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[クレタ人の静かな生活] |
ベトナムもそう楽じゃない(2) |
2018/3/6(火)1:52 |
![]() あそこに行けば私は少しだけ再生し、少の間だけだがまた別の人生を生きることができる、と。 そのようにして、とうとう最後に残っていたベトナムカードを使ってしまった。 (2018.2.17 ホイアン →ダナン → フエ 2018.2.28まで) しかし、もうベトナムは私を再生させてくれなかったのだ。 昔、するりと私を受け入れ、新鮮な生への慰めをあたえてくれた、あのベトナムとはどこか違って? 確かに、急激に資本が投入され観光立国風に町の商業主義が目につくようになっていた。 2年前、一目で気に入り私が静かに暮らせる自分の部屋だと同定した下宿でも、割高の朝食代を要求され、毎日届けてくれていた湯もなくなり・・・ 町のSPAには韓国語の看板しかなく、屋台のおバさんにもお釣りをゴマ化されそうになり・・・ いや、そのような変化は世界遺産を擁する観光地なら当然だろう。 以前もタクシーにぼられたりはしていたのだ。 ベトナムが変化していくのは当然だ。 それでも基本的な周辺の集落や農村の、南アジア共通の市場を中心にした庶民の生活自体はまったく変化せず、この数百年・・・そんなことはないか、あのバイクとテレビの浸透とかは。 やはり見ている私の目が変わってしまっていた。 二年前には”日本や西欧の偽善の包囲網から逃れ”、”南アジアの生活の混沌と寛容”がするりと私全体を受け入れてくれるという気がしていた。 しかし、振り返ってみると今はかなり自分の立ち位置がかわっている。 私は自分の偽善(表)と本音(裏)を自覚し、この日本で適当に世間を欺いて生きて行く、というしたたかな姿勢に移行。 「クレタ人の静かな生活」とふざけも、自嘲もしつつ。 ![]() P.Gauguin "IA ORANA MARIA" いや、やはり私は未だベトナムでも生きていくことはできるだろう。 しかし、暮らしというのはどこでも結局同じことなのだ。 もう世界のどこに行っても商業主義的価値観から完全に逃れられるところはない。 前回のベトナム滞在はボードレールが甘美な幻覚の中で歌った時代錯誤のカビ臭い「南の国への憧れ」にすぎなかったのだ。
Mon enfant, ma soeur,
Songe a la douceur D'aller la-bas vivre ensemble ! Aimer a loisir, Aimer et mourir Au pays qui te ressemble ! Les soleils mouilles De ces ciels brouilles Pour mon esprit ont les charmes Si mysterieux De tes traitres yeux, Brillant a travers leurs larmes. La, tout n'est qu'ordre et beaute, Luxe, calme et volupte. ![]() BAUDELAIRE "L'Inviation au Voyage" 愛しそして死ぬこと。その挑むようないたずらっぽい目。 おおらかな熱帯の裸の生と性と死。 そのような牧歌的でささやかな人生を、もしかしたらもう一度、というように。 もちろん実際にゴーギャンのように「現代社会」を完全に捨てようとしていた訳ではない。 ただ、少しだけそのような甘美な幻想に浸っていたかったのだった。 ホイアンの郊外下町の下宿に住み、SPAの女の子と知り合って・・・云々(^^; そんなスケベな気分が町へと誘ってくれることはもう無かった。 そのような憧れがないとしたら、そこはバイクの騒音に満ちたただの退屈な町でしかない。 実は今回はそれが目的だった、とも? そのことを自分でたしかめに行った風でもあったのだ。 結局、どこに行っても世界はただの世界でしかない。 だから自分が生きる場所はここしかないのだ。 Il faut curtiver son jardin.... (自分の庭を耕せ) - "Candide" Voltaire そのような世界と自分に対する幻滅を異国で味わっていると、突然奇妙なメールが届く。 ---- あなたの書いていることは本当のことではない、と? すべてはウソというのはどういういう意味? ベトナムが変わったのではない。 見ている私が世界を変えたのだ。 私が言葉を発し、記述した途端に世界はそのように変わっていく。 あの時も今も私は常に真実しか語っていない。 しかしそれらはすべて私のウソにしかすぎない。 そのようにして私は真実しか語れないクレタ人になる。 |
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