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[団塊の段階的生活]

過負荷の犬(2)

2007/8/9(木) 午前 11:58
矢田山の「子供の森」の午下がりは静寂そのものだった。
木陰に折りたたみイスを設置し、木のベンチに足を乗っけて
寝そべる。

至福の時はすぐ傍にある。
人が作った模擬自然の快適さを享受し、しかも他の人間の気配からは
完全に逃れられる場所。

夏のくっきりとした空気の中で、自然に囲まれて読書をする。
そのような贅沢がどうして私の生涯で可能になったのか?


待て、早まるな。
この世の悲惨はつい傍らにある。

この広々とした山の公園の芝生を目当てに、ここにもかわいい犬達は
安逸をむさぼろうとしていた私を戒めにやってくるのだ。

男が遠くに現れ、黒い小型犬の鎖を解く。

やがて、広大な木々に囲まれた芝生の空間に犬の喜びの声が響き渡る。
芝生を走り回り、歓喜のほえ声は止まることはない。

「フリスビー犬」である。
フリスビー犬奈良県大会なんてのもあるらしい。
だいたい、フリスビーを飛ばし広大な空間を犬に駆け回らせるような
余地が日本にあるのだろうか。
ある、とすればここ、公園しかない。

やがて飼い主の「XX!そこ!」「XX!来いっ!!」という叫びも
エスカレートして響き渡る。

とても読書なんかしてられない。

奈良県矢田山「子供の森公園」で「フリスビー犬」を訓練する人は多い。
夕方には大挙して押し寄せるのは分っていた。
しかし、こんな週日の昼下りまで。

この人たちにとっては公園は愛犬を運動させ、訓練させる場所なんだろう。

しかし公園で静かに散策や読書をしたい人達の平和な時間を脅かしてでも、
自分の犬の訓練は大事なんだろうか?
私にはこういう犬の飼い主の論理を理解することができない。

公園の立て札


「フリスビー、犬の訓練は禁止」とは書いてない?
じゃあ、「殺人禁止」と書いてなければ殺していいの?

要するに他人に配慮するという心があればわかることだ。

しかし、えてして愛玩犬の飼い主は他人の人権よりも
自分の犬利が大事という心理になってるらしい。

泣く泣くこの幻の安逸の地を退去。

実に無念である。


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