謙虚になれないス 日常から透けて見..
[団塊の段階的生活]

ニユー・オペラシアター神戸 第30回オペラ公演「ヘンゼルとグレーテル」

2011/2/8(火) 午後 3:24
ニユー・オペラシアター神戸 第30回オペラ公演
E.フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」
指揮/中村健 演出/伊原広樹
小川典子(ヘンデル)他 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
2011.02.05(土)16:00 アルカイックホール(尼崎)
 
1)森への魔女のいざない
フンパーディンクの音楽はこのオペラだけでしか知らない。
親しみやすい民謡調のメロディや色彩的な和声、華やかな管弦法で実に素直で気持ちのいい響きがする。
他の作品も聞きたいと思っていたのだが、現在ではこの作品以外に演奏されることはないようだ。
しかし、ドイツ語圏ヨーロッパではクリスマスシーズンの定番オペラになっているくらいポピュラーな作品である。
私は年末の第九なぞ聞きに行きたくも無いが、クリスマスにはコチラを家族と聞きにいくような子供時代を過ごしていたら、ここまで私の人生は鬱屈していなかったと思う。
まあ、そういうようにヒガみたくなるほど、素直でファミリアルなエンターティンメントである。
今回、森の魔女にいざなわれ、やっとこの作品の上演にヨメと同行し楽しむことができ、遅まきながらほんの少しだけ不遇の過去への借りをすこし返せた思いである。
 
2)森の魔女とは何か?
オペラはグリムの物語に沿って展開し、お菓子の家で子供を誘う魔女をヘンデルとグレーテルの兄妹が勇気と知恵で退治し大団円となる。
親の家を出た兄妹は初めての一夜を森で過ごす。眠りの精や風の精と共に14人の森の物の怪たちが現れる。
 
CDで音楽だけを聴いているとこの14名ダンサーたちは完全に透明だったのだが、舞台で視覚化された演出ではこの不思議な気配達のダンスが秀逸で、際立っていた。
ざわざわとした森の気配がサーカスの道化やジョングラーの姿でゆらゆらと現れる。
この無言の気配達は善でも悪でもなく、眠り精の前座としても魔女の家来としても常に森に立ち込めているのである。
非日常の世界がゆらめき出てくるような演出は、夜の森の不思議な夢幻へと誘ってくれる。
 
親の家を出、初めての夜を森で過ごす子供は眠りの精から性的イニシエーションを授かり、思想・行動の自由を風の精から鼓舞され、いよいよ甘い誘惑で人を惑わす魔女に立ち向かう。
魔女は圧倒的な悪の権力の象徴であるわけだが、終に兄妹は知恵と勇気で反逆し、逆に魔女をパン釜で焼き殺し、焼き菓子にしてしまう。
すると以前から魔女に囚われていた他の子供達も解放され、不条理な夜の森の一夜が明けるということになる。
 
ヘンデルとグレーテルはこれから、社会と対等に化かしあい、渡り合っていくオトナになるとうわけだ。
だからこれは子供が親に反抗し、家を出て自立するというイニシエーションの物語で、決して家族でクリスマスの団欒を楽しもうというモノではない。
グリム童話に限らず、童話は常に重層構造になっていて、これ見よがしに隠れている意味を見て取ってニンマリするのが正しい鑑賞法である。
 
3)魔女の薀蓄
このオペラの演出では、当初森の怪達が夢で用意するご馳走のテーブルが豪華だったので、魔女のお菓子の家もどんなに素晴らしい、ラブホテル風イルミネーションか、と期待したのだが案外地味だった。
以前、この「お菓子の家」を言語的に考察したことがあるのを思い出した。
「お菓子の家」というのは日本語の訳で、クリームケーキやチョコレートキャンディ類を想像してしまうが、もちろん原語ではパン類でできた家だった。
 
 ----以下、私の以前の考察より転載---
ドイツ語では家がKnusper(ビスケット)で、垣根がLebkuchen (胡椒又は蜂蜜入り菓子:「木村相良」)。
幼児期に読んだ童話のお菓子の家は極彩色であったような気がするが、本当は地味な色合いの焼き菓子で、丸木小屋を見ていてこれがKunusperだったらなぁ、と自然に発想できるくらいの色合いのお菓子だったんだろう。畑の真中にこれ見よがしに建っているラブホテルのようなケンランゴーカなモノではないのでご注意。
英語では家も垣根もgingerbread(生姜パン)、なんかイギリス的にまずそうだが。
仏語でも両方 pain d'epice、まあ、味付けパン、菓子パンでいいか。
で、イタリア語。家が marzapane (*マジパン、マルチパン:アーモンドを搾りつぶし、砂糖を加えて練り、いろいろな形に作った菓子)。垣根は panforte (*アーモンド、キャンデーフルーツなどを入れたまんじゅう形のシェーナのお菓子)。
英語、フランス語は素っ気無いが、イタリア語の「お菓子の家」はやっと極彩色に近い雰囲気ですね。
この*小学館の「緑の伊和中辞典」は変なものに妙にくわしい。
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魔女とは実はコトバの魔術の謂いである。
 
4)魔女の呪い
今回の演出では魔女を男声にキャスティングするという異例の試みが行われた。
男性が派手なドレスを装い、なよとした倒錯した身のこなしを示すことで中性的な魔界の雰囲気を出す意図という。
われわれもこの魔女の出現を楽しみにしていたのだった。
 
当初ソレらしく現れた姿が実に見事に女性だったので驚いたが、実はこれは「眠りの精」の方だった(^^;
遂に登場した魔女は圧巻で、女声パートを男声が歌唱する力強さと当世風性倒錯的演技がなかなかの見もの。
しかも顔つきや声域自体もかなり上方に移行さえしていて、とてもミナミの帝王(^^)をやっていた面影は感じさせない。
オペラ歌手の演技とはこのような魔力を持つに至るのか?と驚嘆、最後までこの魔法から逃れることができなかった。
そして公演終了後になり、実は本当に魔女に化かされていたのだということが明らかになったのである。
 ↑関係者以外意味不明(^^)
更に物語の重層構造が虚実の境目を曖昧にしていくのだが、現実にも幽界に旅立ったチチオヤの影響力の下にあった大阪のグレーテルも、ヘンデルにそそのかされ遂に親の家を出、自立へと旅立つ、というもう一つのイニシエーション物語もこの夜ひき続き連鎖していくのであった。←当事者以外意味まったく不明(^^)

 

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