どうしてこうもニ クライスレリアー..
[団塊の段階的生活]

どうしてこうもニセモノばかりが(3)

2014/3/24(月) 午前 10:56
(3)理研のマボちゃん
 
そうこうしているうちに世間ではもう理研のマボちゃんの方に行っちゃったようだ。
もちろんこの名は私のブログ内だけの呼称で、本名ではない。
本名は・・・と書こうとして思い出せないような珍しい3字姓だったはずだ。
はやりそのような目立つ姓を持って生まれてしまい、とにかく他人より秀でなくては名前負けしてしまう、とか何とかの社会圧があったのでと思ってしまう。
しかし、すみませんね。
ここでは私の好みに従って仮称させていただきます。
 
すでに「理研のオボちゃん」と呼称しているジャーナリズムもあるようだが、絶対
ここは「理研のマボちゃん」でしょうが。
 
後でカタクリ粉を溶いて入れなければならない丸美屋のとは違い、レトルトパックできっちりひき肉も入りそのまま豆腐に絡めればよい。
私は愛好してたのだが、最近見かけなくなった。代わりにクックドゥのヤツが・・・
という話ではないが。
 
実を言うとこの方のニュースも論文コピペ流用問題が姦しくなってから、私の目に触れ、さかのぼって前段階の「デートの時でも祖母の割烹着来て行きます」というような研究とは何の関係もない「美人研究者」で話題になっていたことを知った。
 
この「若い美人なのに最先端の研究者」と報じるマスコミの姿勢にすでに性差別と抜きがたいニセモノ性があるのは自明である。
研究成果に性別や年齢が関係ないのは当然だろう。
 
このような記事を書く記者の頭脳はこうだ。
「最先端の研究者といえばY氏のような中年以上の男性教授がやると思っていた。
しかし今回の論文発表者が若く・しかも美女だったことに驚いた。
普通はこんな美女なら研究職なんかしなくとも・・。
他の日本人読者一般も同様に思っているハズ、よしこの記事は絶対に受ける。」
 
この記者が若い美女なるものに偏見を持とうがそれはそれでご自由に、なのだが「他人もまったく同じ感覚だろう」と、無条件の賛同を得るのが当然というようにおめでたく勝手に盛り上がっちゃってしまっているのが第三流根性丸出しですね。
 
アメリカでは履歴書に性(ジェンダー)や年齢を書かせることも禁止されている。
そのような文化圏での事情が分かっている方なら「発表者は若い女性で、ミニスカートの美女」というような形容を論文発表の記事に絶対に付記することはない。
ましてヘッドラインにそんなの持ってきちゃぁねぇ。
思わず私も産経新聞の写真を必死で探してしまちゃったじやないか(^^;

でもまあ、そんなことをうっとしく思うのなら日本では生きていけない。
私も実は同じようなゲス根性があって適当に楽しんでもいるのだ。
しかし私は自分がゲスでスケベであまりホメられた性格ではないことを知っている。
しかし、この記者達は自分があまりホメられた人間はないことをまったく理解していない。
そこが立派な二流人物である私とNHK会長サンをはじめとする第三流人物との大きな違いだね。
 
理研のマボちゃんも何等かの不注意や誤解、あるいは焦りがあってミスを犯してしまったのだろう。
私は学問的にはまったく門外漢なのだが、論文の盗用や不注意や故意のデータ改変は日常茶飯事的に行われている気はする。
嘗て勤めていた会社で私が上司に提出した報告書を上司の矢追課長が自分の名前に変えてそのまま社長に提出したことも知っている。
 
新聞紙上でも一過性の小さなニュースで論文盗用やデータ改変が報じられることもある。
今回は単なるNature誌掲載論文の不備取り下げという一過性の事例ではないか。投稿者の個人的事情や小学校時代の作文の内容とかそんなものは一切関係もないことだ。
Nature掲載論文が不備取り下げとされても私の生活には全く何の関わりもない件である。
 
しかるに、論文疑惑が報じられてからのニュース記事は科学欄ではなく、社会面でやたらと枝葉に詳しいものだった。
実際のデータの信頼性や理論の検証ではなく、早稲田に出した学位論文も怪しいとか、もしかしたら祖母の割烹着も最近イオンで買ったものだったり?とか。
一体そんなこと報じる必要がどこにあるのか?
 
素人が集まってとにかくワイワイ騒いでいるだけ。
まるで一万人の第九のような、内容のない、空疎なお祭り騒ぎ。
ま、感動したい人はしてください。
しかし日本人なら、人類なら「感動すべるのが当然」なんて勝手な価値判断を私に押し付けないでいただきたい。
 
私は立派な二流の人間であり、あなた方のような第三流の人間とは違うんですから。
 
今年はネルソン・マンデラ元大統領の追悼式典ででたらめの手話通訳をしたタマサンカ・ジャンティ氏の報道に一種のシンパシーを感じてしまって始まった。
この方にしろ、カワチノカミにしろマボちゃんにしろ、ご自分で考えればニセモノだということが後で簡単にバレてしまうのは自明と分かる事例だった。
あるいは「ちょっとしたズルをした」という意識くらいだったのかもしれない。
 
わたくしもそのようなズルをしながら自分と周囲をゴマ化して生きてきたので、なんとなく勝手にわかってしまってシンパシーまで感じるのだ。
だって私、立派な二流の人間ですからね。
しかし周辺に群がる第三流の人物どもが寄ってたかってバッシングに熱中し「極悪人」のレッテルを張って盛り上がる。そういう方があまりに多い。
 
私はそんなニセモノの人間なのだが、私達のニセモノ性を糾弾できるほどあなたはホンモノなのかい?
もしかしたら他人のニセモノ性を糾弾することで自分がホンモノであることを見せたいのかい?
 
おめでとう、それならあなたは立派にホンモノの第三流人物、つまりクソです。
 
フランス語の歌詞をカナを振ってカタコトで歌うことが、日本語の歌詞で歌うより「かっこいい」と素直に思っている善良な知人に、あなたがこんな第三流の社会を構成している張本人ですよ、と本日中に言わねばならないんだが・・・・
 
ソレやってしまうと、私は一流人物のマネすることになり、せっかく苦労して到達した第二流身分から転落してしまうことになる。
立派な二流人物としてはどの辺でごま化して、うやむやにしてしまうのか、ニセモノなりに苦慮するところである(^^;
 
どうしてこうもニ クライスレリアー..