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[団塊の段階的生活]

iPhoneについての2,3言

2010/10/29(金) 午前 3:13
というわけで、急に今をときめくiPhone 4のユーザーになってしまった。
スマートフォン。ただの携帯電話じゃないんだぞ!と、主張しまくっているヤツである。
 
モバイルコンピューティング携帯端末は以前からあったわけで、この製品も小型化高性能化の路線上にあり、別に新たな文化を導入したわけではない。携帯電話がコンピュータになったわけではなく、携帯コンピュータに電話機能をつけたに過ぎない。ただ、革命的な技術として高度なタッチパネルインターフェイスを最大限に活用した結果、従来のボタンやマウス等のポインティングデバイスなくなってしまい、画面上にはカーソールがどこにも見当たらない。

カーソールをマウスで移動させる代わりに、指で画面上をロケートする。指で示すという行為は生理的には自然な動作である。
特に秀逸なのは画面の拡大・縮小を行うのに、画面で指を「ピンチ」することだ。これは我々の実際の肉体感覚である「指で広げて」見るという動作と全く同じで、画面も動作に従ってアナログ的に拡大していく。
いやはや。
この動きを見て、実は私は最終的にiPhoneユーザーになることを自分に許した。・・・
 
実は、iPhoneユーザーになるということはアップル社の製品を買うということで、つまりはMac陣営に取り込まれてしまうということである。いやぁ、困った。
実をいうと私はもう30年もアンチマック主義を掲げてきたのである。私の開発したPCアプリにはAnti-Macというのもあるくらいで(^^)。
 
昔からMacは「ユーザーフレンドリー」が売り物だった。
マウスというポインティングデバイスでアイコンをクリックするというシステムへの指示法はMacで先ず実現した。
Mac文化ではユーザーはコンピュータのしくみ(内部)をしらなくても「直感的に」使用することができる。
ファイルを消去したければ、画面上のゴミ箱のアイコンにそのファイルのアイコンをドラッグして捨てればいい。
実に分かりやすいのだが、私はそれが気に食わない。

「ゴミ箱に捨てる」というメンドクサイ実生活のコピー操作を実現するのにどれほどのシステムリソースを使用していることか。
おまけに、ゴミ箱のアイコンを捜し、そこまでドラッグしていくのに数秒もかかってしまう。
コンピュータ内のファイルは物理的に捨てるものではない。
メモリを消去するのである。だからdelete命令で消去すべだ。
なるほど、Macの「ユーザーフレンドリー」なGUIのおかげでサルにでも扱えるようにはなったのだが、なんだか自分がサル扱いされているようで片腹痛い。
私は中身・仕組みわからないようなものを使いたくはないのだ。
 
しかし、そうこうするうち、Macの直感的なGUIは世に蔓延していき、一方のMicrosoftもついにコマンド入力方式ののDOSを諦め、Windowsという擬似Macをプラットフォームにしてしまった。
時代は斯くのごとく実にばかばかしい様となって行き、軽薄でサービス過剰なこの社会の潮流を呪いながら私は世間との交渉を次第に絶っていったのである。
 
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で、突然iPhone 4のユーザーになってしまい、相変わらずユーザーをサル扱いするMac文化に憤慨する毎日が再び始まってしまったのだ。
  • USBでPCとつないでも、外部ドライブとしてのiPhoneのメモリは見せてくれない。
  • 唯一のPCとのインターフェースは「iTune」というWindouwsの操作様式を全く無視した、よくわからん独自アプリでしか行えない。
  • 辞書アプリを2つインストールしたのだが、手持ちの電子辞書データを認識させるのに、それぞれのアプリが独立的に自分配下のフォルダにFTPでインポートすることを要求してくる。つまり膨大な辞書データを2度送信し、2倍のメモリを消費させられてしまう。
まあ、サル並みのユーザーに完璧にシステムのセキュリティを保証しなければならないということか。
だからどんなにムダ金を使っても絶対安全なシステムにしなければならない。
それに、Macユーザーはそのレベルの知能しかないとしても、なぜか金はある。
そういうのがMac文化というヤツですね。
と、毒ずいていたらJail Breakなる手法で、このMac仕様のシステムセキュリティの壁をとっぱらって、自己管理・自己責任でシステムをいじくることもできるらしい。
うん、なら納得。そうこなくっちゃね。
そして、アンチMac陣営からAndroid搭載のスマートフォンの追撃も始まったようである。
↑しかし、ユーザーインターフェースはiPhoneのマネじゃないのかい?
 
しかし、そうこういってても実際にiPhoneは便利至極。
今までノートパソコンをモバイル用途に使用してきたが、パソコンとして私が必要と思う機能はだいたいそろっている。Webのブラウジング、ファイルの入力や閲覧、外国語辞書の参照とゲームかな。
(文字入力にはBluetouseの外部キーボードでも導入しなければ実用にはならないのだが)
それに検索してみるとDTMやMIDI、シーケンサー等の音楽関係アプリも豊富に見つかる。
そういや、Macはもともとデザイナーやミュージシャンに人気があったんだよなぁ。
才はあるが、プログラミングするほどの脳がないヤツ等がMacを支持してきた、という背景もあってのMac文化である。
内臓音源のシンセサイザも結構本格的なアプリが見つかるのである。
 
もともと私は本格的な知的・あるは創造的作業をするようなレベルのヒトではない。
ただ、そういう道具は常に携行していたいという願望はあるのだ。
現役勤め人だった頃には、使わないにしても、重い外国語辞書(英独仏)は常にカバンにいれて携行していたものだ。
だから、ポケットにコンピュータが収まっているという夢の未来がついにやってきた!のである(^^/
 
2・3年来海外旅行には(1)パソコン (2)電子辞書 (3)デジカメ (4)携帯電話が必帯アイテムになっていたのだが、これからはポケットのiPhone一台で済んじゃうのである。
 
「ところでこれって電話はできるん?」
とはショップで私が発したつまらない冗談だが、とにかくもう単なる電話ではなくなっているのは確か。
もっといえば、電話機能は付け足しで、電話としての性能は以前所持していたNOKIAにとても及ばない。
 
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ところで、Mac文化では音楽や情報、つまりコンテンツは向こうからやってくるのを「購入」する。
実にさまざまなアプリが開発されていて、その数20万。
もちろん無料もあるのだが、なんらかのカタチでユーザーの金を呼び込む仕組みになっていると思ってよい。
広告宣伝さえ我慢すれば無料のアプリだけでもなんとか必要な機能は揃うようになっている。
 
その日の新聞(産経だけど・・・)のすべての紙面がタダで読めるようになっている。
私はインターネット加入と同時に新聞の定期購入をやめてしまったのだが、起きてベッドの中でその日の新聞に目を通すという古典的朝の光景が復活。今新聞はネットで読む時代になったのだ。
インターネットはグーテンベルグ以来の印刷文化を確実に終焉させようとしているのである。
 
iPodの配信リストやインターネットラジオのプリセット局をスキャンしているとフランス語のソースが実に多いことに気がつく。無料アプリでもフランスの美術館等のオーディオカタログが実に豊富にある。
永年のフランス語学習者としては、これは究極の仏語情報ツールといわねばならない。
 
通常のパソコンでもインターネットラジオやテレビのストリーム放送の視聴は可能だけど、立ち上げて設定したりする手間が面倒で、そんなに気楽にアクセスしていたワケではない。
このiPhoneでのインターネットラジオのアクセスの圧倒的な手軽さ、簡便さよ。
はい、私はサルです。スイッチを入れるだけの脳しかないけど、それでもFrance Musique 聞いてます。
 
 
 
圧倒的なラジオ・フランスのiPodへの番組配信量。
これがフランスの昔からの基本政策だったのだ。
情報を絶えず発信しつづけることでフランスは国際世界に確として存在し、影響力を行使してきたのである。
ちなみにこのラジオフランス(個別化した放送局の集合体)は国営。
ここまでiPodでの情報の発信に力を入れている国は他にはない。
 
対してアメリカが面白いのは、情報発信の主体が私企業や私立大学であることだ。
もちろんABCやCNNという大手メディアの存在もある。
 
 
 
 
 
 
 
 
iPodでの情報配信では特にiTune U と称するカテゴリーがあり、世界の大学が提供する豊富なプログラムがダウンロードできる。中でも圧倒的なUSAの大学の数と提供プログラムの数である。
大学の存在の基本的な意義が情報の発信にあるというコンセプトが見えてくる。
もちろんアメリカの大学の大半は私企業であることも影響しているのだが。
 
で日本はどうなん?と思って捜してみるとわずかに慶応大学の番組が見つかっただけだった。
他の大学って、そんなことで生徒がくるの?
ま、来るんでしょうねぇ。日本では。
 
・・というようなワケで、今私は結構イソがしいのである。


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