怒りと涙のオット 怒りと涙のオット..
[団塊の段階的生活]

怒りと涙のオットケーキ(3)

2014/1/7(火) 午後 9:57
(3)オットケーキを焼く
お正月である。
じゃぁ、久しぶりにホットケーキを焼くか?
ウチではお菓子を作るのは私で、そのような菓子をオットケーキと総称している。
 
せっかくだからと、私が実家(ハハオヤ宅)に寄贈したCDをBGMで流す。
高校生レベルのクラシック音楽の圧倒的なコレクションの中にどういうわけか混じっていた無難この上ないポピュラー系数枚をプレイヤーにかける。
ことわっておかねばならないのだが、チチオヤがなくなってからこの家にはテレビの他オーディオ・ビデオ製品は一切無い。
廉価で買ったBDプレイヤーでCDを演奏させている。
 
マントバーニーのムード音楽、カーメンキャバレロの映画主題歌、ウインナワルツ。
普段私も聞かないBGMだが、「パリの屋根の下」だの「恋は水色」だの「美しき蒼きドナウ」だの流れてくれば響きも懐かしい音楽達である。
いくらなんでも、ハハオヤの世代なら一度は聞いたことがあるだろう。
と軽く考え、話のきっかけ作りに「コレ知ってる?」と尋ねたりする。
 
しかし、ハハオヤの応えは見事だった。
「知らん。音楽なんか聞くヒマなかった。働かなあかんし、忙しゅうて」
実際はこれから例によって自分の労働経歴の記憶のエンドレス自動反復が続く。
 
いや、マントバーニーは無理か、「でも歌謡曲とか?」
「知らん。ラジオも無かった。(ラジオは)大阪へきてからや。」
 
全くこの人、音楽の記憶はないし、自分で歌うこともなかったようだ。
かろうじて「美空ひばり」は記憶にあるらしい。が、それだけということはないと思うのだが・・
「じゃぁ、音楽やなくて、見た映画とか? 映画館やなくてテレビでは?」
「忙しかった。知らん。」
「何か娯楽?働きに行く道でちょっと遊んだとか?」
「無い。忘れた。」
 
通常の日本農村・下町生活でラジオも聴いたことがなく、歌謡曲も耳に挟んだこともないワケないのだが。
で、この人の経歴はごく一般的な地方⇒大都会のパターン内なのだが。
 
おっと、私は別に糾弾しているツモリではない。
ただ、少し「夢や憧れ」に関する語りを引き出したかっただけで。
 
ここで普段はハハオヤに対して厳しいヨメが「イナカの人ってそれが普通」とか何かハハオヤ弁護を始める始末。
大阪に出て来て60年、なにがイナカの人だ!
 
この人は結局、音楽も娯楽も、まあ言やぁ、夢や憧れも何もなく、ただ決められた生活があるだけ、と自分で作りだした世界の中で生きているのだった。
 
突然、私は自分の人生の馬鹿げた無意味さに直面していることに気が付いた。
大阪市福島区ど下町露地棟割り長屋風極小家屋、下らんモノに溢れかえりレジ袋をしまう空間もなく床に放置してある紛れもない大阪のど下町に、今自分がいる。
ココがイヤで、ココではないどこか遠くに、どこまでも私は逃げて行った。
自分の「夢や憧れ」だけに支えられて、だ。
 
まあ、この馬鹿げた私の人生のオデッセイについては前にも語った。
結局、こんなところでやはり私は終わってしまうのだ。
「苦い人生」としか言いようがない悲哀が私を取り巻いている。
誰にも何も伝わらず、理解されず、ただ外側の世間面だけ合わせて繋がっているだけで。
 
何故今私が未だにここに居るのか?
 
ああ、そうか音楽だった。
 
私は音楽に反応し、それしか見えていないし、一方では音楽自体に全く意味がない。
何の共通する世間もない者同士が、ただ姻戚という人為装置で暴力的につなげられているのだ。 
 
私はCDを停め、音楽を止めた。
そんなもの、ここでは何の意味もない。
 
・・・
 
で、オットケーキもういいん?
あ、何も考えてないんで、バニラエッセンス入れるの忘れてた!
 
まあいいや。
と、30センチフライパン一杯の特大オットケーキをひよいと空中フライ返して見せる。
 
当初は絶対私の人生のアクと苦みでどうしょうもない味になっていると思ったのだが、実はこれが最近まれなる快心の出来だった。
表面のコゲ具合といい、中身のふっくら具合、甘味の控え具合といい。
 
うむ。私は人生規模の悟りを開く。
上手く焼いてやろう、とかの邪心がなく、ただ無心に焼くのが極意。と。
 
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