初めてのお使い | 越前福井ツーリン.. |
[団塊の段階的生活] |
積極薬局医局、結局前奏曲 |
2012/9/12(水) 午後 2:56 |
脛を痛めランニングができなくなったので、スポーツクラブのエアロビクスのクラスに参加しはじめた。
意外やこれが当たったようで、ストイックにランニングを黙々とやっているよりはよほど楽しく汗がかける。
故障がなければ、いつまでも自己流のストイックな体練を続けていたことだろう。
客観的にいうならば; 捨てる神あれば拾う神あり。
主観的には: ころんでもタダ起きない。
英語で書くなら: There's more than one way to do it. (Larry Wall)
1) 積極
この9月からクラブのプログラムが変更になり、私の週単位の運動メニューを組み替えねばならなくなった。
では、この期に際し積極的に上級のエアロビクスにも参加してやろうと考えた。
かくて、9月最初の月曜から顔出せるだけシェイブエアロやワークアウトエアロのクラスに偵察に行ったのである。
今まで行った事の無かった午前や深夜のクラスにも参加。
一日2回往復したり、ついには一日三回往復することにもなった。
足は黒バイク。
半そでTシャツにズボンのすそをまくりあげ、素足サンダル履きの軽装で往復する。
重い赤バイクだとそうはいかないのだが、黒バイクなら自転車代わりに使えてしまう。
この夏は暑かったので一度かかと付きのゴムサンダルでバイクに乗ってしまうと、その快適さにもう暑苦しい靴を履いて乗る気にはならなかった。
実を言うと、赤バイクで高速道路を使って大阪に行くときもゴムサンダル履きで乗るようになってしまった(^^;
いやぁ、安全対策上かなり問題ありだねぇ。
2) 結局
一日三回隣の市に往復し、深夜ガレージ前で右足を付いて「軽く」90度バイクを回転させようとして、マフラーに接触、かなりの火傷を負う。
いやぁ、素足バイクに慣れてしまい、軽く考えすぎていた。
もちろん素足乗り当初は、マフラーに数回接触しちょいと火傷し、あちち、だったので気をつけていたのだが、慣れるに従いつい気がゆるんだのだ。
古の、吉田の健康奉仕サマのイマシメにある「高名の木登り」の話はこう:
木登り中落下しないように気をつけねばならない場所は最高所ではない。
降り切る寸前に地面近くなった時である。
つまり、気を許してしまう場所が事故につながるというのである。
正に古人の知恵ですなぁ・・・
一日三度も往復し、最後に自宅前で失敗してしまうのだ。
3) 薬局・医局
くるぶしウラの5センチ角がズルむけになってしまい、綺麗に皮がむけ白い中身が露出してしまった。
しかし、当初の痛みは一晩眠ると消えちゃったので、薬局で防水絆創膏を買い、貼り付けてプールに行った。
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月一度のハハオヤメンテナンス日で、大阪のスポーツクラブで接待予定だったのである。
防水絆創膏はプールに入ったとたんに剥がれてしまい、傷に水が浸み込みイテテ状態。
それでも、その日は応急処置をするだけで、後は忘れていた。
翌日、例によってウメダ・デパチカめぐりで一日サービスにこれ勤め、帰宅して足を見ると、くるぶし辺りが異様に膨らんでしまっている。
それ、いわんこっちゃない。
もうキンが血管を通って全体に広がってしまって、右足切断しかない、とヨメ。
あちゃ!とハハオヤ常連のご近所マツモト病院に夜間・休日緊急で駆け込む。
「脚切るん明日になったんかぁ?」とのハハオヤの期待には応えられなかったのだが、しばらくは抗生剤を服用し、大人しく回復を待つという身に成り果てた。
つまり、積極的に体練しようとして、結局、安静を余儀なくされるということになってしまったのだ。
4) 前奏曲
5センチ角の皮膚が再生してくるまで、運動はとうてい無理。
日課のスポーツクラブには当分行けなくなってしまった。
しめた!と言うのは・転んでもタダ起きない・根っからの貧乏性の我が宿性である。
では、この全治2週間にショパンの前奏曲全24曲の暗譜を仕上げてやろう!と。
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以前にもプレリュード(前奏曲)に嵌っていた時代があった。
20台後半から30台にかけ、一時電子オルガン奏者もしたことがある時代。
ただし、ショパンのヤツではなく、バッハの平均律1,2だった。
平均律1,2は殆ど目を通したのだが、20台以前に鍵盤訓練をしていなかった私には通奏はとても無理。
そこで専ら「前奏曲とフーガ」のフーガを割愛、前奏曲ばかりを弾いていたもんだ。
50台で初めてアコースティックピアノを所持し、本格的にピアノに転向するまでバッハには随分ながくお世話になった。
しかし、ピアノを弾き始めるとやはりバッハは難しい。
ピアノでバッハを面白く弾くには私の技量があまりにもつたない。
やはりショパンだね。
退職し、やっと毎日ピアノの練習ができるようになり、メキメキと上達・・・
モトがヘタなのでメキメキと上達してもタカが知れてるのだが。
とにかく、ショパンのエチュードレベルに何とか手が届くくらい・・・
まあ、練習して楽しめる・・というくらいのことだが。 ← やたらと留保が多いなぁ。
スケルッツオ4曲、バラード4曲は何とか覚えた・・・
くどいが、「弾ける」という意味ではない。
指は覚束ないが、なんとか暗譜はできているということだ。
通常はこういうピアニストが存在するとは考えられないのではないか?
弾けないのに暗譜している・・・
なんせ、私、世界最初のハンミュンデン・メソード(笑)に準拠するピアノ練習家なので・・・
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で、そのショパンの前奏曲全24曲。
単発にはこれまでにも弾いたり、暗譜しているヤツもある。
例えば前奏曲No.15 変ニ長調 「雨だれ」。
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世界的には一番ポピュラーな前奏曲だ。
しかし、何故か日本ではちょいと事情が違う。
多分、一番知られているのはアレ。
「雨だれ」を知らなかったヨメでもコレは知っていた。
前奏曲No.7 イ長調 「大田胃酸」。 |
2、3年前に最後のNo.24 ニ短調 「嵐に漕ぎ出してしまったゴンドラ・ソング」を暗譜してから、技術的には全曲演奏も可能範囲に入った。
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しかし、前奏曲を全曲暗譜するなんてアマチュアとしては無意味な気もする。
ハデさならエチュードに及ばんし、音楽的な深みはバラード、技巧ならスケルッツオ。
地味な曲集なのだ。
使用している春秋社版のエチュード集にプレリュードも収録されているので、時々箸休め的には弾いてきた。
今回、改めて見直してみると、まだ通奏していないのがたった数曲しか残っていないのに気がついた。
あまりに簡単なので練習する気にならないヤツ。「大田胃酸」系。
あまりに運指練習的に面倒なので練習する気にならなかったヤツ。
「大田胃酸」の次のNo.8 嬰ハ短調「風の又三郎」系。
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ちなみに、各曲のアダ名は「雨だれ」以外は私が勝手につけたものなので、他では言わないほうがいい。
前者、「大田胃酸」系はその気になれば一時間もあれば暗譜が完了する。
しかし、「風の又三郎」とか、No.19 変ホ長調「自分を鳥と思い込んだ蝶々」なんかは・・・。
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う、ビバーチェかよぉ? (^^;
よほどじっくり練習しこまねば前に進まない。
「風の又三郎」の最初の一小節の暗譜に手こずっている間に、同時に見えている「大田胃酸」全部暗譜できてしまう。
しかし、前奏曲は全曲を通奏してナンボという側面がある。
バッハの平均律の場合は12の全音階の各長調・単調を半音階段で機械的に並べただけだった。
ハ長調 → ハ短調
嬰ハ長調 → 嬰ハ短調
ニ長調 → ニ短調
変ホ長調 → 変ホ短調
・・・
ロ長調 → ロ短調
ショパンは違う。
ハ長調 → イ短調 (なし)
ト長調 → ホ短調 (♯)
二長調 → ロ短調 (♯♯)
・・・
変ロ長調 → ト短調 (♭♭)
ヘ長調 → ニ短調 (♭)
つまり、完全5度ずつ上行循環していくのである。
この循環調は逆ドミナントモーションで、絶えず次の調性を呼び込む。
バッハでは平均律(調性の階段)に、びっしりと隙間なく前奏曲とフーガという小世界が埋め込まれ、全体として完全な宇宙になっている。
しかしショパンの場合、宇宙はどこまでも未完了のまま循環していく。
そして、各平行調の組あわせにも密かに音楽的な関連がある。
「大田胃酸」は「風の又三郎」の前奏曲でもあるのだ。
「前奏曲集」は全体で大きなひとつのまとまりがある組曲になっているのである。
考えてみれば「前奏曲」(プレリュード)は奇妙なタイトルである。
スケルッツオやマズルカ、ポロネーズ、バラード、あるいはノクターンやエチュードは明確に曲の形式や種別を表示しているのだが、「前奏曲」は何も曲そのものの種類を示していない。
ただ、この曲が「他の曲の前に演奏される小さな前置きである」というだけだ。
後は、「間奏曲」(インテルメッツオ)にほんの少し同様の例があるだけか。
だから、もし曲の形式の名称と考えるなら「短くて、単独では完了しない」、つまり「未完了性」を属性として持つ曲と言っているのである。
しかし、「間奏曲」とは違って、なんと全24曲の堂々とした連作で単独で出版されているのである。
(遺作で追加されているOP45のプレリュードが「単独の、本来的な前奏曲」である。)
ショパンがバッハの平均律をフーガのない形で再現させようとしたのは明らかだ。
フーガを取り去り、「前奏曲」だけで24の全調性を満たす、というアイデアの天才のひらめきを見よ。
完全に調和し、一部の隙もなく完成されたバッハの宇宙に対し、
「未完了性」という要素を積み上げ、それだけで構成しようとしたショパンの宇宙。
永遠に完了することのない、若くして夭折する才能が垣間見る世界のイメージである。
ショパンも、私も、この世界で完了することは決してないのだ。
これが世界で初めて言及され解明されたショパンの前奏曲の奥義である。(c)HemiQ・012
ま、他にもこのようなことをほざく方もいるのかもしれないが、熟達のピアノ練習家の私が見ればそんなことは一目瞭然、くやしければ金出してハンミュンデン・メソードを習いに来い!というもんだ。
正規の教育を受けたことがない私だからこそ、くもりない目で真実が見えもする。
不幸にして既存の教育一式を受けてしまった向きは、自分が完全なバカに少しでも近づけるよう諸学に励め。
There's More Than One Way To Do It !
というワケで、後たった二曲、「風の又三郎」と「自分を鳥と思い込んだ蝶々」が暗譜できれば全曲完了というところまで来ていた。
だから全治二週間の間、この二曲、集中して体練すれば終了でき、大団円となるハズだ。
リストは自分の交響詩「前奏曲」は「人生の前奏曲」の意であると嘯いた。
バッハの平均律の前奏曲から開始した私が、半世紀後ショパンの前奏曲で鍵盤人生を終えるのもまた一興。
私の人生なんて、その全体が前奏曲にすぎなかったのさ (HemiQ 2012)
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