月の可不過 バイクとの一年 ..
[団塊の段階的生活]

パソコンゲーム

2007/9/13(木) 午後 3:03
「宝くじが当たったら、部屋に閉じこもり、死ぬまでひたすらゲームにのめりこんで暮らす」
のが夢だった。

常に不遇だったサラリーマン時代、退社後部屋に閉じこもり深夜までゲームにのめりこんだ。
きっかけは会社の同僚にもらった8ビットMSX機とMSX用ゲームロム一式だった。
ファミコンからの移植版の「ドラクエ1、2」とか「大戦略/スーパー大戦略」なんか
があった。

深夜の悦楽が始まった。

実世界ではみすぼらしい安サラリーマンで、出世や栄達からは完全に無縁で
くすぶり続けていたのだが、夜には勇士「あいうえお」に変身し、魔物を退治し
大金を稼ぎ、スキルアップを繰り返し、遂に戦士の人生をコンプリートしたのである。

ロールプレイゲームの最初の名前をつける画面で、一番手早いネーミングが
「あいうえお」だった。
実に手抜きネーミングだ。
まあ、その程度には「これは子供用のゲームで、大のオトナが真面目にやるのは
ちょっとね・・」という自嘲はあった。

ゲーム中ネーミングを変更したければ、「ネミングウエィ」を探せば簡単に
変更できるんだったが。(^^;

以降、いろいろゲームにお世話になった。
低調な現実の人生からひたすら逃げまくり、パソコンゲームにのめりこんだ。

メガドライブ「バハムート戦記」
スーパーファミコン「ファイナルファンタジー4」等
ゲームに一晩中浸りこむ深夜の愉悦は、日中の悲惨を完全に埋め合わせてくれた。

オトナ用としてはマイクロソフト「フライトシュミレーター4」にハマっていた。
16色しかなく、景観はほとんど線画の世界だったが、単調な画面の奥に確かに
現在上空を飛行しているハズのロッキー山脈やドーバー海峡の気配を感じられた。

しかし、ハードが進化し「フライトシュミレーター」がバージョン5になり、
256色対応のテクスチュアマッピングのカラフルな世界が登場した。
「リアルな景色」が売り物だったが、私の興味は急速に冷めてしまった。

美しい写真風の景観は見かけはリアルだが、つなぎ目が如実な同じ素材の使いまわし
で、山はひたすら山、草原はひたすら草原、都市はひたすら都市である。
想像力が入り込む余地はない。

もとよりリアルな世界なんて見たくはなかったのだ。
ビデオゲームはあくまで人工の楽園であるべきで、現実をマネしては意味がない。

純ビデオゲームの世界も同様な道をだどる。
64ビット機が出回ると、キャラクタはスムーズな動きで完全に人間の動作をシュミレート
してくるのだが、すべてが人形のような同系のフィギュァで動きもパターン化されしまう。

初期「ドラクエ」のカクカクした単純な動きが、私にとってソコは現実ではない、
人工の楽園の中であることの指標だった。

要するにゲームが現実に近づこうとすればするほど、私は冷めていった。
リアルなゲームなんていうのはゲームの自己否定である。

だから、ひたすら16ビット「メガドラ」と「スーファミ」の10年以上前の
ゲームを休みの日ごとに楽しんでいたのだ。

やがてスーファミもメガドラも全部壊れ、実際に店頭でも買うことはできず、
私の懐かしい人工楽園への道は完全に閉ざされてしまう。

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だが、パソコン上でのエミュレーションで昔の16ビットゲームソフトが動く。
そしてインターネット上で嘗てのゲームロムデータが自由にダウンロード
できてしまうのだ。
法的には自分が所持しているゲームロムのデータなら、エミュレートして
動作させても違法ではない。

実際にXPやVISTA上で懐かしい「バハムート戦記」や「ファイナルファンタジー4」
が動作したとき、これで死ぬまで私の愉悦は保障されると喜んだ。

そして退職し深夜どころか日中だってパソコンでゲームができる「身分」になった。
パソコン自体もハンドヘルドになり、自宅だけじゃなく涼しい公園や、
図書館に持っていっても簡単に動作するのである。

無敵のゲーム人生がこれで始まるのだ!

という予定だったんだけど。
・・・どうも昔のゲームもそんなに面白くない。

よくプレイしてみれば、子供っぽいし、ワンパターンですぐ飽きてしまう。

どうしてあの時、あんなにのめりこめたのか不思議である。

ここで、思い当たる。

今、私の現実が実社会から遠ざかってしまい、現実逃避的にゲームに
のめりこむ心理的欲求がなくなってしまっているのである。

ゲームが現実をマネてきたとき興味が冷めてしまったように、ゲームの
吸引力がなくなったのは、私の現実の方がゲーム化してしまったから
なのである。

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