病み付き 生活酔い ..
[団塊の段階的生活]

おじいちゃんになる練習

2008/8/22(金) 午前 1:49
肋骨を痛めて、起床するのにも苦労している。
うむむむ、といいながら体をかばいながら上体を起こし、しばらく休みつつ姿勢を落着かせる。
それからゆっくりと足に体重をかけていき、何とか直立歩行体勢になる。

大儀じゃ。

と、思ったとき、このような身体の動かし方は、しかしなんだかよく見知ったもののような気がした。
病院や義父宅でおなじみの「おじいちゃん」の起床のしかたじゃないか。

そうか、老いてきて体に故障が増えてくると、自然と体をかばうように動作するようになる。
だんだんと動作が緩慢になっていき、合間に「やっこらせぇ」とか大儀そうな気合も入るというものだ。

先週、歩く速度を落すと「老人界」が見えてくるという話を書いた。
とにかく、ほとんど何もせず一日の時間を過ごしている。
夕方、涼しくなってからゆっくり歩いて近所の市立図書館に行って2時間ほど過ごすだけの日課。

先週はヨメが2日も会社を休んで看病してくれた。
看病といってもマメに家事をしてくれた、というだけなのだが。
ウチはヨメが毎日会社に行き、家に居る私が普段は食事を作る。

ヨメはまったく料理ができない、ということもでもないのだが、カタチにとらわれすぎて
私からみればまどろっかしく、やってられない。
独身自炊生活が長かった私の場合、帰宅してから15分後には食べられるというのが料理の
絶対条件だった。

しかし、療養中だと得意の中華なべの炒めものも手早くはできないし、そんなに食べられもしない。
ま、ゆっくりやるさ。

私は「生涯現役」とは逆の「生涯退役」とでもいうような人だったし、これからも
あまり積極的に「活動」するような恐れはない。

前に同じような世代のプール仲間と「トシ」の話になったことがある。
皆が自分の歳に違和感を覚え、「イヤやねぇ」などと、それとなく同意を求めるので、
私は自分の年齢感覚を言いそびれてしまった。

私はこの「トシ」になることができて、うれしくてしかったなかったのである。

今回は突発的な事故で「おじいちゃん」風の時間を過ごしているが、これからだんだん
事故でなくとも何かと身体の動きが緩慢になっていくのだろう。
だから、今のうちに「おじいちゃんになる」練習をしっかりしておくつもり。

体にガタがきだしても、頭が惚けだしても、練習さえしておけば別にあわてることはない。
今でも社会的に存在感の薄い人だけど、そのうち生命エネルギーが希薄になって、
空気のように、わからんように、ぷすうっと消えて亡くなればいいんだけど。

「いつまでも若々しく」とか、「どうしても長生きしたい」とか、そんなことに執着していると
自分の「老い」に焦って「キレる老人」になったりして、迷惑になりまっせ^^/

私なんか、やりたいことはやっちゃったし、やれないこともわかっちゃってるので、
もういつ呼んでくれてもイケますよ。

というように、おじいちゃんになる練習をしながら、ゆったりと心臓をうごかしていると、
逆に長生きしてしまうような気もするが(^^;

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