ニユー・オペラシ 大震災を悼みつつ..
[団塊の段階的生活]

日常から透けて見える非日常(東日本大震災を悼む)

2011/3/18(金) 午前 1:39
アレから数日。連日報道されるイメージに言葉はいろいろ浮かんでくるのだが、何を言っても無意味だろう。
昼からいつものスポーツクラブに行ってみた。・・・
しかし、いつもの老人達がいつものように大声でつまらん冗談をいい、カラ笑いをしているいつもの光景である。
当方もいつものようにそぶりだけは快活に、同輩老人達とつきあう(「タッチ交代」とか^^)。
4500メートル走り、吹き出た汗を風呂で流して施設を出れば夕日に天理の山がくっきりと浮き上がっている。
アソコでは一万の死体が瓦礫の下で、20万の人が寒さに震えている。
ココでは日常はいかにも堅固そうに何気なく続いている。
 
朝、産経新聞で曽野綾子が「安心して暮らせる国?なんていうバカバカしい甘さか!」というような論を展開していた。べつに今回の災害のことを、ことさら強調して言っているのではなく、そのような小児的な人生観で何が分かっているというのか、というようなふやけた日本への手厳しい批判だった。
私も振り返ればすぐ傍にある死を、日常から透かして見ているような観念を飼っている。
 
死は突然やってくるのではない。
確実に、いつもすぐ近くに来ている。
じっと目をこらせば、そこここに透けて見えているハズだ。
 
死を意識しない日常からは、死とは絶対に呑めない不条理そのものである。
昨年死んだ義父のように、自分が死んだことも知らないで死んでいくだけだ。
 
膨大な死の海に、かろうじて浮かんでいるだけの私達の<堅固な>日常
 
            装いせよ、わが魂よ 

アレから数日。連日報道されるイメージに言葉はいろいろ浮かんでくるのだが、何を言っても無意味だろう。
昼からいつものスポーツクラブに行ってみた。・・・
しかし、いつもの老人達がいつものように大声でつまらん冗談をいい、カラ笑いをしているいつもの光景である。
当方もいつものようにそぶりだけは快活に、同輩老人達とつきあう(「タッチ交代」とか^^)。
4500メートル走り、吹き出た汗を風呂で流して施設を出れば夕日に天理の山がくっきりと浮き上がっている。
アソコでは一万の死体が瓦礫の下で、20万の人が寒さに震えている。
ココでは日常はいかにも堅固そうに何気なく続いている。
 
朝、産経新聞で曽野綾子が「安心して暮らせる国?なんていうバカバカしい甘さか!」というような論を展開していた。べつに今回の災害のことを、ことさら強調して言っているのではなく、そのような小児的な人生観で何が分かっているというのか、というようなふやけた日本への手厳しい批判だった。
私も振り返ればすぐ傍にある死を、日常から透かして見ているような観念を飼っている。
 
死は突然やってくるのではない。
確実に、いつもすぐ近くに来ている。
じっと目をこらせば、そこここに透けて見えているハズだ。
 
死を意識しない日常からは、死とは絶対に呑めない不条理そのものである。
昨年死んだ義父のように、自分が死んだことも知らないで死んでいくだけだ。
 
膨大な死の海に、かろうじて浮かんでいるだけの私達の<堅固な>日常
 
            装いせよ、わが魂よ 


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