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[団塊の段階的生活]

この一様な、良い子たちの世界

2014/7/1(火) 午後 3:32
テレビの健康番組をちらりと見てしまったのだが、例外的に参考になる情報があったので紹介しておく。
 
「睡眠」に関する番組で、喧伝される常識というものがいかに根拠のないものかを端的に指摘していた。(NHK6/27夕)
 
1)「一日8時間は睡眠をとりたいのだが。」(インタビューのサンプリング)
私も確か一日を3つに分け 仕事(勉学)/余暇/睡眠と8時間ずつに振り分けるのが「いい」と教えられた記憶がある。
 
しかし考えれば当然ながら「適切な睡眠時間は人によって違い、8時間では少ない人や多すぎる人もいる。」
この8時間というのに医学的な根拠はなく、何かのアンケートの結果の集計その他で適当な割り切れた数字として出てきただけのようだ。
日本人の平均睡眠時間を仮に8時間だとしても、8時間睡眠をとらねば不健康であると思い込む必要はまったくない。
 
2)「美容に効果的な成長ホルモンは夜10時から午前2時の眠っている時間に分泌するので、この時間帯には必ず眠るようにしている。」(インタビューのサンプリング)
私はこの話に心当たりはないのだが、ヨメはどこかの化粧品メーカーの講習会でそう教えられたと証言。
 
これは全く話が逆。
この成長ホルモンは熟睡した時に分泌が盛んになり、睡眠開始後2時間くらいがピークになるというのが真相という。
そして統計的にはピーク熟睡時が夜10時から午前2時の人が多い、というだけのことだ。
つまり「統計的には夜10時から午前2時の間に成長ホルモンを分泌させている人が多い」のであって、「成長ホルモンは夜10時から午前2時までの間に出る」と言いかえるのはウソになるのだ。
 
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この話はテレビ等が流布させている一般情報の性格を見事に示していると思える。
テレビ番組はあくまで想定上の平均的視聴者に向けて情報を流し、けっして特定の個人に向けてはいない。
もっといえば単なる商業的メッセージにしか過ぎないことも多い。
 
「コレ、からだにイイんやて、テレビで言うてた」というのが口癖のハハオヤは86歳。
バナナがいいと言われればバナナを買占め、発酵食品がいいと言われれば酒粕を買い占めに行くナイーブな視聴者である。
 
しかし、私から見るとハハオヤはその情報の対象者からあまりにかけ離れている気がする。
現に毎朝味噌汁を食しているハハオヤは別に発酵食品に不足しているわけではない。
86歳の年齢から考えれば発育に欠かせない栄養素をそれ以上摂取しても更なる発育が可能になるワケでもなかろう。
 
「どういう理由でカラダにいいの?」と尋ねても「さあ?テレビで言うてた。」と答えるのみ。
まあ、プラシーボ効果ということもあるので本人が「カラダにイイ」と信じていればそれなりの心理的効果はあるのだろう。
 
ただ、ここで問題なのは、そのような一面的な情報が神なき後の現代の最高権威者「テレビ」が言うことによって一般的真実という位置に無条件に収まってしまうことである。
ハハオヤは限りない善意によってその正しい知識を人々に教え、啓蒙し、善導してくれる。
この方は自分と同様「限りなく健康を気づかい、できるだけ長生きすること」という正しい人生観を必ずムコ(=私)も持って生きていると信じて疑わない。
 
もちろん、私だって今すぐ死にたくはない。
でも無意味に長生きしたくもない。
実を言うと、そんなことはどちらでもいいのだ。
 
普通、平均すると人は健康志向(ま、健康オプセッションだね)を持っていると言うかも知れない。
しかし目の前の特定の個人がたまたま「普通」で「平均的」であることはあり得ない。
更にいうなら「普通」「平均すると」という限定は客観的な数値としての根拠はなく、常に自分自身の恣意的主観に過ぎない。のが普通だね(^^)
 
    世間とは自分のことである。  hemiq 2013
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しばらく小学校的正義感や倫理観というコトバにして、私の周囲に展開している暑苦しい世界を揶揄してきた。
統計や平均という数字を示し何らかの規範を導き出そうとする手法も、そのような小学校民主主義的に一面的な認識を構成してしまう。
 
昔、藤田田という人がテレビで語っていた。
「人はカウンターで注文し、1分48秒以上待たされると長いと感じるものだ。だから我々は1分48秒以内に商品をお渡しすると決めている。」(正確な数字は忘れたが、いやにコマかい端数付だった。)
 
日本マクドナルドがその完全マニュアル主義で成功を収めたのは周知のとおりだが。
1)一体どこのどのような統計がそんな数字を出しているのか?
  単に藤田さんの自分の数字で、ご自身がイラッチなだけじゃ?
 
2)それが日本ファーストフード業界の顧客統計上の正しい平均値だとしても、
  私個人は3分かかろうが、別にかまいません。
  しかし、ウチのヨメなら一分でも「遅ぉっ!」と騒ぎ出すだろう。
 
要するに平均値とか統計値とかいうモノは参考値であるわけで、まったく統計的に平均された個人が、同じ顔をして一様にカウンターに並んでいるワケではない。
頑張って1分48秒で出したところで、計算上は半数の客は「遅い!」と思うわけだ。
 
「平均的な人」を現実に探してもどこにも居ないと銘記すべきだ。
もし居るとすれば「すべてが平均値と偶然に合ってしまった人」という希少かつ例外的な人だろう。
 
 
圧倒的な情報化社会である。
ヘタすると自分という個人も社会的にはただ一個の情報としてだけしか生きていない、というのが本当のところだろう。
しかし、性別・年齢・身長・経歴・名前・資産・家族構成といった情報をいくら積み上げても、それは私個人に永遠に重なることはない。
 
統計や平均という数値化手法によって20世紀の大量生産社会が実現したとも言えるのだが、その数字から抜け落ちていったものがあまりにも多すぎるのだ。
 
 
  人は「孤独な老人一般」というものになるのではない。 
ただ個々の老人になるだけだ。    hemiq 2004
 
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