年末年始顛末 | できることならア.. |
[団塊の段階的生活] |
記憶のカギ |
2012/2/14(火) 午後 1:04 |
先月、赤バイクのイグニッションキーを無くした。
当初いつものように家中を探せばどこかからひょっこり出てくると思っていた。
今年はイヤに寒いので、軟弱な私は正月から本格ツーリングに行ったことがない。
日課のスポーツクラブに行くには、より簡単に乗り出せるヨメの黒バイクに乗ることが多い。
だから、キー紛失の緊急性がなく、そのうち出てくるだろうと赤バイクのキーを探す気迫もなかったのだ。
一週間経てもキーが出てこない。
なくした状況を反芻するのだが、最後に見た時点がよく思い出せない。
ここで最近の一連の喪失記憶達にわらわらととりかこまれてしまう。
スポーツクラブに一緒に行ったヨメが「メンバーカード忘れてきた!」というのでちょいとシボってやったら、
帰りに私が携帯電話を忘れて来てしまっていたり。
ヨメと「言った!」「聞いてない!」でよく衝突するので、これからは大事なことは「メールに書いて携帯に送付する」ようにしてもらう。
人名や単語が出てこない。
「あ!忘れたよぉぃ。」と話が中断し、「ま、そのうち思い出すだろう」と話を再開しようとすると、今度はどこまで話していたか覚えがない始末。
いよいよですかね。 わくわく!
憧れの恍惚生活。 「恍惚」とは難しい漢字だが、「ホケーっ」というルビを補って読んでください。
懐メロをうたってた昔の流行歌手の名前くらいだと別に忘れても気にならないのだが、勉学に励んだ外国語の単語だとおおいに心理が苦渋する。
「肩が凝る」なんて日本語だけの表現で、外国語にはないよ。
英語だったら多分、ショルダーズ・ペイン、つまり肩が痛いという中に入れるな。
ちなみにドイツ語ではアクセレン・シュメルツ、フランス語ではマール・ド・・・ド・・・ わぁ!忘れたぁ!
ここでパニックになる。まさかフランス語の基本単語「肩」をド忘れするなんてことが!
この外国語学知識が私の大事な自尊の柱のひとつである。
これがあやふやとなると人間として私は自分の存在自体をハイデガーしなくてはならなくなる。
ハナシを中断し、一所懸命神経を集中、息詰めて脳髄中をくまなくスキャンする。
手元のi-Phoneに入れてある辞書で検索すれば簡単なのだが、一度外部記憶に頼ってしまうと本体のメモリが目漏りしてしまう。
自力でメモリを更新できないと、このほころびから私の人間としてのつじつまがとろろこぶ状になり、つゆに溶けだしぐじゅぐじゅになるのだ。
苦渋する私にヨメが救いの手を差し伸べる。
「ちょっと放っておいたら、何気なく思い出すモンだ」
「そか。」
で、ようやく元の話にもどり、後でトイレに行く手前で思いだす。「あ!エポール、エポールだっけ。」
ま、出てきてよかった。
しかし、もし出てこなければ結局辞書を参照しなければならなくなる。
とてもその記憶喪失感をそのままにはしていては、おめおめと生きていけない。
かくて、私はどこに行くにも辞書を杖がわりにしなければ自立できない身体になりはててしまったのである。
で、赤バイクのキーだが、1週間たっても出てこないのでどこか近所の道で落としたと考え警察に届けた。
しかし、該当遺失物はないとのこと。
赤バイク自体はスペアキーで動くのだが、このキーは安物プラスチックで直ぐに折れそうで頼りない。
それが為、イオンモールの合鍵ショップに持っていったのだが、複製できないと言われたのだ。
(ちなみに、複製できてもICチップが入ってないので稼働しません・・・京都MC談)
いたし方なし、2週間後京都のBMWディラーにキーを発注する。
「現地メーカーに発注するので一月半くらいかかります。ちなみにお値段は・・・。」
「がーん!」
しかし、意外と早くディラーからキー入荷の連絡。
宅急便で送付してもらう。
キーは高いがメール便で送料80円。(←そのくらいマケるんがフツーじゃろ!ヨメ談)
やっと元どおりのイグニッションキーが復活したわけだが、何かさびしい。
一緒につけていたBMWのロゴ入りのキーフォルダーが付いていないのである。
所持するオマケやクスねたキーフォルダーをあてがってみるが、やはりしっくりしない。
走行中のバイクにつけっぱなしになるので、ソレ相応の見栄えが必要なのだ。
やはりBMWロゴ・エンブレム入りでないと。
インターネットで検索、楽天市場でロゴ入りキーフォルダーを注文。これもやや高い・・。
次の日、外出先から帰りがけ玄関のドアの外側下に何やら黒いものが。
玄関脇においてあったキャリーをその日少し動かしたので、普段見えないところが見えていた。
失くしたイグニッション・キーがこんなところにあった!
家の中でもなく外の道でもなく。
あわててロゴ入りキーフォルダーの注文をキャンセル。振込み前セーフ。
ま、出てきてよかった。
しかし、コストがかかった。
これからはこういう余計なコストを支払いながら生きていく以外にないんだろうなぁ。
いよいよ佳境ですかね、この人生。
追記) 私のHPの方を久しぶりにアップデートし、「読書月録」の整合性のチェックをしているとき、「読書控」に書いたばかりの吉村昭著作集の中の「暁の旅人」が既読だったことを発見した。読んでいる時も感想文を考えているときもまったく再読とは思わなかった。
しかも著作集の方を図書館に返却してから、感想文を書く細部確認のため単行本の「暁の旅人」を借用までしている。一度読んだ本が記憶に何も残っていないのである。 人生が二度楽しめるんだ!
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