ハレルヤと晩秋の 記憶のカギ ..
[団塊の段階的生活]

年末年始顛末

2012/1/12(木) 午後 5:15
12/31日(土)
寒いが快晴なので、バイク2台で近在ひと周りと「野外ラーメン」決行。

↑山添村の広域農道から木津川越しの京都府の山並みを望む。


なんだっけ、アジサイロード?適当なアップダウンがあり、地元の軽4トラック以外は走らない静かな農道だが、眺望があるのはここだけ。
しかし、この農道を起点にすると県道、農道伝いにウチの地元まで比較的のどかな道ばかりで接続することができる。ゆったり数時間走行するには適当なルートだ。
しかし道の駅や公園があるような場所を通過しないので、トイレの便はなく野外昼食の場所が選定しにくい。
 
ちょいと入った側道上でテーブルセッティング。
道路から見えるのだが、交通量が皆無なので気にはならない。
陽射しを受けると気温にかかわらずぽかぽかと暖かい。
本年最後の野外ラーメンはまずまずの味だった。
 
私はいいのだが、さて食後のトイレ、ヨメはどうしたんだったか? まいいや、不問。
 
 
 

 

 
1月1日(日)
予定もなくだらだらと一日を過ごす。
夕刻、橿原市のイオンモールに正月の賑わいを見に行く。
キャンプ用品や山用品を見、i-Padをいじくり、店頭演奏家として島村楽器店で初演奏を試み、ジャスコで冬のワンディパスポートを使って特価品の帽子を730エンで買う。
 
で、タダコーヒーを飲みにイオンラウンジに行くともう受付が終了していたのだった。そか、地元のイオンモールとは時間が違うのを忘れてた。
しかし、なんせお正月である。
ゼイタクしてフードコートでたこ焼き8個を食すことを協議の上決定。
 
写真では一人一皿食したように見えるのだが、実は同じお皿。
半分食べた時点でヨメがもう一度ソースと青海苔をたっぷり補充しに行ったのだ。
 
夕刻のイオンでは、すでにかなりの半額札が貼られていた。
どうやら購買力のピークは年末らしく、大量の売れ残りが一月一日の店頭に溢れるということらしい。
 
牛肉も半額!
ここにして、正月一日のわが家の正餐メニューが決定。
今夜はすき焼きですね。
お正月はすき焼きというのが子供の頃の楽しみだった。
 
「わぁい!ウチは今日、すき焼きだよ!」と、近くにいた幼児に自慢する。
もちろん冗談ですからね。
ちょいと遠くにいた母親が怪訝な顔であわてて子供の手をひきに来たような。
 
1月2日(月)
大阪のハハオヤを連れてウメダに出る。
温泉にでも連れて行くか?とも計画していたのだが、正月は「でも」や「しか」で行けるほど簡単ではない。
一昨年チチオヤを亡くしたので基本的に一人暮らしになっている。
正月はヘルパーさんも休みなので、一日くらいは面倒見とかんと。
 
一人暮らしなのに、毎日多量にスーパーで食料を買い込んで来る。
そのような買い物だけしか楽しみがない。
賞味期限切れの余った食料は、ヨメを通じて最終的にわが家に運びこまれてくることになる。
 
ハハオヤは正月のデパ地下(百貨店食料品売り場)に行くだけで満足するだろう。
大阪駅上のショッピングモール、地下のカフェテリアで遊び、値引きが始まる時間にデパ地下に行き、菓子、寿司等を買い、実家に帰って三人で食事。
多量に買いだめしてある正月用品・菓子等の処理(分類・再配分・廃棄)を行う。
 
この人こそが高度経済成長期の申し子であり、消費社会の体現者なのである。
よくも悪くもお金のためだけに働き、お金にすべての徳を代行させて生きてきた。
教養、趣味、宗教、旅行、レジャーとはまったく無縁に、ただ配偶者と娘と自分の賃金の管理だけで一生を過ごしてきた。
幸い21世紀の経済がシフトダウンする前に年金が確保できた世代である。
ぎりぎり国民年金受給資格に滑り込んだこの私よりも、はるかに年金加入期間が短かったのに、私より高い年金が支給されている。まあ、いずれにせよ双方とも最低クラスの戦いなのは間違いないのだが。
 
確かにお金が全てという人生だったんだろう。夫と娘の賃金の管理業務がなくなると、とめどもない浪費生活に踏み込んでしまった。見事に子供化してしまい、スーパーの安物にお金を使うということ以外の楽しみはない。
そして、悪いことに20世紀人の常として、お金があらゆる価値の源泉にいすわり、人を金で計るということもする。「あのウチは香前をちょっとしか出さへんかった、もう何もせんでもええ」とか。
自分の価値基準以外に聞く耳は持たない。今更、人生観が大きく変るという可能性もない。
 
私の居ないところで、私のことをボロカスに言うということは聞くのだが、まあ、しょせん私には他人である。
私がまた別の価値観で生きているというようなことを理解していただこうとも思わない。
 
しかしヨメにとっては肉親で、どうしても他人ごとでは済ませられない。
その頑固な饒舌と小児性にイラつきながらも、機会がある毎になんとかガス抜きの企画を重ね、最後まで良好な親子関係に近づいていくように努力する以外にはないんだろうなぁ。
 
1月3日(火)
朝食をハハオヤ宅で食べる。 例によってこの人はさんざん勝手なことを喋り散らし、辟易した娘が帰るそぶりを見せると「今度、いつ来てくれる?」と急に収めたりはするのである。次はやはり温泉か。
昼からヨメと特別営業日のスポーツクラブに行き、夜自宅に帰る。。
 
1月4日(水)
私の兄宅に年始伺い。
弟も交え、夕刻まで兄弟で歓談。
 
      弟さんとウチのヨメの珍しいショット→
      (載っけていい?)
 
ここでも兄弟間の確執のようなものはあり(笑)、今度は私の饒舌が周囲の顰蹙を買う、というような昨日のハハオヤの役割りであったらしい。因果応報色即是空。やれやれ(苦笑)。
 
まあ言えば、親子、兄弟、配偶者だけが私に残った最後までメンテナンスしなければならない人間関係のしがらみなので、現役時代に比べれば質・量ともに随分楽になりましたよ。
正月とは旧来そのような絆を確認する場でもあったハズなので、今年は例年になく立派なお正月だった、としておきましょう。

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