ベトナムもそう楽 クレタ人の静かな..
[クレタ人の静かな生活]

ベトナムもそう楽じゃない(3)

2018/3/7(水)12:43
濡れた薄紙を引き剥がすようにして、この生活から自分を引き剥がさねばならなかった。
まだ私には旅することができるのだ。
そのことを自分で確かめに?

もうどこに行っても同じなのだが、それでも私は自分をここから引き剥がすことだけはできる。
そのことを自分で試しに?

そのようにしていつかは私は世界を去っていく。
濡れた薄紙を引き剥がすように、
自分のいつもの見慣れた世界から、
いやいやながら、それでも自分で決めたことだから、と。

もちろん、変わったのは私の精神だけではない。
あれから2年を経、私の肉体は年齢相応に劣化している。
もう昨年のように一カ月以上を想定し、ベトナム領事館に滞在ビザを申請するような状態ではない。
前回では何も必要はなかったが、処方してもらっている血圧降下剤・コレステロール除去剤、DHA・EPAサプリメント、それにリ・アップ(^^;もその期間分用意しなければ。

そして老眼鏡。
もう私の白内障では薄暗いところで書類の文字を判読することはできない。
今のところダイソーの100円メガネ二点でもいいのだが。

その他旅行のこまごまとした準備を慎重にできるような心理の余裕はない。
ただ何も考えず、ただ薄紙を引き剥がすようにしてそっと日常から。

行き先はよく知っているホイアンとし、ただJetstar便の関空-ダナン直行便と最初の定宿ホイアンホテルだけ予約する。
そのような軟弱なことになり果ててしまっているのだが、それでものうのうと朝寝にまどろむ精神をピリピリと寝床から引き剥がし私は旅にでようとする。

歩き出せばしかし私の肉体はまだ充分それでも役に立ってくれた。
もう何の刺激も与えてくれなかったホイアンを切り上げ、鉄道に乗りフエに降り立った時には未知の町への憧れと好奇が歩を進め、久しぶりに旅の楽しみが回帰してくれた思いだった。

しかし、それからは雨に降られ自転車散策も近郊の半日だけ。
ま、フエも結局はありふれたベトナムの地方都市だったし、更には西欧人観光客ズレしてしまった観光都市のコスからしさも目立っていた。
それはそれで気に行ったホテルも見つけたりはしたのだが。

劣化したのは私だけではない。
2年前と同じ電子機器(タブレット・I-Phone)を携えていったのだが、双方ともかなり老朽化が進み、どうやらベトナムの電圧ではフル充電するのに支障があるようだった。
ホイアンホテルで持参してきた携帯充電器が機能していないと判断し廃棄。
ヴィラ・フエで下一段の入力がまったく不可能になってしまった携帯キーボードを捨てた。

特にタブレットはメインの入力と撮影機材だったのだが、レンズは曇るし、直ぐに充電不足になるし、結局I-phoneで写真を撮ることにした。
しかしコイツもi-phone 4というサポート外のポンコツで、時々フリーズしたまま立ち上がらなくなった。
私にとって入力作業が出来なくなる、というのは時間つぶしのネタが無くなってしまうということだ。
ホイアン旧市街の河原の風に吹かれ、食堂のテラス席でラルー(ビール)を飲んで過ごせるのも2時間が限度だろう。

正直言って私はもう早く帰りたいと思ってしまった。
別にこんなところに来なければならないほど毎日が退屈であった訳でもない。
しかし旅に出る、という気力が残っていることを確認することが必要だったのだ。
それはのっぺりとした日常から自分を無理に引き剥がすという作業にほかならないのだが。

それでもそれなりの体験を積み重ねて二週間の滞在期間が終わろうとする。
ハン川河畔(ダナン)のテラスでココナッツジュースを飲みながら、私が過ごしている相手はタブレットではなくて手帳とボールペンになってしまっている。

今回、そのように前回の滞在と比べ数多くの停滞と劣化を認識せざるを得なかったのだが、ひとつだけ新機軸があった。
SKYPEで日本の外線固定電話に1分2円で通話できる、と確認できたのだ。

旅行中に家人に連絡することはあっても単に時間つぶしに喋るということは今迄なかった。
ヨメが未だにガラケーユーザーでデータ通信契約がなく無料のネット通信通話が不可能だったという事情もある。
しかし1分2円ってことは10分20円、100分200円なら日本で普通にやってた長電話も料金的に可能じゃないか。

そんなわけで、ヒマで仕方がないのでヨメに夜長電話をする、ということになってしまった。
フエでは就寝前のヨメと喋りながら夜の食事を摂ることが多かった。
時差二時間である。

最終日、整備されたハン川のドラゴン橋のたもとで心地よい風に吹かれながらヨメといつものように世間話をしていた。一時間近く?
考えてみればソレ国際電話だぜ?
中部ベトナムの夏の夜の風に吹かれながら、日本の冬と普通に世間話。
まるで中之島の中央公会堂の前のベンチで喋っているように、普通にのんきにさりげなく。
心地よい風が吹き抜けるドラゴン橋のたもとから真冬の日本と、あたりまえのように。

どこかウソくさい不思議な同時性。
しかしそれも現実という虚構の見え方のひとつなんだろう。

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