人間を休みたいと イタリアのハロル..
[団塊の段階的生活]

トニオクレーゲルと阿呆

2010/8/20(金) 午後 1:07
社会、というか阿部謹也氏のいう世間との関係の折り合いの悪さを、私は「トニオクレーゲル問題」と呼んでいた。トーマス・マンの「トニオクレーゲル」を昔読み、平凡で幸福な市民生活が窓の明かりとして漏れてくる道を、
寂しいがしかし決然と歩き出す芸術家の姿に自分をなぞらえたりした。
芥川龍之介が描くようなエキセントリックな芸術家至上主義ではなく、普通の市民生活に心惹かれ、孤独を厭いながらも、自分は自分でしかないと、諦観に満ちて自己肯定をおこなう。
芸術のためにあえて反社会的行為に走るのではなく、市民生活の価値感を尊重しつつ、そこに所属することのできない自分を寂しく見つめるのである。
 
世間との折り合いが悪くなると私は高校生時代から背負っているこの「トニオクレーゲル問題」を思い出したものだ。
転々と職を変え、いくつもの家庭から抜け出し、住んでいる国を違え、やっと近年ささやかな場所を現実の社会の中に確保できた思いだった。それが「夢の年金生活」というわけだ。
 
「トニオクレーゲル問題」という命名からは、永らく巣くっていた社会性のなさは私の「芸術家気質」にある、との密かな自尊もあったのだろう。
しかし、そんな秀でたものではなく、単に性格的な欠損、あるいは偏差に過ぎないということが最近分かってきた。
アスペルガー症候群や自閉症児・学習障害者の研究が一般にも目に触れるようになってからだ。
 
いろんな性向の人がいるのである。そして適当になんとか社会との折り合いをつけ、働き暮らしている。
しかし、どうしてもその素性が教育されず、矯正されず成人してしまい、なんとか老年にまで達してしまう人もいる。
逆に言えば、そのような少数者でも老人にまで達することができるような寛容さがこの社会にはあったのだ。
 
中世ヨーロッパの宮廷には「阿呆」がいた。
英語でfool、フランス語でfou。一応「阿呆」と訳すが、時として「道化」としてある文脈もある。
言葉としての「fou」は単純な馬鹿や阿呆を意味しているのではなく、どちらかといえば「異常」を示す言葉で、時として正常よりももっと進んだ知的集中を示すこともある。Je suis fou de literature なんてね。
ヨーロッパ宮廷の『阿呆』も元来は奇形の障害者で王様のペットのごときものでもあったらしいが、後期には「道化芸人」のような役割にもなっていき、鋭い警句を飛ばす詩人にもなった。
このような形で生を存続した非社会的人格もあったのだ。
 
日本の芸人も歴史的には「川原乞食」として一般の身分制の枠外の扱いを受けていた。
王様の庇護で生きている「阿呆」で思い出すのが幇間(太鼓持ち)。
金ぶりのいい旦那にくっついて、調子のいい警句で喜ばす話芸で生きていた。
現在の落語家の祖であるが、この宮廷の「阿呆」と幇間とでは決定的な違いがある。
 
「阿呆」は タイコモチとは違って王様の機嫌をとることはなかった。
それどころか王様に皮肉をいい、馬鹿にしても一切のお咎めはなかったのである。
身分制に縛られた社会的人間ではない。
人格を奪われた犯罪者と同様、人間とはみなされていなかったのだ。
むしろその非人間性こそが、固く身分に縛られた封建社会の中での存在理由であったといってもいい。
 
先週来の社会的失態から未だに自由にはなれないで悶々としているのだが、逆に言えば常に私はそのヘンのどこかで生き悩んでいた。
そんな人生だったのでヨメに言わせれば「またかぁ」の類である。
うん、ヨメはさすがにこのヘンの事情はよく分かっている。
 
社会的に孤立せざるを得ないような事情を持つ人は沢山いる。
このとき、一挙に反社会に走ることや、暴力的自棄に陥るのを防ぐのは理解者の存在だ。
たった一人でもいい、社会の中で理解してくれる人が居れば、かろうじて社会とは繋がっていられるのだ。
 
王様と阿呆、ひょっとしてお互いがよき理解者であったのではないだろうか。
社会の秩序からはみ出してしまった孤独な者同士として。
 
 
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