今、自分ができる 第48回大阪府合..
[団塊の段階的生活]

故・高嶋良昭氏を悼む

2011/4/10(日) 午前 4:40
私には敬師も親友もいない。
故あってそのような緊密な人間関係をずっと避けてきた。
大学浪人からそのままフリーターに移行してしまい、最後まで標準的社会人生活からの偏差が大きいまま現役を退くカタチになってしまった。
私の標準社会との接点は極端に狭く、尊敬すべき師や共に語る友と邂逅する機会はなかった。
 
夢の年金生活にどうにか滑り込み、生活の為に心無くも無害な良識あるオトナのふりをする必要がなくなった。
というよりも、無理して大嫌いな労働をしなくてもいいようになると、本当に無害明朗無味無臭の普通のおじいちゃんに簡単になってしまっちゃっている。
でも、タダのオジンになって喜んでいる私というのは、やはり標準からは遠い感覚なのかもしれない。
多分、同年同輩の方の大半は未だ現役で日々尊い労働に従事され、オジンになるヒマもないことだろう。
 
今、ヒマになって遊行自閉の日々を過ごしていると、時々高校時代の友人達のことを思い出す。
思い返せばその時代が私の標準市民から分岐する前の最後の時だった。
だから、普通一般的に友達とつるみ、悩み、語り合っていた。
しかし、私が3浪している間にヤツ等は首尾よく大学に進学し、新しい世界に踏み出して行き、相変わらず屋根裏で自閉している私にコンタクトする者は居なくなった。
もちろん、私が社会の底辺近くで這いずり回っている時には、彼らは会社に勤めてカタギの生活をしていたのだろうから、名を思い出してもコンタクトをとるような契機はなかった。
私はいわれのない妬みとそれが反転した自負とに自縛されていたのかもしれない。
 
今ではもちろん、そんな身分の違いとでもいう意識はなくなっている。
現役を退けば、教授も社長もフリーターも皆同じオジン。
肩書きなんてのにこだわる必要もないというものだ。
かくして半世紀、それぞれの人生が分岐する以前の時間へとそれぞれに回帰していくのだ。
それでも私は40数年前の友人に積極的にコンタクトすることはなかった。
多分、このご時勢では大多数が未だに生臭く現役してるんだろうから。
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高校時代の友人の名を思い出してググってみた。
普通、本名がヒットするのは余程の有名人か、それとも私の旧名のように数百の同姓同名者に埋もれてひっそりと登場するケースだけだった。
しかし、今回検索結果はトップ10すべてが同一人物。
 
高嶋良昭氏(レンゴー常務取締役)の訃報だった。
 高嶋君は私が高校に入学し、同じクラスになり最初にできた友人だった。
中学校までのローカルな知り合いではなく、電車通学をしてくる全く別の地域の出身者である。
柔和だが、どこか芯があり、いままでの地域のガキどもとは一風違ったオトナの風格があった。
普段は常識人風の堅実な性格だったのだが、とつぜん歌舞伎の声色をうなりだすという、ガキばなれした世界も見せ、こちらはどきもを抜かれた。
 
この新しい友人は同時に高校という新しい生活の伴侶になった。
この時代にぼく達は人生論を共に語り合うという正統的友人を初めて得ることになるのである。
この高嶋君と二人で夏休みに思いついて大阪南部近郊の犬鳴き山にハイキングを決行し、名目の地学的調査を忘れ、世界観や恋愛論を語り合った。
「イデオロギー」という単語を私に向かって発した最初の人間は高嶋君だった。
 
その後、彼は地歴部に所属、私は音楽・文芸部という風に別系統の友人に連なっていくのだが、最初に友人になった親しみの念は在学中は変わらず、後期には同一の女の子を恋愛対象者に同定するということもあり、多少の陰影もつけ加わった。
 
しかし、卒業してから一度も会ったことはない。
同窓会のような晴れがましい場所には縁の無い世界に私は沈潜したまま40年以上経過してしまった。
 
その高嶋君はもう昨年死去してしまっていたのだ。
現役世代の世界の隔たりや、つまらない私の孤高へのこだわりが風化したら、真っ先にこれまでのことを語り合いたいと思っていた相手だった。
 
案の定、彼はあのまま真っ直ぐ正攻法で社会を開き、地味だが堅実な業界トップ企業に入り、周囲に推され常務に進み、オジン化する暇もなく逝去していったというわけだったのか。
信頼感抜群の彼なら、そのように生きただろうという私の密かな想定どおりの人生だったようだ
地味で堅実な会社の選択や真面目に仕事に取り組み、時として意外なアイデアを放つような。
しかし、トップで采配するというスタンドプレー型ではなく、あくまで裏で支えているような。
おそらくそのように彼は生きたんだったろう。
 
だから、社会人として私は全く彼とは対極の人生を歩んできたということになる。
すべてが始まる前夜のある一点では同じ場所でつるんでいたはずだったのだが。
 
この私側の40年の経過を、想定上の彼の時間の経過と比較するとき、茫洋とした感覚につつまれてしまう。
万感の想い、と月並みに言わしてもらおう。
そのくらいの大げさな形容を乗っけてもいいくらいの膨大な時間を私達はもう生きてきたということなのだ。
 
私は自分で勝手にタダのおじいちゃんをやってるのだが、彼も含めて大多数の同輩諸氏は未だ現役で活動していたことだろう。
しかし生物としての年齢は、そろそろ終わりを考え始める時じゃないか?と言ってきているのである。
 
この前、一緒に青春を開始したはずの高嶋君が昨年死去していたのだ。
 
できれば一度会って、この半世紀のお互いの経過を語り合いたかった。
いや、是非会って話すべきだったのだ。
お互いに知っている出発点から、どんなに遠くやってきたことか。
最後に勝者であって敗者であっても、それなりに生きてきたということを確認し、結局は歳くって裸の人間になって死んでいく身をちょいと苦く笑い合って、お互いに馴れ合いで全面肯定しあうのだ。
それが昔の友人のよしみというものだ。
 
夢のように過ぎ去るかりそめの世界。
一瞬にして通り過ぎてしまう人生の時。
 
出発点を共有している友人だから、この時間の無常を共に測れるのである。
しかし、永遠に君と語れる時間を持てないまま、私の方の人生も白濁していき闇に消えていってしまう他はない。
 
何か寂しいぞ
勝手に消えていってしまった高嶋君よ
 

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