾はなく、素直な筆致である。大阪人は毎日豊臣秀吉と松下幸之助の気配が染み込んだ空気を呼吸して育つ。私も長年この偉人が創業した会社関連で働いてきたし、その後も福島区大開1丁目児童公園の松下電器創業の地の碑の横で、義父の三輪自転車の練習に付き合ったりした。大阪は豊臣秀吉と松下幸之助さんの城下町である。
いまさら伝記を読むこともないと思ったが、その実この人物の「産業報国」の精神については良く知らないのである。よく知らないが常に「ウソ」くさく、「バカ」らしい印象を持っていた。しかし、この伝記を読んでやはり、松下幸之助の精神は日本産業創業期の高揚した世相に感応し、またその時代の精神に大きな影響を与えていった「本物」であった、と納得できたのだ。しかし、私の目に映った松下幸之助の影響にはすでに大きな時代の違いがあったのだ。
私が実際に松下の工場で働いたのは20歳のときである。しかし3ヶ月ももたなかった。労働に、ではなくて、その精神主義についていけなかったのだ。工場の労働はどちらかというと面白くもあった。一度工場の反対側にあるセクションに必要な備品を借りに行ったことがある。物が移動していくベルトコンベアーをまたぎ、積み上げられた道具の横や、まったく人影もない隅をまわり、機械の物陰を伝い、見通しの良いオフィスとはまったく違う世界に降りていくのである。地下の帝国。騒音の中の孤独。確かに、そのような機械に囲まれた20世紀のユートピアへの期待もあってその職に就いたと思う。しかし、実際の松下の工場はそのような孤独な少年の夢の城ではなかった。やたらと労働以外のことがうるさかったのである。松下の理念を唱和する「朝会」であるとか、「生産管理」からの「話」であるとか、職長からの指導であるとか。なんだっけ、多分そのねずみのようなイメージの職長のねちねちとした精神訓話に単純に反発して、あるとき「そしたら辞めます」と言ったのか。それから事務セクションにいって退職手続きすると、面接の時に会った工場長がいた。私の顔をまだ覚えていた。他の人には聞こえないように「ここは君のような人が来るところではない。二度と来ちゃだめだぞ」という風なことを言った。私には「インテリの自嘲」に聞こえた。この人は義務としての労働をしている。産業報国の大儀で働いているのではない、と思えた。
旧日本軍では大義名分を頭から信じ、兵隊に温情の鉄拳制裁をするのはたたき上げの下士官や兵長であった。ナチスの大儀を愚直に実行し、激しいユダヤ人の排撃をしたのは実はドイツ本国でよりも、オーストリア等のナチスに後で服属した地域の方が酷かった。こういう下士官クラスの愚直で暴力的な率直さへの被害妄想が、その後も私の社会との折り合いの悪さの中心に居座っていた。もちろん、「上」に気に入ってもらうための演技であったのかもしれない。しかし、単純に「上」から押し頂く大儀を受け入れ、正義の実践であると信じて疑うことのない善意の下士官・兵長が大部分だったのではないか。
この伝記によれば松下幸之助の「産業報国」の精神は嘘ではない。そして初期の松下の「店員」はこの店主の率直な「生産することで人々の生活を豊かにする」精神に共鳴し、店主と同じ熱意を持って働いていたのではないか?と見える。「時を得た」とも言える。20世紀は電気と物量の時代だった。確かに生産によって貧困が解消し、生活が豊かになった。しかし、私が松下で働いた東京オリンピック後の日本では、すでに生産と物量に流されていった生活への反発がすでに生起していた。下士官や先輩模範工員は松下幸之助の精神を引き継いでいたが、一部の管理職や日本の国益に何の関心もなかった私のようなフリーターには単なる経営戦術上の方便としか見えなかった。
松下幸之助は1990年に死んだ。今幸之助が生きていて20世紀の物的豊穣を目指した社会が崩壊しようとしている21世紀を見たとき、相変わらず「生産することが国に報いることである」と言うだろうか?
マッド・サイエンチストもの短編集。これはおふざけSFによくあるテーマである。したがって、どれもこれも最初の一ページを読めばオチまで見える類型的な印象である。「日本沈没」した現代日本が一万年後に発掘され、学者達がまことしやかに「古代」日本を的外れに再現する「鼎談日本遺跡考古学の世界」がわずかに清水風パロディであった。しかし、そのテーマもブラッドベリか誰かのSFを思い出いださせる。宇宙船が動物園に着陸し、地球人のサンプルとしてサル山のサルを捕獲して帰っていくヤツとか。
あくまで軽い内容と文体で、一応清水義範の本を読む目的は果たせるかとは思うが、パロディに毒がまったく見られないのは残念である。毒のないパロディなんて、単なるおふざけに過ぎない。ちょっとこれでは食い足りないよ。
ドイツ文学者池内が歩いたドイツの小さな町の話。紀行というまでには至らないワンポイントの紹介文で、逆に普通の旅行案内には書かれてなさそうな町や、ちょいと大きな都市でも、普通は知らないような逸話ばかりである。簡潔な文章で一話完結、つまりはちょいとしたオチもある新聞日曜版用の記事が原型らしい。ドイツの小さな町を訪ね歩く楽しみ満載、気分満載。例えばシュバルツワルトの保養地フロイデンシュタット。私もバスに乗って通過した記憶が蘇る。森と湖。中世の遍歴する徒弟。領主の館と農民。ドイツの田舎を歩き、人と話し、建物の由来を読む。うむ、こうしてはいられない。当方も早速ドイツに行って歩きまわらねば。と思うが、それもおいそれとはかなわず、ドイツ語まじめにやろうと決意を新たにする。
池内さん、ちょっと一言。シグマリンゲンの項で土地の人にこの地に最終的に亡命したペタンのことを尋ねたら「ああ、薬局のおじさんね」と応えられ、「近くにそういう名前の薬局があるのだろう」としてますが。それはないでしょう。ペタンはビシーの親父だったし、普通は「ビシー水」から薬局を連想するんではないでしょうか?
いわゆる団塊の世代、私と同世代の著者である。豊富な退職後の過ごし方の事例が紹介されている。概して収入にこだわらない「仕事」をし、現役時代とはまた違った意味を暮しの中で見つけている老人達の事例が多い。自分のすべきことや、適した場所を見つけた成功者というわけだ。確かに、私なんぞも「趣味で生きる」と自分で意気込んでいたワリには「趣味」もたよりにならないという実感もある。毎日忙しい中で、「ヒマになったらアレもしよう」と思っていたのだが、やれヒマになれば、もうそんなにしたいとは思わなかったり。やってもやらなくともいいという活動では、モチベーションが暫時下がってくるのである。やはり「仕事」としてある程度義務や責任が生じる活動でないと、生きている「誇り」を自覚するまでの内的な使命感が生じない。
それにしても、団塊の世代は『何か』社会との繋がりの中で自己確認する癖があるような気がする。学校でも社会でも絶えず競争し、他人と比較されて働いてきたのだ。競争する上での習い性となった、資格取得のための向学心も高い。この人達が退職し、おとなしく家で自足できるわけが無い。自分は他人との関係性において自分なのである。
だから退職しても「何か」社会と繋がる行動をしていなければ自分が「保たない」のかもしれない。
事例についている「元大学教授」や「元管理職」「元大企業の技術者」という肩書きは、この人たちが社会の中で成功を収めてきた層である、と読み取れる。いわば定年によって強制的に社会との繋がりを組み替えられてしまったヒト達ともいえる。社会的活動を続けることによって、精神や肉体を刺激し続け、あくまで自分という個人を社会の中でできるだけ長く保っていこう、それが生きる意味である、という価値観が読み取れる。
しかし、私のようにどうしてもうまく「適合」できず、脱落していった人や、自発的に社会との関係を絶った層もあるのではないか?そういう軟弱層の老後の事例を集めていくと、また違う傾向の鳥瞰が得られる気がする。
私自身の老いの理想のイメージはこうだ。
静かに自らの肉体の衰弱を眺め、精神活動を低下させ、存在を希薄にして社会から忘れられ消滅していく。退職後まだ一年の私には、社会から蒙った痛みの印象の方が強烈である。やっと退職できたのだから、もういいだろう。私は「社会」を忘れたいし、「社会」からも忘れてほしい。なんていう非社会的な性格で、天邪鬼このうえないが、なんとなくまだ「何か」社会サマと付き合っていかねばならん、と思うのは億劫なのである。もちろん、積極的に消えてしまいたいとは思ってないのだが、積極的に繋がっていたいとも思わない。定年退職で「あんたはもういい」と社会サマから言われたのなら、はい、ほんじゃ、帰っておとなしく家で寝てます、うれしいな^^、というところなのである。
ジャーナリスティックな取材に基づいたハードボイルド小説の書き手。力量は認めるのだが、私の好みよりは物語が固ゆですぎてあまり合わない印象がある。この作も多少主人公の性格が「自衛隊」過ぎ、体育会系固ゆで気味で喉に多少ひっかかる。とはいえ、国際的な人道主義を称する援助の欺瞞や、売春、エイズ、汚職が蔓延するカンボジアの現実を小説という形で明るみに出し、中国やベトナムの繁栄の裏で、もうすっかり国際的に忘れられてしまったこの国の、決して忘れられない現代史をもう一度確認させるような生々しいフィクションに仕上げている手腕はさすがである。
しかし、主人公群の性格が絵にかいたようなステレオタイプばかりで、筋立ても活劇にひきずられて幾分粗っぽい。また、日本人主人公グループの中の2名の役割も小説として生きているとは思えない。面白く読めるのだが、やはり最後にごつごつした印象が残ってしまう。
「なんとも浮世ばなれした物語」とは作者の弁である。17世紀のインド洋に出没した海賊船の船長の冒険譚。別に強い主張があるわけではなく、昔のイギリス東インド会社当時の懐古気分と適度な波乱万丈の物語。そんなに興奮して読み浸る程ではないが、木の陰で涼を取りながらの2、3時間は過ごせるくらいのストーリーへの求心性はある。この現在からもうひとつの昔の海賊物語を作成するには、かなりの「学」の支えがいるんだけど、それは感じさせない。このイヤミにならないぺダントリーは、もしかして大変な芸であるのかもしれない。
私立探偵飛鳥井某がプロらしい推理を展開する中篇2編と作者のハードボイルドについてのエッセイ、インタビューと笠井潔小論が載録されている手になじみやすい装丁の本。テレビも面白くない無為な夜に恰好の分量である。
派手なアクションのないアームチェアー派の私立探偵であるが、正当推理小説の系譜のディレッタント探偵ではなく、適当なお仕事か、という職業人である。推理の展開自体は別に新味はないが、同世代としての生活背景や知人の好意で提供してもらった軽井沢のログハウスですごす年末休暇のマクラ等が妙に親しい感覚である。中年独身、会社勤めはできないが、さりとて商売するほどの山気もない、とかの。
笠井潔は同世代で、1970年の騒然とした全共闘運動のシッポがどこかに見える。パリ、カルチェラタンの匂いもする。私は「哲学者の密室」でいきなりこの作家に頭を殴られたのだが、その後は別に特に襲ってくる気配はない。今回笠井もまともには大学に行っていないのを知り、作家として別の側で同世代をやっているヒトという共生感を確認。『戦前ではドグラマグラ、戦後で「虚無への供物」』なんて挙げているのを読むと当方の杜撰な20歳の彷徨も蘇る。ひょっとしたらあの時新宿の深夜喫茶で一緒だったかも。かすかな青春の記憶。うむ、書評にはなってないな。
金庸式武侠小説については今まで語ったことで十分である。この作は主人公の逆境が過ぎ、派手な立ち回りが少ない比較的地味な作品。巻末に作者の少年期の回想のエッセイがあり、主人公のモデルを語っている。一昔前の中国では実際に冤罪あり、賄賂あり、搾取ありの悲惨な物語に事欠かない社会だったのだ。そして作者の祖父のような人徳家も腐敗の対極に出現する。もちろん、絵に描いたような爽快な神業的立ち回りは荒唐無稽で真っ赤なフィクションであるが、骨子になる人間の悲惨と高潔は嘗ての中国では小説と紙一重のところでしかと存在していたようなのだ。現在中国のダイナミズムは、そのような小説的現実を生きてきた人々が描く、もうひとつの壮大な物語である、というような想念がふとよぎる。
昭和47年発行の著作である。かなり専門的な内容を扱っているのだが、時々若い著者の熱気があふれる文が混じり、そのあまりにナマナマしい情の発露に煽られて一気に最後まで通読させられてしまう。ああ、成るほど。20歳になる前に著者の本の一冊を読み、その熱気に感応し、妙に哲学づいたりした。こういう熱気が若者を興奮させるんだ。その後残念なことに私は哲学や宗教とは無縁な場所で、ごく散文的に人生を消費してしまい、梅原さんの影響もかすかな熱のほてりの記憶だけとなった。確かにこの人は30年前には一種のカリスマであった。当方奈良に居住しながら法隆寺を訪れたのはごく最近、それも職業上の必要からだった。金堂の釈迦三尊、五重塔下の涅槃塑像、宝物殿の百済観音や玉虫厨子、それに実際には見ることのできなかった夢殿の救世観音+中尊寺の結跏趺坐の菩薩像等、確かに京都の寺では束になってもかなわないスーパースターがずらりと居並び、圧倒された。表面的には奈良観光のチャンピオンで常に修学旅行のガイドさんの声がかしましい。しかし、ガイドの資料を検索していくと次第とこの寺の一筋縄ではいかない隠れたミステリーが姿をあらわしてくる。そして最後には梅原猛のこの本を読まないと法隆寺を語れないと示唆されるのである。なるほど。そうかも知れない。法隆寺が聖徳太子の霊を封じ込めるための寺で、為に中門の真ん中が柱で封され、救世観音は実は呪詛の人型で、絶対秘仏として実際に明治のフェノロサがナイーブな美術家として開示を強要するまで一千年以上も白布にくるまれてあったのだ。そうかもしれない。私の高校時代でも古今新古今とくらべ「万葉のおおらかさ」を教えられた。しかし、日本の古代黎明期でも、いや黎明期であればあるほど政治は権謀術数にまみれていたのではないか。梅原はそのような飛鳥・大和朝廷のおどろおどろしい血まみれの権力闘争を法隆寺のミステリーから推論していく。実に胸のすくような論の展開である。おお、やれ!もっとやれ!と読者は思わず格闘技並の喚声をあげてしまう。私とすれば真実はどうでもいい。ただ真実が面白いほうであればいいなぁ、と思う単純視聴者である。万葉の最高権力者がただ恋の歌を歌っていただけとは思えない。そのような生々しい情があるのなら、やはり怨嗟呪詛策謀にまみれた血みどろな闘争も渦巻いていたのがホントだろうと思うのだ。
大病院では個別の症状を診て、内科・外科・皮膚科と個別の治療を行うので患者は合計数十種類の薬を渡されるということにもなる。しかし、全体を診ることはない。また、「病気」のほぼ半ばは精神的疾患によるものなのに、この方面の専門医が極端に少なく、一般医の知識も貧弱である。この書には(タイトルに関わらず)老人看護のハウツウは書いていない。著者の長い老人医療経験から典型的な症例が多数引用されてはいるが、その症例に対してどう対処するかという方法が書かれているわけではない。多くの症例を見ていると、いかに老人という概念で老齢者をくくることが不可能なのかがみえてくる。結局、老人一般というものはなく、ただ高齢者が個々に存在するだけである。鏡の中の自分に怒り本当に殴りかかろうとする過敏性老人を見て「感動的だった」という著者の感覚は感動的だ。総じて老人患者はどうすることもできない。治療するということが老人であった前の状態に戻すことであるなら、それは不可能なことだ。しかし、人は治療を求めて老人を医者に連れて行く。病気なら治癒することもある。しかし老いは治癒するだろうか。「老人はただ生きよ。生きてこの(制度・社会の)矛盾を示せ」と著者がいう部分もある。この常に信念を持ったよい医者だったのだろう。結局病を治療する為には社会を治療しなければならないのだ。
全体に社会の中の老人とその誤った対処法への警告が秀逸。20年前の著作であるが、未だに新鮮ということは社会の老人感が未だに大きな変化を遂げていないということか。
久しぶりで当たった胸のすくような中国戦史モノである。上巻読後、主人公の数奇な運命の帰着を求めて下巻を読み出すが、運命の帰結にはふれず、時は逆行し、その悲恋の物語の前史である宋・遼の戦闘戦略がすさまじい迫力で語られていたのだった。みごとな上下巻の構成である。下巻は上巻のミステリーの細部を補強し、上巻は畳み掛けるような緊迫した下巻の戦闘場面の裏側に悲恋の余韻を響かせ物語の奥行きを拡げる。ううむ。非凡な小説家だ。ひとつ文句を言わせていただくと、文章に句点が多すぎごつごつした印象を与える。時として意味不明におちいることもある。この戦術家達の渾身駆け引きを描く雄渾な物語が、もっと流麗な文体で支えられていたとしたら、と思うと残念でならない。
荒俣宏は「博物学者」で古い文献を漁り、アカデミズムの本流とは関係ないところで薀蓄を傾け、渋沢龍彦みたいな金持ちの趣味人であり、少々気難しい白ひげの博士(はかせ、お茶ノ水博士と同じ読み方)だろうというなイメージを持っていた。しかし、最近テレビで見る機会が多く、実物はただの団塊世代にこにこおじさんなので興ざめしてしまう。テレビはどんな代物でも日常化してしまう魔法の箱で、古今の叡智の高峰である「博物学」をたちまち単なる「雑学クイズ」に転落させててしまうのである。
この新聞連載のエッセイその他を収録した本を読んでいると、最終的には荒俣宏は「偉大なる素人」という形容に収束していく風である。好奇心が旺盛で、面白いものがあると地球上のどこにでも飛んでいって調べてくる。やはりその資質は未知へと命を賭け探検しにいった大航海時代の偉大な航海者達と志向を同じくすると思える。しかし現代の探検船はテレビカメラなのである。新聞連載のこのエッセイでは平田篤胤の教育法から吉野屋の牛丼まで、日常で目に留まる事象を探検する作家の目は、今度はテレビのチャネルを試し面白そうな話題をピックアップする視聴者の好奇心とも同質なのである。「偉大なる素人」。かく言う私メの知的好奇心の在りようも「ウソでもいい、面白ければ」というもので、なんとなく仲間意識を感じたったりしてしまうといえば、失礼に過ぎるというものか。
刺客 用心棒日月抄
凶刃 用心棒日月抄
用心棒日月抄シリーズの後半2作。物語の続き具合から逆算してみると前半の2作のうち、続編の「孤剣」は読んでないのかも。とにかく最初の用心棒日月抄を読んだのが中ノ島の大阪府立中央(当時)図書館にて。これも逆算してみるとすでに30年前のことだ。この読書の印象は強烈で、とにかくやたら筋立てが面白く、それでいて読者を完全に江戸情緒とでもいう雰囲気に包み込んでしまう確実な背景自体に浸りこむ楽しみもあった。しかしながら、以降の私の読書は多読乱読での彷徨に明け暮れ、一旦自分での評価・見極めがついた作家を再読することはなかった。老後の楽しみに取っておこうとか。藤沢はそのような作家だった。で、そろそろもうよかろう、と老後の楽しみを行使しだしたというわけだ。この作家の提供する世界はいささかも変わらず、なつかしい用心棒青江又八郎一座が一話完結の小気味の良いシリーズを好演していた。作家として実に安定し完成した作風である。先もいったように、何も事件が起こらなくともそれだけで江戸期の武士社会や長屋の庶民の日常にタイムスリップできるだけの手堅い背景に、脱藩した藩士としての息の長い縦糸を置き、用心棒稼業の一話完結の武勇伝を横糸とした完全時代小説である。それにシリーズを重ねる毎に登場人物もそれなりに経年変化し、例えば用心棒時代の相棒だった豪胆な細川が、仕官生活に失敗し酒におぼれる、どうしようもない姿になっている光景は昔をしっている読者のあわれを誘う。他にも悲惨や哀れ、残酷が日常のように生起する時代背景なのだが、不思議と暗さがない。それどころかコタツに入ってみかんくいながらぬくぬくと楽しめる安定したホームドラマ風時代劇に仕上がっている。藩の上役家老とのちょっとした会話に、身分の関係や意外と苦労人で部下への配慮もおこたりないというような、現代の会社の人間関係との相似を彷彿とさせる的確な人物描写それ自体も楽しい。書物は確実な日常が営まれているもうひとつ別の世界への通路である。
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ちょっとキワモノ的なタイトルにしては大変充実した内容で、私が科学啓蒙書で味わいたかった楽しみが見事に網羅されていた。つまりは知的興奮というヤツである。そして読後にも著者に教示された知識は風化せず、私の人生規模の確信にまで至っていた。
我々は別に神によって創造された特別な存在ではなく、ただのふつーの生物で、宇宙に五万とある(本当はもっとある)ケチな惑星のひとつで進化した。だから全宇宙の星の数と経過してきた膨大な時間を考えると、宇宙には知的生命体がうじゃうじゃいるハズだが、しかし「みんなどこにいるん?(Where is Everybody?)」、何も見あたらんではないか、というのがフェルミのパラドックス。この回答は今まで数多提出されているのだが、著者は代表的なもの49をあげ、それぞれに論理的な検証を加えていく。関連分野は宇宙物理・地球物理・テクノロジーはもちろん、パラドックスを含む論理学、進化論、生命科学、言語学に達している。もちろんSF分野の著者の説も取り上げていて、非常に刺激的な発想にも触れることができる。それぞれの仮説に肉付けしていけば、そのまま充分中身の濃いSFのネタとして使えるハズである。何よりも全論評を通し、著者の「知的に公正であろう」とする態度が当方には快く、ここまで公正で中庸で、しかも個人的なあいまいさも自覚した見事な論理の展開に、思わずわが意を得たりと快哉を叫ぶ。いやぁ、この人は本当に現代では得がたい、まともな感覚の持ち主である。とそこまで読者の信頼を得、満を持してという風に最終章50番目の解法として著者自身のモノを掲げるのである。
解50「フェルミのパラドックスは解決した。」
いいですねぇ。笑っちゃいますね。最初からパラドックスでも何でもないんだ。無難で無理の無いまともな論理で、言語を取得した人間という生命体が、全宇宙の全時間の自然・偶然の試行錯誤で現れる確率を計算していくのである。
計算結果、確率はゼロだった。
我々は宇宙にかけがえの無いたった一種の電波望遠鏡を扱える生命体である、というのが著者の結論だ。まるで神に創造されたかのように、人類はこの宇宙に独異に存在しているのである。
しかし、この結論をしていわゆる人間至上主義・あるいは選良思想のような狂信を想像してはいかんのである。私が本当に感銘をうけたのは、「宇宙にはわれわれよりもっと優れた知的生命がいるはずだ」という考え自体が人間の傲慢にもとづく、と明確に指摘する著者のバランス感覚である。
いわれもない悪しき進化思想がある。生物は時を経てより高次な存在になり、地球では最後に人類が出現し、進化の頂点に君臨している。さすれば、他のもっと大きな時空連続体にはもっと高次な生命体がいるはず、となる。しかし果たしてそうか?
進化の果てにすべてが人間型に収斂していくと結論するのは大きな欺瞞であると著者はいう。細菌はこの先何億年経ったところで人間型に収斂していくことはない。細菌型で安定して存在を続けるだろう。地球における進化のチャンピオンは細菌かもしれない。細菌も人類もそれぞれ自分のニッチに適合するよう進化した結果であって、今更細菌が人類型知性を獲得する必然性はない。長い時がたてば必ず宇宙に人間型知的生命が発生するという思い込みは論理的必然ではないのである。
フェルミのパラドックス「我々は特別な存在ではない。だから「みんな」(同類)はどこかに居るハズだ」より、著者の結論「我々は特別な存在ではない。だから我々しか居ないのだ」の方が極めてパラドクサルだと私は思う。
しかし、このような真の公正な論理感覚を知性によって著者が得たとするなら、しかし知性もまんざらすてたものではない。
この本を紹介し訳した訳者には敬意を払うが、ただ時として意味がとれない日本語文脈もあった。少し残念。
わが国随一のジャンヌダルク研究者が書き下ろす評伝と現在に至るジャンヌ研究の鳥瞰。特にジャンヌの裁判記録翻訳者としての文献の読み込みが、
(うう、ここでこの書評が切れている・・ この日、眠かったのかナンなのか。長い間、この欄の更新をサボっていたが、案外こういうささいな心理的負い目が何とはなしに、更新を回避させていたのか、とも。)
リストラ・ひきこもりを抱えた家族の崩壊と再生の物語。4人家族の各自の目から同一場面を描くという、芥川龍さん以来の古典的な手法。え?村上龍?なんだい、普通の小説家みたいじゃないか。作者名を伏せられたらわかんなかったよ。まあ、村上龍さんももういいトシになったろう。こういうのを円熟とはいいたくないのだが。この人には崩壊と再生ではなくて、崩壊と破壊の破滅へのエネルギーを極めてほしかった。しかし、限りなくコインロッカーに近い現在を素材にしてきた姿勢は顕在というべきか。芥川の羅生門も黒沢が映画にしたが、この小説の場面設定の趣向はより影像メディア時代の素直な小説手法と見える。そういう素直さも、くちあたりが良すぎるという印象になるか。村上龍というブランド名のごつごつしたアクの旨みの伝統の味を守って欲しかった。
ソフトカバーで多少軽めのタイトル、それに医学部名誉教授の余技という風な見かけから軽く読み流すつもりだったが、正月を挟んで2週間はたっぷり楽しめた。このタイトルに示される時間と地点を挟み、著者の薀蓄が自由にとびまわり、いちいち「ほほう」とか「へぇえ」とか思わず出てしまう名調子だったのだ。主人公はアレクサンドロス大王というよりはその哲学教師であるアリストテレスという人物であるようだ。当時のギリシャでは哲学が政治と密接な関係を持っていたようで、現にアレクサンドロスも東征に哲学者団を同行させている。軍事・政治顧問、ジャーナリスト、兵站事務管理者を総合したような役割だったのかも知れない。まあ、そのようなギリシャ時代には暗い当方への新鮮刺激に満ちた著者の薀蓄はギリシャの全政治・哲学史を含んでしまう。この書のおかげで、今まで教科書的にうろ覚えていたギリシャ・ヘレニズムのビッグネーム達にかなり親しくなった気がする。ローマのビッグネーム達に塩野七海の「ローマ人の物語」が果たした役割に匹敵するということもできるかもしれない。
また著者の専門が病理学ということもあって、毒死に関するその方面の薀蓄も面白かったのだが、西欧言語祖語としてのギリシャ語にまつわる語源のハナシも豊富で、コレも一応語学には興味がある当方には有益だった。羊皮紙のPersimentは地名としてのPergamonから来ているとか、疫病のplageが歴史的な経緯からペストと混同されて訳され固定していくハナシとかである。
さて、そろそろ本題の解題に進む。
プラトンは少し独断的で、しばしば事実を都合の良いようにアレンジしてでも自説を擁護するような、いけすかない人物である。このプラトンの説くイデア説、つまり我々の現実の世界の個々の事象はイデアのコピーであるとする観念論が、後にキリスト教の強烈な一元的な世界感のバックボーンとなり、更には数学を筆頭とする純粋科学を発達させた。しかしそれは中世のドグマチックな西欧世界をもたらす。
しかし同時代人のディオゲネスはこうしたプラトンの石頭を揶揄し、弟子のアリストテレスは明白にプラトンのイデアは便宜的上位概念、つまり養老猛のいう脳内概念であると喝破し、実態ではないということを明示した。
その後の西欧世界の方向を規定した師プラトンに対し、現実の世界に立脚した観察と分析を通し実用的な真実を掴もうとした、はるかに科学的な誠実さがあるアリストテレスの世界感が、不幸なことに不十分で誤謬に満ちた翻訳で後代のローマや西欧社会に手渡され、その全貌が研究されることはなかった、アリストテレスの著作は歴史的経緯により西欧よりもペルシャを中心とするイスラム世界に手渡され、その結果、近代までのイスラムの科学の優位をもたらす。アレクサンドロス自身もさすがアリストテレスの弟子で、その民族融和政策から東西文明の邂逅が紀元前に実現し、例えばインドからゼロという数字の概念がもたらされたりする。直接的にはバクトリアのようなギリシャ系の国がインド周辺に生じ、「ミリンダ王の問い」というようなイベントも可能になる。←ま、これは私のつけたしだが。
このハナシは時に独断的で少々アブナイ気もするが、非常に面白く、私側の最近気になっている問題意識にも絡んでくる部分も多い。独断的なのは、厳密な哲学論がこの本の目的ではなく、膨大な雑談風の史論だからか。いや、面白ければ何でもいい、というのが私の読者としての変わらぬ姿勢である。それでいいのだ。
ちなみに、後でインターネットでこの著者名を検索すると先ずヒットするのが、さるBBC上で、この人がボードを引っ掻き回したという生臭い消息だった。
「上位概念」という推論手段が純粋脳内概念であるという捉え方を著者に示唆されて、最近私の気に障っている現象がこの「上位概念の一人歩き」ということで説明できる場合が多いことに思い至った。
「日本人として」「男として」「人間として」「老人福祉」「正義のため」「環境破壊」「地球温暖化対策」云々。個別の事象を説明的に概括するために使用する作業概念にすぎないスローガンが、このプラトン的唯名論的(笑)によって実体化されドグマになってしまう。「ふれあいを求める老人一般があるのではない。個々の老人がいるだけだ。」と私は最近書いたが、こういう言葉のマジックに惑わされるのは何もプラトンを持ち出さなくともよい。これは個人的感覚をサインとして他者に伝えようとするときに必然的に生じる抽象のデメリットである。私なら「蓮華微笑」というノンバーバルコミュニケーションと対置したいところだ。
ここから私自身の壮大なドグマが始動していくのだが、これは書評とは別の場所で続ける。
かような意味もあり、この著者にはここ2週間非常に楽しく過ごさせてもらった。自分の専門分野を退職し、新たな分野でこのような脳髄の遊びを始める人にはいろいろ啓示されることも多い。