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[団塊の段階的生活]

アンサンブル イリゼ @リーガロイヤルH ザ・クリスタルチャペル

2012/10/5(金) 午後 4:16
アンサンブル イリゼ 演奏会
リーガロイヤルホテル ザ・クリスタルチャペル


Emsembre Irisé アイリス色のアンサンブルという女声歌手5名のコンサート。
チケットの経路は、ま、複雑で(^^; 私が自分の合唱団の演奏会の日付を知らなかったことに端を発するのだが。
知り合いの演奏会のチケットを二枚いただいたのだが、後でウチのコンサート当日ということが発覚、客席にアナを空けない責任上、急遽友人夫妻に欠席不可条件で譲渡、すると交換にソチラから本日のチケット二枚が、ひとこと感想を伝える責任付き(笑)で回って来たというような。
 
まあ、私の年代の合唱経験者はどこかで繋がっているもので、幸い友人夫妻は最初のスレ主の知り合いとは旧知、このコンサートのチケットを友人に条件付譲渡した方、本日の出演者の父君はやはり私とも顔見知りというような按配。
私が譲渡した演奏会はアマチュア合唱団だが、プロのオーケストラ付き大演奏会、片や本日のコンサートは中堅ミュージシャン達のチャペル・コンサート、とまあ等価交換でしょうな。
 
←リーガロイヤルホテル クリスタルチャペル
 
アンサンブルというタイトルだが、関西拠点の中堅・若手のジョイントコンサートである。
私は、実を言うとあまり声楽の演奏会は好きではない。
特に女声はご遠慮したかったのだが、責任上欠席不可(笑)。
 
ヨメもリーガ・ロイヤルでなら行ってもいい、とのこと。
ウチの合唱団の練習日だったが、責任上、そちらはサボってロイヤルホテルに行く。
 
リーガ・ロイヤルは大阪のホテルの老舗で、最近でこそヒルトンやリッツ・カールトン等百花繚乱だが、私はプラザ・ロイヤル時代の大阪で青春を過ごした世代である。もっとも、常に社会的低空飛行の専門家だった私は両ホテルとも利用経験はたった一度づつだけしかなかったのだが。
 
というわけで、へぇ?ロイヤルホテルってまだあるん?プラザはもうとっくにないけど?という認識だったのだ。
しかし、リーガロイヤルと名前は変わっていたのだが、ロイヤルホテルはやはり老舗ホテルの格式と伝統がかもし出す、抑えたシブい華やかさのある空間で大阪の中心に君臨し続けていたのだった。
私の本拠、スーパーホテルや国民宿舎でのアットホームなくつろぎにはとても至らないのだが、次善の選択肢としては機会があれば今後の利用を検討してやっても別にいいか、とちらりと思わせたりする。
 
ホテル正面玄関にママチャリで乗りつけたヨメは、とにかく先ずロビーに出店しているパン屋、惣菜屋に飛び込んで品定めをする。
さすがに高級感のある店舗内だが、大丈夫、ちゃんと試食もありますよ。
 
私はバイクだが、駐車場3Fにバイク専用駐車区画がある。
チャペルコンサートなら催し物扱いで4時間まで無料駐車券の配布がある。
 
私は老舗ホテルではどうも自分の格と合わず、「小僧の神様」状態で、楽しめはするが、居心地自体はそんなによくない。
 
しかし、ママチャリで乗りつけたハズのヨメだが、そこはちゃっかりドレス風ワンピースに衣替えし、チャペル渡り廊下の落ち着いた調度で嬉々として記念撮影。
この人も女性である部分が少しは残っているようで、場所と服装を組み合わせたりすることは基本的には楽しいことなのだ。
 
格式のあるホテルでのチャペル・コンサート。
そういうわけで華やいだ雰囲気が最初から用意されていて、うら若い出演者が色とりどりの和服やドレスで登場するともう音楽会の楽しみの半ば以上がすでに出来上がっていたのだった。
 
やはり、コンサートは日常における「ハレ」の儀式だな。
いくら低空飛行中でも、いやだからこそ、「ハレ」の時空は必要だ。
祭りや儀式によって日々の苦役を中和し、その生体エネルギーの代謝のダイナミズムがとりもなおさず生きるということなのである。
コンサート会場に参集する人びとが既に祭りの気分に感染しているのなら、演奏会が楽しくないわけがない。
華やかなコンサートを楽しみ、
その余韻のまま、日頃の苦役を今日ばかりは忘れ、楽しくレストランで食事をする。
これが「ハレ」の日というものだ。
 
えっ、日頃の苦役?
おととい「夏休みツアー」から帰ったばかりじゃ?
 
まあ、いいではないか。
老舗ホテルの雰囲気のまま、その余韻をそのままタッパウェアで保存し鷺洲のステーキガストまで運ぶ。
1000円のステーキでカレー、パン、サラダ、デザート食べ放題で食事(^^;
我ながら実にこ憎い絶妙の生活バランスを保ってますね。
 
あっと、コンサートの評だったな。忘れてた(^^;
前後を5人による女性合唱のステージで挟み、それぞれが自分の得意な歌を数曲披露する。
個別の評も可能なのだが、このように並列し順に歌声を聞かせていただくと、自ずから各自の違いが際立って見えてくる。考えようによっては歌手にとってちょいと残酷なコンサートだな。
其々が美声で豊かな声量があるプロであることは間違いはない。
従って、全員技術技量に不足のあるわけはないのだが、ここで始めて「表現力」の差が際立って見えてくる。
ただ美しく歌を歌っているだけではない。
その上に何事か自分の音楽的メッセージが伝わり、始めてプログラムの出演者名を個別に読むことになる。
 
藤島一子の表現力が際立っていた。
この人は声質自体も独特な奥深い輝きがあり、自然で快いビブラートとともにとびぬけて完璧な歌手だった。
 
あと、石津雅恵がソプラノの中でのメゾで、自分の声質を心得たスペイン系の図太いネバリのある音楽を演じ印象つけた。
 
会場の一番奥に陣取ったわれわれの横におじいちゃんと小さい孫がいて、演奏会最初からじっとしていない幼児とあやす祖父の声がやまなかった。
親に回ってきたチケットがあり、孫のおもりで祖父に持たせて派遣したんだろう。
クラシック系の、聞く側の静寂が必要な演奏会に幼児を連れて行くのは当初から無理だろう。
しかし、この辺りへの配慮に欠ける無知な親がどこでも増えているような気がする。
 
まあ、われわれが一番奥に陣取ったのはヨメが眠りやすいような配慮があったからである。
私としてはこの生命エネルギーが充溢の極みにある孫が、会場を興奮の坩堝と化すような大活躍を密かに期待していたのだが、会場担当ホテル側の制服のお姉さんが最終的にロビーにこの祖父孫組を排除してしまったのは残念というほかはない。
 
しかし、この孫の大活躍は結局無かったのにも関わらず、コンサート自体は楽しく巧妙に企画され、ヨメも最後までい眠らないくらいの大成功で充分楽しめた。
演奏会が成功するには音楽そのもの出来だけではなく、そのような場所も含んだ演出面が大きな役割を果たすのだと思ったのである。


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