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[静かな生活] |
業平道にて遭難 |
2019/2/15(金)16:47 |
業平道をご存知だろうか? 奈良県天理市の「筒井筒」がある在原神社から高安町に直線を引くと広大な水田地帯を横切っている。 それが「業平道」であると、ひょんなことで地元の方より教えていただいたのだ。 一昨年夏のストラスブール行き直前の話だが、今ソチラの旅行記を作成中で、この話もついでにUPしておく。 カラオケレインボー大和小泉店に行こうとして国道から右折方向の県道車線が混雑していた。 ショートカットするつもりで近所の集落道に左折、道なりに集落裏の水田の畦道をたどることにしたのだ。 あぜ道伝いはバイクの強みだが、両刃の刃でもある。 以前にこの畦道から西側の県道に抜けた記憶はあったが、突然水田の真ん中で畝にぶつかったところで畦道が消えていた。 ![]() 仕方がないので狭い畔を切り返して方向転換しようとしたところ、前輪が畔の側溝のぬかるみにずるずるとすべりおちてしまい空回り、どうしても身動きできない状態になった。 しかも前輪が沈んでしまったのでステーが地面につかえ、外に張り出せないハメに。 ![]() ![]() 周囲を見渡せば、見事に広大な水田の真ん中、周囲一キロ四方に人家なし。 遠くに農作業中の人が見えたので大声で呼んでみたが反応なし。 バイクを倒す以外に脱出不可能だが、倒せば角度によってはずるずるとバイク全体が側溝に落ちていく可能性もあり、倒すのは最後に手段としておいて、とにかく助けを求めることにした。 結論を言えばポケットに入っている携帯電話でレッカーを手配し、バイクにまたがったまま業者の到着を待つことになった。 ![]() 幸いすぐ日没になり、炎天下の遭難で熱中症のリスクは回避できた。 日暮れてから軽四が畔道の向こうにやってきた。 水田で作業をしていたご婦人はやはり私に気がついていて、男手をつれてやって来てくれたのだった。 バイクの引き上げを手伝ってくれるつもりだったようだが、レッカーがもうすぐ到着する予定だったので丁重にお断りした。 私が勝手に私道に踏み込んでいた状態なので恐縮ものだった。 いかにも地元農家風の軽四運転者初老の男性は「困っているようなので手を貸してやろうか」、というような感じで助かりました。 よく間違えてこの畔道に踏み込む人はいるらしい。 「この前も自転車が入ってきて、見てると倒れよった」とか。 向こうの道路に通じているのは「もう一本南側のナリヒラ道の方や」という。 「ナリヒラって、在原の?」 「そや」 その後、畑のオーナー夫妻と入れ替わりに到着したレッカー業者二名の人力で畦の溝からバイクを脱出させ、これはそれで事なきを得た。 加入している自動車保険はレッカーサービス付きなので小金支払いもなし、そのまま何くわぬ顔してカラオケに(^^; 「業平道」を調べてみた。 業平道とは「在原業平が現天理市檪原の自宅から八尾市高安の愛人宅へ100日近く通い通った道筋」のこと。 業平の本宅には「筒井筒」で遊んだ幼馴染で後結婚した嫁がいて、毎度業平が妾宅へ通うのを見送っていた。 これがよく出来た嫁で、毎度夫が妾宅に通うのを嫌な顔もせず送り出していたという。 プレイボーイの業平もさすがに嫁の態度が気になり、ある日出かけるふりをして庭の植え込みに隠れ、嫁の様子を覗ってみることにした。 残された嫁は奈良大阪の難所一三峠を夜越えていく夫の道中の心細さを案じ、無事峠を越えるように念じていたのだった。 この後、業平はきっぱりと大阪夜遊びを止めたとか。 私も業平道を通り生駒越えてナンバまで夜遊びに通いもするが、それが千年昔からのこの辺りのオトナの伝統的慣習でもあったようだ。 「で、キミも夜遊びに行く夫の無事を案じてくれてる?」とヨメに尋ねてみた。 「なんでワタシがぁ? 歩いて十三峠越えじゃなくて、バイクで第2阪奈高速道路でしょうが?」とかツレないご返事。 うむ、業平も天皇家に連なる大貴族だからまさか一人歩いて生駒を越えていたたわけじゃないと思うのだが。 牛車か輿か、そのあたりの資料は今のところ見当たらない。 |
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