昨年度の後始末 いい加減にやめて..
[団塊の段階的生活]

いい加減にやめてください、NHK。 (1)

2014/2/14(金) 午前 1:59
(1)公共性という欺瞞
籾井勝人(もみい・かつと)という三流の人物(注1)がNHKの会長に収まった途端何か失言をしたようで、TVニュースで紋切型謝罪をしていた。
 
どういう失言をしたのか私はよく知らない。
私自身は二流の人物(注2)なので他人の失言をとやかく言う身分ではございません。
 
しかし、「放送法に基づいて公正公平、表現の自由などの原則を守って放送することに変わりはない」「公共放送としての使命を全うする所存」というような発言についイラついてしまう。
どういうわけで、国会で指名される人物が「公正・公平」を測り、「公共」という尺度を決めることができるんだろう?
 
 「善意」という言葉を発した時から偽善が始まる (hemiq 2012)
 
まあ、別に誰がどこで何を言おうが知ったことではないのだが、私はNHKの受信料を全く信じられない不条理な理由(注3)で徴収されているのである。
殴られ、その上金を要求されるようなどうしょうもない不条理。
 
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ゆず「雨のちハレルヤ!」とかいう曲を連日スポーツクラブで聞かされ、いい加減うんざりしていた。
それにしても、アソコ、どうして絶えず音楽を流そうというんだろうか?
 
TVをつけると「ごちそうさま」ちゅう連続TV小説が終わり、テーマ曲が流れてきた。
前奏を聞いた途端に、またあのバカバカしい調子がいいだけの退屈な音楽に私のプライベートな場所が侵略されるのか、と腹立たしくなる。
やっと次の番組になったと思ったら、「ソチ・オリンピック中継」だとかで、また例の調子がいいバカバカしい音楽が鳴り響く。
 
*後日注:このNHKソチ・オリンピックのテーマソングは「ゆず」ではなかった。コブクロという歌手のものらしい。しかし、私にはまったく同じモチーフに聞こえる。いずれにしろ類型的な曲である。
 
この「ゆず」という方は良く知らないのだが、確かに調子がいい音楽の自分なりの書法を持っているのだろう。それはプロとして当然だが、しかし私はそれ以上の何らかの音楽的な興味を持てない。
一、二度聞けばもう十分。3度目からは退屈極まりない音楽である。
 
それを何故連日聞かされねばならないんだろうか?
当市のゴミ収集車の8小節だけの一本調子のチャイムのように。
そのチャイムなら単純に「ゴミの収集です」というメッセージだけなので、そんなにイラつくことはない。
 
このNHKご用達の無意味な音楽に足しこんでいるメッセージの冗長で無神経な膨大な言葉と思い入れぶりは限りなく暑苦しい。
何が「雨のちハレルヤ!」だ。
アーメン、ソーメン、冷ソーメン、という類なんですかね?
 
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暑苦しいと言えば、NHKが未だに「花は咲く」の意見広告イメージフイルムを流しているのに呆れている。
このケースも音楽自体はそんなに耳障りでもない。
しかし、連日繰り返すほどのものじゃない。
 
NHKがこの音楽に乗せて強制的に送りつけるメッセージが暑苦しくてたまらんのだ。
 
 「善意」という言葉を発した時から偽善が始まる (hemiq 2012)
 
「公正・公平」な公共放送とはこのような平板で一面的なメッセージを強制的に金を徴収しておいて送り付けることなのか?
 
そのようなメッセージをどのような基準で「公共のもの」ということにしているんだろうか?
 
「東北大震災」の報道を私はかなり違った視点から見ていた。
「絆」だとか「復興」だとか私には全く理解できない論理のようだった。
少なくとも、私はNHKが想定する視聴者の情緒範囲には入っていないようなのだ。
しかし、視聴料だけは同じように強制徴収されてしまう。
 
いいかい?
「公正・公平」でニュートラルな視聴者なんてどこにもいない。
すべての視聴者を合計し、平均し全くの中間値を計算することができるとして、そんな公正・公平なニュートラルな視聴者なんて現実にはどこにもいない。
ただ雑多な視聴者個人個人が居るだけで。
 
だから、「公正・公平」な態度とはニュートラルに徹することではなく、あらゆる雑多な主張、感覚、感性を多面的にただ羅列することだけしかないはずだ。
 
三流人物・籾井勝人は堂々と自分の意見を表明すればいい。
「私は二流の人物ですから、掛値のない自分の意見を申し上げたのです。
それが公共放送の使命ですから。」
 
それを今更お利口ぶって一流を気取り、「失言でした。撤回します」なんていうのであんたは三流なんだよ。
 

注1)三流の人物: 二流の人物なのに自分が一流であると思い込んでいる人
注2)二流の人物: 一流の人物ではない人
                       (Hemiq式より)
 
 
注3)NHK視聴料の信じられない不条理な徴収法
嘗ては「公共放送」の意味があったのかもしれない。
しかし現代ではNHKが唯一の情報メディアではない。
 
もし、NHKが「国会中継」やニュースのような純粋な報道だけのメディアであればまだしも、オリンピック中継や大河ドラマ、だれも見ていないNFL中継や諸悪の根源「ためしてガッテン」等、不要不急の娯楽番組を勝手に放映し、金を取るのは無理である。
 
私は娯楽として「ひかりテレビ」、ネット配信アダルトサイト「X city」を選択し有料で会員になっている。
プロレス中継ならFNL中継より確実に多くの人がみるだろう。
わたくしはひかりテレビのGAORA等で毎回観戦している。
アダルト番組ならもと多くの人が見るだろう。
 
多数の者がTVで見たいと思っていると(私が思っている)番組を放映せず、勝手な恣意で「これが健全な娯楽」と決めつけるのが公共放送という意味なのか?
小学校の教室に無理やり詰め込まれているような気分ですね。
 
他、ベルリンフィル・デジタルコンサートの有料会員だったが、現在休会中。
これもN響演奏会のプログラムがあまりに古色蒼然として魅力がなかったので会員になった。
 
見たい番組なら金を支払って買うのが現代の商習慣上の健全な感覚だ。
見たくもない番組を勝手に放映しておいて、どういう論理で金を支払えというのか?
 
ちなみに、放送法によれば:
 
放送法第64条(受信契約及び受信料)
1.協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。
  
まともな理窟とはとうてい思えない。
ウチにはテレビ受信機が2台あるのだが、いずれもNHKを視聴する目的で設置しているのはない。
在日外国人が自国のニュースをネット配信で見るモニターとしてのみテレビ受信機を買うようなケースでも、設備があるかぎり視聴料を取るのだ。
現代の商業習慣とはまったくなじまない。
 
まるで町中に空気清浄機を勝手に設置し、傍を通過する通行人から空気清浄料を強制的に取り立てるような悪徳ビジネスを想起してもらいたい。
 
ーー
また、有料放送のWOWWOW等は勝手に電波を送り付けてくるのだが、スクランブル放送にし、料金を支払った者だけがスクランブル解除できるようになっている。
NHK衛星放送も当初スクランブル様のポップアップが常駐し、料金を支払う意図がなければ別にそのままにしておいていいのだ、と思っていたのだが違うようだ。
ポップアップがあろうとなかろうと衛星放送視聴可能設備なら衛星放送契約せよ、とのこと。
ポップアップは意地悪い汚いイヤガラセであるらしい。
 
私は別に自分の意思で衛星放送アンテナをつけているわけではない。
共同住宅なので、施設されている共用アンテナ線につなげば自分の意思とは関係なく自動的に衛星放送受信可能になってしまう。
それでも衛星料金支払えというキタないビジネスをNHKはやっている。
 
ーー
また、「番組を買って見る」NHKオンデマンドが始まった。
なら、NHKの娯楽番組はすべてオンデマンドだけで提供すればいい。
見たい人だけ見る。それが当然だろう。
 
しかし、現実には放映時に視聴料を支払っていても、もう一度同じ番組をオンデマンドで見る時には又料金を支払うことになる。
法的に二重支払いになるのではないか?
 
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