歩行速度による世 病み付き ..
[団塊の段階的生活]

医者の責任感

2008/8/13(水) 午前 3:19
肋骨数本痛め、近所の整形外科医にしばらく安静との診断をもらい、帰宅した。
夜、その医師から電話があった。

「もう一度レントゲンを確認したのだが、肺が傷ついているようなので大事に至る恐れもある。
呼吸が苦しくなったとか、少しでもおかしいと思ったら夜中でも電話すること。」
と、ご自分の携帯電話の番号を教えてくれた。

肋骨を「いわして」しまったのはもう3回目なので、安静にしていれば自然治癒すると判っていた。
しかし、肺はやばいよ。

わざわざ本日の診療が済んでから、もう一度気になるケースを検討してくれた医師の責任感はありがたく受け取ったが、それを聞いてからビビってしまった。
気のせいか、昨日より胸の痛みが昂進して来た気もする。
万一の場合を考え、ヨメに「いろいろ世話になった」とそれとなく礼を言っておく。
こういう機会でもないと、まともに言えることではない(^^;
せっかくの機会はせいぜい利用しなくちゃ。

朝、もう一度レントゲンを撮り、確認してもらう。
所見は、気胸は明らかで血栓もある可能性もあり。
ただ、腹に穴空けてドレナージする必要までは無いハズ。
念のため総合病院で精密検査し再診してもうらうのがベター。

レントゲンと紹介状を持って駅前の総合病院に行く。

CTでスキャンすることになったが、肋骨が痛くて仰向けになれない。
造影剤投入用の点滴の中に痛み止めを混ぜ、何とかCT装置に放りこまれる。

点滴液投下の金属柱を歩行器のように押し、管付きでふらふらと総合病院内を歩いている
姿は、どうみても立派な病人である。
造影剤の投入ではまれにショック死することもあるので、その処置に同意したとの誓約書
にもサインさせられた。

いよいよオオゴトである。
しかし、CTスキャンとは大したものだ。
病人としての格がかなり上がったような気がする(^^;

点滴管をつっこまれて歩いている姿を見せると、廊下の待合長椅子で座っている外来一般患者の皆さんが、「へへぇ〜っ」と土下座してくれるんではないか、とも(←おいおい^^)

診察室で外科部長先生にCTの結果を診断してもらう。
「気胸はあるが回復途上、血栓はなく穴空けてドレナージする必要なし」
近所の整形外科医師の診断が確認された形である。
一安心。やれやれ。

おじいちゃん・おばあちゃんの植民地になり、かなりの過密状態の近所の医院と
広く明るい窓に資料棚やデータファイルがレイアウトされたいかにも大病院らしい
診療室との違いはあるが、双方の医師が連携し、的確な診断と処置をしていただいた、
という印象。

このような適切な医療処置が歩いて回れるすぐ近所で受けられるということは、
これは世界的に見ればかなりのレベルの医療制度が完備している社会と言える。
しかし、本当を言えば今まで医療機関で不快な応対をされた覚えもある。

結局は医療制度の問題ではなく、医師個人個人の職責の自覚が医療の水準を決定するのである。

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