何処にでもいるカ | 大和川土手にて赤.. |
[団塊の段階的生活] |
死亡力養成講座(1)過去がうるさい |
2013/12/11(水) 午前 1:18 |
日頃の鍛錬が高じ、死亡力が増してきた。
脂肪力じゃない。いや、それもあるが(^^; 家を出るとき、少し手順が狂うと、もうやってられない。
サイフを忘れてきたことに気が付き、取りに帰る。 もうスポーツクラブのプログラム時間に間に合わない。 では、本日のプログラム参加はあきらめて、ゆっくりカモ写真でも撮影しながら行こう。と、サイフのついでにカメラを持ち出す。 そして川原に着いてカメラを取り出すと、SDカードを入れるのを忘れていた。 |
スポーツクラブではロッカーのキーをかけ忘れ、こんな警告を月に一度はいただく始末。
今日こそ必ず投函しようとカバン・バッグ等その日の持ち物の中に年金機構の回答はがきを入れる。
帰宅すると相変わらずはがきはこの日もちゃんとカバンの中に入っている。 このまま、一生このはがきを投函できないのでは?とか思ってしまう。 直下の記憶を保っていられないのだ。
そろそろですかね? うれしいね。 かなり実力がついてきた。 生々しい現実は記憶できないのに、とんでもない昔の記憶は蘇りだす。
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大島渚の死亡記事から昔見た「日本春歌考」に出ていた俳優・伊丹十三を思い出した。
それから雪が降っている学習院大学の建物や、気勢のあがらぬデモの隊列。
「そこでデモ隊をからかうように、垂れている旗に向かって・・ 中原中也って知ってる?」 「なにそれ?」 「中原中也の「黒い旗」という詩をウソぶくんだけど・・」 「どんなん?」 ある朝ぼくは 空の中に 黒い旗がはためくを見た
旗ははたはたはためいていたが 音は聞こえず 高きが故に 手繰り下ろそうとぼくはしたが 綱もなければそれもかなわず 旗ははたはたはためくばかり 空の奥にまいいるごとく あれれ・・
この4・50年一度も思い出すこともなかった中也の詩がすらすらと口をついて出た。 何とね。 思えば、私の20台はそのような場所でフリーズし、フランス時代から後の人生とは全く無縁なところに埋もれたままになっていた。
最近、近い記憶がどんどん薄れていき、その分記憶の古層がにじみ出てきているようだ。
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久しぶりのすき焼きを囲んでいて、生卵の割り方で紛糾して戦争になった国を思い出した。
「Yahooってあるだろ? アレもガリバー旅行記の話だよ。」
「あのYahooより先に、「家畜人ヤプー」ってのが日本にあって。」
沼正三が昭和30年代に「奇譚クラブ」に連載してた。
二十歳の私は古本屋で時々買って読んでいた。 「日本春歌考」とか「奇譚クラブ」とか・・なんかその頃の私はちょっとアブない。 「奇譚クラブ」か、もしかして「SM倶楽部」? ネットで確認。
奇譚クラブだった。 「家畜人ヤプー」は三島由紀夫や澁澤龍彦、寺山修司も評価してたようで、案外その道ではメジャーな名前のようだ。
「寺山修司、書を捨てよ、町に出よか。当時アングラ劇と言われてた実験状況劇場とか」
「澁澤龍彦は美術評論「幻想美術館」とか図書館で借りて読んでた。
確か、サド裁判ってのがあって有罪になった」 「サド裁判だよ。サド・マゾ、SMの。マルキド・サド「悪徳の栄え」の翻訳者」 そんな世界の話、ヨメに言っても意味わからんだろ、とは思いつつ。 アングラならまだしも、澁澤龍彦の衒学趣味となると、20台の私のデカダンスはかなり辺鄙なところにまで行きかけていたのだった。
ここで突然鷲津繁男詩集のことを思い出す。
萩ノ茶屋商店街(大阪市西成区)に津田書店という古本屋があり、オヤジの番台のすぐ後ろの棚に「鷲津繁男詩集」という背表紙が見え、何年も売れていないかった。
しかたがないので(?)私が買った。 (定本鷲巣繁男詩集 国文社) そんな訳で、この無名の詩人鷲巣繁男に勝手に親近感を抱いていたのだが、私が海外自閉生活から帰ってくると何と思潮社の現代詩文庫に「鷲津繁男詩集」が入って刊行されていた。つまり全国区のメジャーな詩人のひとりになってたわけだ。
ちなみに海外自閉生活を決行していた間、鷲巣繁男詩集をはじめ全ての蔵書は大阪のどこぞの古書店に全て売り払われてしまっていた。
期せずして「書を捨てよ、外に出よ」を実践しちゃっていたわけだ。
このとき巻末の詩人の略歴を読み、当時の私の実人生と奇妙に重なっていることを発見し、親近感が一方的な敬愛の念まで一挙に上昇していく。
鷲巣は独学でフランス語や古代ギリシア語に通じ、まったく非アカデミックな場所から独自の文学・詩学を展開していた。
だが生活者としてこの人は札幌の印刷屋の労働者として生計を立てていたのだ。 しかもその学識は確かであの衒学者・澁澤龍彦が師と仰ぎ、鷲巣に教えを乞うためにしばしば北海道まで行く。
いっときますが、澁澤は東大仏文の評論家・文学者だぜ! 東大阪の一介の高卒印刷労働者だった私はこの大学・アカデミズムとは無縁の鷲巣の学識と生き方に非常な感銘を受け、自分の現在に何事かを示唆された。
ま、しかし私の場合は詩学への接近はそれだけで終わってしまい、鷲巣の名を思い出すこともなく2、30年の俗事との格闘の後、何事も成し遂げぬまま現在の無為徒食の結末を向かえる。
しかし、一旦トリガーが発動すると津田書店のオヤジの後ろの棚の「鷲津繁男詩集」までくっきりと記憶の堆積の下から漂い出してくるのである。
もう全く新しい記憶のルーチンは結束することはなく、ここにして記憶の古層が際限もなく彷徨いだしてくる。
後ろを向いて自分の過去とだけぶつぶつ喋り、家を出るのに有に30分はかかる。 ハハオヤのことだ、と思っていたがそれってもう私のことじゃないか。 |
(矢田山の方に飛んでいくサギ 遠景は生駒山のテレビ塔)
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