どうしてこうもニ どうしてこうもニ..
[団塊の段階的生活]

どうしてこうもニセモノばかりが(2)

2014/3/21(金) 午後 9:18
(2)佐村カワチノカミ
 
佐村カワチノカミ・本名松本智津夫とばかり思っていたらその後の情報ではこの方の本名がそのような4字の姓らしい。
そのような姓を持って生まれたことがあるいは今回の騒動の遠因だったかもしれない。
生まれつきどうしても目立ってしまう。
何か期待されてしまう。
どうしてもただの二級人物であるということを自分に許せなかった・・・とか。
 
しかし私にはこの方のことはどうでもいい。
ゴーストライターという消せないレッテルを張りつけられてしまった新垣氏のことが頭から離れないのだ。
素人というか、門外漢は簡単にゴーストライターとマスコミが報じたヘッドラインをうのみし、ルール違反を犯した人物というレッテルを張ってしまう。
実はそのように簡単に別世間の事情を断定してしまう行為こそがニセモノをうみだしている土壌に他ならないのだが。
 
自らは音楽やその製作現場について全く無知であるのだが、「現代のベートーベン」だの、「ゴーストライター」だのマスコミが毎日与えてくれる暇つぶしネタでのんきに騒ぐ人物こそ第三流のニセモノ人間である、とは画期的人物解析法 Hemiq式 からただちに導かれる解である。
 
私も新垣氏ではなく偽ベートベンの「謝罪会見」という「報道」の一部を見てしまった。
私から見ればベートーヴェンもなんにもわかっちゃいない放送業界の人物が、相変わらず正義の味方ごっこをし、「あなたはベートーベンを冒涜したとは思わないのですか!」とか糾弾していた。笑おうとしたがやはり笑えなかった。
「冒涜」だって?それって普通は「神」に対して使う用語なんだがね。
 
そしたらカワチノカミが殊勝にも「・・思いマス」とか答えていた。
どちらもどちら。
私にはカワチノカミの方はどうでもいい世界の話である。
 
ついでに思い出した。
ケン・ラッセルの監督したディーリアスの伝記映画で、ディーリアスがベートーヴェンを「あんなのは音楽じゃない」とクソミソに評していた。
テレビタレント、タモリも「ベートーベンが音楽をつまらなくした」とか主張していたはず。
タモリ氏は「B]といえば神のように崇める日本の風潮へのあてつけも多少聞こえ、その点ではこの方を私は評価してます。
つまり音楽に文学的なメッセ―ジを入れ込んだ張本人というわけだ。
しかしそれは時代の好みでもあったわけで、個人が音楽史を創ったわけではない。
私もベートーヴェンはもう結構。
ついでに「冒涜」させといてもらいましょう。
 
音楽、特に商業音楽の製作現場では一人の有名作家をブランド名とし、実際はアシスタントやアレンジャーのグループが全体で製作することが一般的に行われているようだ。
スポーツでも同様でオリンピックで金メダルを授与されるのは個人名だが、実際はコーチ、トレーナー、スポーツ医、その他スポンサーの総合作業であるわけだ。
その全体をたとえば「北島康介」というブランド名で売っていることになる。
 
数年前までは新垣氏もそのような裏方として業界標準的に活動していたものと思える。
カワチノカミは全体のブランド名であり、プロデューサーであったわけだ。
ただ、プロデューサーはあくまで前面に露出してはいけないのだが、ちょいと4字の姓に生まれついた手前、ちょいとハデに自己演出しすぎたのだろう。
私がプロデューサーなら主役は絶対に他人にやらせ、あくまで裏で操りますがね。
 
ゴーストライターという一言でもうすでに何かが分かってしまった気になってはいいけない。
そんな簡単なディジタル方式で価値判断をしてしまうと、たちまち第三流の人物に成り下がってしまう。
 
フランス語の歌詞をカナ書きで歌うことと、歌の理解とは何の関係もない。
しかし、日本語の訳詩より意味もわからんカナで歌うことが「いい」と思う心情があるなら残念ながら立派な第三流の感覚であるという以外はない。
自分に解らないことを簡単に解ってしまってはいけませんよ。
 
門外漢にも関わらず、少しの情報だけで何事かが分かった気になってしまう圧倒的な素人社会。
それがNHKをはじめとするテレビジャーナリズムが作り上げているこの世間の実体だ。
 
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