年収八億円 トニオクレーゲル..
[団塊の段階的生活]

人間を休みたいとき

2010/8/13(金) 午後 2:40
ぎっくり腰も回復し、またはあまたある持病のひとつというくらいに安定し、再び「憧れの年金生活」を続行。
と思ったら、また調子に乗って大失敗をやらかしてしまった。
事故や病気の肉体的変調はつらいが、心理的には楽に苦境を受け入れられる。
心理的に落ち込むスランプ状態もしんどいが、ひとりで悶々やってればいいので、罪の意識にさいなまれることはない。
無反省な行為で他者に迷惑をかけていて、最悪の形で指摘されるまで自分が気がつかないでいた、という状況は耐え難い。
社会性の欠如というか、他者との繋がり方の稚拙さ、というか。
 
私の場合、その一例が例外処理されることはなく、これまでの全ての忌まわしく重苦しい社会参加上の困難の記憶共が、これを機にまたぞろ全自動更新を行い、風化し忘却されることを防止しようとする。
何が「憧れの年金生活」じゃい。そんな中途半端な解決策で、この世とカンタンに同化・和解できると思うなよ。最終決着はただひとつしかないんだからな。と。
 
日常生活が全てフリーズしてしまい、動作が緩慢になり、積極的に動けるようなエネルギーが残っていない。
これでもか、という程忌まわしい光景の再現を繰り返し、そのどん底まで下降して自分の罪の深さを反芻する。
予感はあった。
ぎっくり腰が集団の中での自己顕示欲への注意信号だったハズだが。
反省はいつも後からしかやってこない。
アホとしか言いようがない。
 
自分のアホさ加減を書いて曝して、せめてこの苦痛を客体化しようとする。
 


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