アマチュア合唱団 トラッキーなメン..
[団塊の段階的生活]

中野信行氏の死を悼む

2014/6/17(火) 午後 0:35

2012年高校時代の知人の逝去の報に接し、すこしでも嘗ての友人達の消息を探ろうとFacebookに登録した。
しかし我々の世代はSNSをあまり利用していないようで、以来誰ともコンタクトできたためしはなかった。
今回やっと嘗ての友人の一人に連絡が取れ、メールを交換したのだが、最初に知らされたのは旧友中野信行君の訃報だった。

今年2014年1月22日に急逝したとのこと。
私がもう少し積極的に連絡を取ろうとしていれば、この45年間のお互いの経緯を語りあえたのにという忸怩たる思いが募る。
彼の名前はインターネット上で検索でき、高校教員として勤務先の紀要等に記載されていたのだが。
 
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中野君は今回訃報を知らせてくれたI君や私と同じく高校の文芸部に所属していた。
少人数のクラブで同学年の男子アクチブメンバは数人だけ、いつも部室にこもって議論に興じていたものだ。
少人数といってもそれぞれ個性が違い、Iは史劇、Sは古典、Kは詩歌がメインフィールドだった。

私と中野君はその域までの専門性の確立にはいたらず、どちらかといえば自分たちの思春期の鬱屈した思いを自死した太宰のような近代文学に仮託し、のめりこんだりしていた。
案の定中野君と私はすんなりと大学受験体制に移行できず、いわゆる浪人をすることになる。
当時は過剰な学歴偏重社会で受験戦争とまで称された異常な進学競争が日常化していた。この時点での挫折は即社会からの逸脱を意味してしまうような様相でさえあったのだ。
 
故人の過去を少しだけ漏らすのを許していただければ、多感で傷つきやすいところがあった中野君は大学受験前日にも人生のリセットを個人的に試みたりもする。
彼のリセット衝動は学業成績の不振からではなく、異性への思慕や誠実な生き方を模索しようとする感性と現実に展開する受験体制との齟齬に由来したと思う。
我々は皆どこかで生き悩み、ぼろぼろになりながら夫々の青春と格闘していたのだ。そのような時代だった。
 
一浪の後、中野君は教育大に進学しずっと教育畑で高校教師として一生を終えるということになる。
自身の真摯な青春の蹉跌体験を通じ、学生達の良き理解者であっただろうと私は思っている。
 
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進学し教育大生の中野君と相変わらず浪々としていた私は、一度だけ大阪府立中之島図書館で出会ったことがある。
何か吹っ切れたような柔和な笑顔で大学生活の楽しみを語ってくれた。
私もうれしかった。そしてやはり進学しようと決意した。
 
 
しかし私の方は遂に進学することもなく、そのままいわば底辺社会になしくずし的に組み込まれていき、中野君とはそれ以来ずっと接点が途切れたままだった。
そして45年。
 
彼が学校を完全に退職し自由な時間も出来れば、やがてコンタクトできる機会もそのうちできるだろう、と私はただ待っていた。
届いたのは中野君の急逝の報だった。
今年3月で完全退職する運びになっていたと聞く。
 
なんということか。
出発点を共有し、共に来し方を語り合うべき旧友がまた先に逝ってしまった。
柔和に笑っていた18歳の笑顔だけを私に残して。
 
今は静かに故人の冥福を祈ることしかない。

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