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[団塊の段階的生活] |
ピアノと世界の調律 |
2007/11/30(金) 午後 2:34 |
通信販売で買ったチューニングハンマーを取り出し、ピアノの調律をする。 まったくの自己流だが、まずオクターブがうならないように縦の音をそろえ、 適宜5度もしくは4度関係の音のオクターブに移動し、ざっとピッチをそろえる。 験し弾きして、各コードが不快にならなくなるまで微調整していく。 2、3時間の作業である。 調律を始める前に、ピアノの上に放置してある楽譜類を整理しなければならないので メンドいが、作業にとりかかると、こういう職人シゴトは熱中できて結構楽しい。 プロの調律師に頼むともっとメンドいので(室内掃除・予算獲得等)自分でする ことにしているが、このような楽しい仕事を他人にやらすなんてもったいない。 ただし、調律以外の調音は出来ないのでいつかプロにお願いする他はないが。 調律するといつものことだが、後1,2週間は音が安定せずピッチが狂いがちで、 個別に修正をせねばならない。 高音が直ぐに狂ってきて、うなりだす。 高音はもともと弦全体が短く、少しの狂いでもピッチがかなりずれるからか? あるいは周波数が高く、わずかなピッチのずれでもうなりの周期が多くなる からか? ←低音なら少々ズレていてもうなりの周期が長いので気にならないのかも。 そして、2週間くらい調整していると大体安定してくれる。 不思議なことに安定すると2年くらいはピッチがズレないのである。 調律したてでも、安定期でもピアノに影響する温度、湿度、振動等の物理力は 変わらない。どうして安定期に入ると調理したてと同じタイムスパンでピッチが ずれていかないのか? 物理的には弦の張力がだんだん低下し、わずかずつピッチが下がって行くハズだ。 それぞれに太さと長さがちがう弦がまったく同じピッチで全体に下がって行く というのは確率統計的にありえない。 やはりピアノ全体が一個の有機体のように自分で修正しているとしか思えない。 つまり、弦が振動する度に自分の振動数が下の方で鳴っている低音弦に対して 整数倍になるように自己修正しているのでは?と。 いわゆる共鳴という現象がある。 私が本気で声を出すと、窓ガラスくらいは簡単に割れてしまう。 私の声をガラス固有の振動数に合わせると、ガラス自体が振動しはじめ、 ついにはその物理的運動エネルギーがガラスを粉砕してしまうのだ。 だから、ピアノの各弦は響いてくる他の弦の振動数によって微妙に運動エネルギー を得、自らの張力を一番安定している振動数に持っていくように常に自己修正して いる可能性もあるのだ。 個は全体の中で自分の場所を得るまで試行錯誤を繰り返し、そして全体に調和した 時点でインテグレートされ、アシミュレートされ、ユニバーサライズされ、普遍化 され、めでたく予定調和の涅槃の境地を得、再び修羅の世をさまようことはない。 宇宙を統一する根本原理としての和声のイメージを胚胎したのは、ピタゴラスである。 あらゆる物質が固有の振動数を持ち、振動数が同じか整数倍であるとき物質同士が ハ−モニゼーションし共鳴し2個が一個の普遍として止揚され弁証法的に統合されて いくわけである。 というわけで、私は整数倍にこだわったイデアリズム純正調風調律を旨としている のであるが、もちろん近代の民主主義的物量生産物であるピアノではそうした 純粋培養貴族主義ではうまくガバナイズすることができず、オクターブを機械的に 12等分し各周波数を割り当てるという多数決万能型の合理主義的世界になってし まっている。 だらから、近代以降のわれわれの歴史はバッハの平均律が示すダイナミズムと 多様性を獲得したのであるが、同時に常に不安定で予定調和的解決を見ることが できない不純(=悪)を必然的に内包しているといえるのである。 チューニングハンマーで世界を再び純正調に調律しなおすことは可能である。 そのとき人類は悪をも内包した多様性か、永遠に安定した少数者の静的世界かを 選択しなければならないのだ。 というわけで調律は神のごとく楽しい作業である。 |
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