あまりにも子供が ハレルヤと晩秋の..
[団塊の段階的生活]

じりじりとやってくる冬

2011/11/25(金) 午後 4:17
週末は雨ぎみだったが、天気予報によれば日曜午後には降水はないということなのでヨメとバイク2台で出かけた。
おっと、出かける前にガレージで支度していると、通りの突き当たりにある神社で祭りの屋台が出ていた。もちろんヨメは飛んで行き、血相を変えて私の小銭をせしめに戻り、再び地元野菜をしっかりと握り締めて帰ってきた。
大きなトマトが50円。なるほど、真っ赤に熟している。してみると日頃スーパーで買う小っこいのって、アレはトマトの色ではないわな。いつのまにか、ホンモノのトマトの色を忘れていた。
 
しかし、近所のガソリンスタンドで給油し、中腹を名阪道路が走っている天理の山を見ると怪しい雲がかかっていた。
名阪道路を小倉で降り、「やまなみロード」を疾走し、すこし道をそれた秘密の休憩地点で野外昼食の用意をしていると雨が降ってきた。
設営の練習をするつもりで持ってきたテント・タープをあわてて道端に張る。
というわけで今回も雨中野外ラーメン昼食になり、あろうことかテントに横になり雨宿り昼寝を決め込んだ。
キャンプ場でもなく、どなたかの休耕畑に隣接した雑木林である。
昼食中、通りがかった近在の方に精一杯のアイソ笑いをすると相手も会釈をしてくれる。
「雨宿りさせてもらってます。」と弁解する。「どうぞ、どうぞ、ごゆっくり。」
 
通気性のいい一人用テントは、シュラーフサックも無く寒かったのだが、二人でごろ寝しているうちにすっかり眠りこんでしまった。
昨年、ワンタッチテントを買ったのは不意の降雨に備えるという口実もあったのだが、テントの設置は現実に道端ではかなり難しい。ある程度の空き地があり、人家からはなれていて、共有地風のオープンなところ。
よほどの山奥でなければ実際にはどこか公民館のような建物の軒先に行って雨宿りしたほうが早いのである。
今回、はじめて雨宿り目的でテントを張ったということになった。
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夕方、雨もあがりテントを撤収し、暗くなる前に隣の市のスポーツクラブに帰り着く。
先月から平日昼間限定のシニア会員を卒業し、夜間や休日も使用できる会員種別にした。
もちろん何らかの割引特典があったからだ。
ヨメも会社の帰りに行っている大阪の支店が日曜は休みなので、振り替え処置でコチラの日曜の使用は無料。かくて我々の日曜ツーリングの帰路にはここで風呂に入ってから帰宅することになる。
 
いままで2時間くらいのトレーニングが平日午後の私の日課だったのだが、最近は一番人の少ない普通の方の夕食時間に通う習慣になった。
おかげで、昼間あふれているおじいちゃん連中の高笑いからは解放され、一人でゆっくり自己流のメニューをこなすことができるようになった。
ストレッチ筋トレ40分、ランニング30分、水泳30分と風呂。
 
夏前に五十肩で左肩が上がらず、水泳を省略していたのだが、何とか最近毎日泳げるうようになった。
最初にざっと200メートルを準備運動としてクロールで流し、そのまま800メートルメドレーに移る。
いったん一呼吸おいて、もう一度400メートルメドレーを泳ぐと大体30分くらい。
と、簡単に言うが、800メートルメドレー・・特に200メートルバタフライをやるおじいちゃんも少ないと私は思うのだが。
 
しかし、五十肩は治まったが、今度はランニングやバタフライ時に左脚の脛が常に痛むようになった。
痛みをこらえてある程度動かしていると軽減するが、翌日にはもっとひどくなっている。
だからバタフライでは殆ど腕だけで推進しているような泳ぎになってしまう。
ランニングの代わりに、スポーツクラブ先輩のヨメに教えてもらって足こぎ運動か、傾斜をつけてのウォーキングをすることが増えた。
常に体のどこかに不調がある年齢になってしまったようだ。
だから体力そのものとしては落ちていないハズなんだが、痛む箇所をかばって確実に自分の運動性能を自発的に一ランク落とすということになる。
考えてみると全体の運動量は夏以前とおなじ、食生活も同じなのだが、急激に腹の周りに脂肪が付いてきた。
どうやら代謝能力が落ちてきたようだ。
かくて人はじわじわと老人になっていくのだろう。
 
この機会に是非、と自己顕示しておくのだけど、この春にスポーツクラブで体脂肪率・筋肉量その他を計測してもらったところ、BMI値(体重/身長比?)22.6、総合評価「理想の体型」という評価をいただいたのである。
そんなには多くない体脂肪率にくらべ、圧倒的な筋肉量!どだ!
シニア会員になってから2時間の運動を日課として続けてきた成果と思いたい。
しかし、どうもアレが私の生涯のピークだったようだ(苦笑)。
 
これからは確実に衰えていくのだし、それに合わせて自分のメニューを変更し、体力・身体を徐々に縮小していくつもりである。(←食べる量を先ず縮小する!ヨメ (^^;)
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日課ということでは午前中はずっとピアノを練習することで過ごしている。
もっとも私の午前中は2時間弱しかないのだが(笑)。
昨年来、ピアノの修練の成果を人前に晒すという色気をキッパリと捨て、練習すること自体を目的として楽しむという「ピアノ練習家」を決め込んでいる。
子供なら、他人に聞いてもらうというのがモチベーションになるのかもしれないが、オトナのピアノだい、自分で楽しければ何だっていい、自分の好きに弾かせてくれ。
 
退職してからピアノを習っているという同輩老人もいた。
「何を練習されてるんですか?」と聞くとツェルニーの何番とかの返事だったので、「では、もうモーツアルトのソナタなんかも弾けるのでは?」とたずねたのだ。
そしたら「いや、先生にマルをもらわないと絶対に先に進んではいけないと思うので」とのお答えだった。
ふむ、なるほど。しっかりとしたテクニックをつけてからということですかね。
 
私は全てにおいて自己流だった。
私の性格もあるのだろうが、多分そのような先生に習っていたのだったらとっくに私は飽きてピアノを捨てていただろう。練習すること自体が楽しいのは、曲が自分を鼓舞するからだ。
生涯に2回だけ私はピアノの先生からレッスンを受けた。
クラマー/ビュローの50番練習曲を勧められたので3ヶ月ほど練習した。
しかし、同じ運指の練習曲やるならショパンでもいいじゃないか、と思い以降ショパンのエチュードをここ二年間は集中的に暗譜した。
「別れの曲」や「黒鍵」「革命」は以前にも、まあ、面白がって探り弾いていたのだが、OP10のNo.4やNo.8、あるいはNo.10というような運指練習的なものはもちろん飛ばしていた。
しかし、運指練習ということでじっくり符読みからはじめ、時間をかけてさらっていくと何とか暗譜通奏できるのだ。当然「マルをもらえる」レベルではないのだが、ショパンのエチュードを弾いているという自己満足感、あられもない高揚感はかけがえもない。
そのうち、ショパンの運指のカンドコロが体得できたのか、暗譜が意外と早くなった。
ついでにCDで聞くとエゲつない無窮動のスケルッツオ1番を試してみると、意外と簡単に暗譜でき、音さえ外せば通奏できてしまったりする。
ついでに欲張ってNo.4も暗譜中。
つまりは、私はプロのピアニストが演奏会で取り上げるような曲を、大いなる自己満足感につつまれて毎朝弾いているのだ。で、絶対に他人には聞かせないと決めているので、どんどん先にすすめるというものだ。
曲が完成することはないのだが、それで私はもういいのである。
私は練達のショパン弾き。他人さえ聞いてなければね。
 
  わたしは名歌手 ファリラリラ・ユツヘ!
  天下の名歌手 ファリラリラ・ユツヘ!
  どんな歌でも  
  歌えぬものなし  音さえハズしゃ
 
これは少々ウロ覚えだが、子供の頃よく歌っていた野ばら社の「世界の民謡」にあったドイツ民謡。
この夏、フライブルグで会ったN氏にドナウエッシンゲン近くの町の民謡だ、と教えていただいた。
こんな歌、知っている方も少ないだろうが、そのようなドイツ民謡を好んで歌っていた世代もある。
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で、日課の話だが、午後には勉学と読書ということになるハズだが、テレビ見ながらいつの間にか前後不覚にい眠っていることが多いかな。
それはそれでいいではないか。
別に勉強しないからといって、ヤマしく感じるトシではなかろう。
しかし、中断している「フライブルグ通信」の続項(ハイデガー、ドイツ鉄道、ドイツ語学習)、早く書いてしまわないと年が明けてしまうのだがなぁ。もう大半は白濁し忘却の淵のむこうかな。
 
じわりじわりと人の世の冬支度。 


あまりにも子供が ハレルヤと晩秋の..