業平道にて遭難 回帰する春のおぞ..
[静かな生活]

まだそんなトシやないんやが・・・

2019/3/16(土)23:34

相変わらずハン・ミュンデンメソードによるピアノの練習は続けている。

先日梅田のRHYで練習し、乱入してきたヨメが写真を撮ってくれた。

ちなみにFBに出している下のプロフィール写真は高校1年、音楽室でピアノを弾いている私である。

これが↓54年後の我が姿(^^;

よくぞまだ頭の髪が残っていてくれていて(^^)

しかし、先先月来の右腕のシビレと極端な疲労感が取れないのだ。
ややもすると指先が硬直する感覚まで出たりする。
先週もう一度右首頸椎あたりのMRI画像を撮り再検査してもらったが、そんなモンだと言われてしまう。

久しぶりにショパンのエチュードNo3「黒鍵」をやってみると見事に小指が硬直しこわばって使い物にならなかった。
斯くして経年劣化は少しずつ、しかししっかりと確実に私の首をジワリと締めにきてくれている。
抗いようもなく縮んでいく残り時間はそのようにしてわが魂を「装いせよ」とけしかけるのだ。

それでは今、と、刻々と消え去っていく時を惜しみつつ、過去のレパートリーをもう一度、慈しんでという感じで、少々真面目に弾き返しているところ。

例によってハン=ミュンデンメソードとふざけ称しているが、こうして今改めて弾き返してみると私のショパンもアルベニスもラグタイムもやはり完璧に演奏できるものは何もなかった(^^;
せめて「駅ピアノ」で衆目を集めるくらいには・・と多少のヤマ気を出したところで、その実「楽器屋店頭ピアノの立ち弾き」くらいがセキの山だろうて・・・

もう一つはフランス語。
実は今年から梅田のNOVAに通いだし、フランス語のレッスンを再開。
クラス分けのオーディションでは英語がかろうじて上級だったのにフランス語は中級どまりの評価。
え?こんなに喋れるのに、とか思いつつレッスンに行くと・・・なるほど、これはヒドイと自分でも驚く文法完全無視のお粗末さ。
インストラクタがちなみに、といってテストしてくれたがETRE(be動詞)の活用すら正確に思い出せなくなっていることが判明・・・。

自分では弾けているつもりが、客観的にはまったくの独りよがりだった、という顛末(−−;

私のフランス語についてはすでに今工事中の昨年のストラスブール滞在記にも前例がある。現地の学校で「初級」という認定しかもらえなかったのだった(--;
また、一月にはどこかのエラい権威筋の方から私のフランス語は「まったく出鱈目」とのお墨付きもいただき、ネット上で全国区に流していただいたりもした。
もうハン=ミュンデンメソードとか嘯いてるトシじゃないだろう。
残り時間はもう殆どないんだぜ・・・

ピアノもフランス語にも何十年も付き合ってきた。
今はもう衆目を集めてやろうとか、メシの種にしてやろうとかの意図はまったくない。
若年時なら「電子オルガン演奏家」や「仏語通訳」とかの名刺をそれとなくチラつかせたりもしたのだったが(^^;

今まで音楽や語学、文学や哲学への関心で生きてきたと自分で思っていたのだが、今、正直に振り返ってみると、やはり基礎がまったく出来ていない出鱈目でいい加減な素人芸でしかなかったなと・・今更ながら思い知る。
どうやってもホンモノになれない、中身までウソくさく、うさん臭い人間だった。

それが、それに加え既に経年劣化だと?
どうにかせんとこのままじゃ、死に切れん?やないな・・・メンツがたたん?でもないか・・・
要するに何か「やらんといかん」と、攻め寄せてくる時の経過に曝されながら。
まだやらんといかん仕事が私にはあるのか?
最後にたった一つくらいホンモノの芸を仕上げてから退場せぇ、と?

何かまだどこか間違っとるようだが(^^)v

放っておけばあと数年で完全退化し消滅していく私の右腕や脳ミソの技能達よ。
別に消滅していってもかまわないのだが、今はそのような形でエントロピーが最大になるのをできるだけ「無意味に」遅らせようとメンテナンスを続け、この自己矛盾を際立たせること。
それが「仕事」であったのだし、それが「私が」生きているということの意味なのだ、と。

スポーツジムで腕力をつかうボディパンプスとコア・トレーニングのプログラムをサボりだして3週間経った。
指の動かぬピアノも動詞の活用もできないフランス語のことも。
まだ、もう少し何とかせんと、いかんのではないか?

頸椎狭窄症の診断をしてもらった医師は、「それ、トシなんですかね?」と誘うと「これまで70年間酷使し続けてきたんやからね」と以降どんな症状であってもソチラに結論を逃げ込ませるだけだった。

「もうトシやから・・・」と曖昧で安直で、万能で慰めに満ちた自己評価には、私は「まだ」すこし逃げ込みたくないようだ。
「もうトシやから」と一度言ってしまうと、そこから限りも出口もない悪魔の無限循環論法が始まってしまうのだろう。

それでは、「もうトシやから」と、つい言ってしまう場面で、私はこれからこう言い換えるとしよう。 これはどんな文脈であっても上のセリフとの意味論的完全互換性がある。

 「まだそんなトシやないんやが・・」 と。

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