マスク文化の黎明 大阪東・眠れない..
[静かな生活]

この春、私はサボる。

2021/3/21(日)2:16

今年は2月にもかなり春めいた日があったのだが、再び寒くなり・・・
それからひと月経過し、どうやら本当に春になったようだ。
先週末、ヨメと”まほろばキッチン”にイチゴを買いに行った。
一昨年の春だったか、そっちらのレストランのイチゴの食べ放題や、豊富な産直イチゴの箱売りを目当てによく行ったもんだった。
昨年は異例な春で、私ではなく世界の方が狂いだし、結果として私の方は助かってしまったのだった。
今年、世界は相変わらず元通りには修復できていないようだが、しかしこの異例は長期化し、日常化してしまい、もう私に新鮮な新しい視界を開かせてくれはしない。

一昨年の春の同じような光景に私はおかしなコメントを書いていた。


  いちご買う

    ヨメ微笑まし

      春の哀しき



変な話だが、そのことを思い出した時、瞬時に私にいつもの春の苦しさが蘇ってきた。

そうだった。
今年は世界はもう何も新しく変わってはくれないし、逆に世界は私に「外に自閉する」ことさえさせてはくれないのだ。
その前年には意識して中部ベトナムに潜伏したり夏の短期留学の計画を「粛々と」進めていた。
その秋からは新しくNOVAに登録し梅田に通い、ピアノのレッスンの受講も始めた。
昨年からはアイススケートを始める予定だったが、たまたま浪速スポーツセンターが閉鎖になり、しかたなく・・・という感じで地元のボウリング教室に参加した。

ピアノとNOVAで2年は持ったが、「学習」としては期待はずれだった → 自分にだ。
やはり自閉的独学というのが私の気分だろう。

それに私は2年以上同じことを続けていると、次第に苦痛になってくる性分である。
仕事も住居も家庭も二年以上継続出来たことはない。
しかし、そんなに簡単に変更することが出来るわけでもなく、もう何等の新鮮なエネルギーも補填できず、ただ鬱鬱と生きていた時が多いのは世のならい。

もう幸い義務仕事をしなければならない束縛はないし、他人が決めた家庭モデルをなぞらねばならない義務もない。
居住地の制約もなく、いつでも転居可能。
しかしそれでも春には生きているのがかなりしんどいと感じてしまう。
もうたくさんなのだ、世界にも 私にも。

   ---
しかしながら・・・今年はまた違った局面が顕在化してきた。
今までよく持ったとは思うのだが、私の肉体の方の老化変調がいやに重なってきたのだ。
スポーツクラブには相変わらず通っていて、そこまで体力自体は落ちてはいない。
体幹ではなく身体局部の劣化が顕著になってきた。

耳の難聴、目の白内障、手の痺れやつき指の日常化とバランス感覚の低下。
いずれも身体右側に症状が局在し、一時は持病の脳左動脈狭窄症からの脳損傷を疑ったりした。
それではなかったようなのだが、多分これも持病の頸椎狭窄症状の影響だろうか。

運動を制限することはできないのだが、レベルを一段階下げることになるだろう。
それでなくともご近所コナミの閉鎖、今のスポーツクラブにはハードな筋トレ系プログラムが皆無等で自然に運動レベルは落ちてしまっているのに。
プログラム終了後、4種400米メドレー3セット(30分)の自主水泳トレーニングは続けているのだが、最近とみにラクして泳ぐクセがついてしまい(^^;
まあ、あまり大きな声でいうことではないが、趣味のアダルトビデオ鑑賞でもかなり盛り上がり力に欠け、いつも途中で眠りこけてしまっている塩梅(^^;
最近はどうも二日がかりで何とかかろうじて事を果たすような状況で。 参照) 次項「寝苦しい大阪東の夢」

こいつはやっぱりテストステロンの分泌力の枯渇かい?
いよいよだよな・・・(^^;
   ---

スポーツクラブには通うのだが、いつの間にかヒマ老人ご同輩がなんとなく集まっているような平日の午前・午後のスタジオプログラムだけに参加するようになってしまっている。
元々私の地元の公営ジムには若者は殆ど居ず、夜のプールだけにはかろうじて仕事帰りの現役水泳部風が泳いでいたのだが、今は平日午後の老人同輩がただぷかぷか浮いている時間に(^^;

昨年暮れから始めた老人向けの「健康ボウリング教室」参加で少し右25指を痛め、更にピアノの練習で付き指状態になりいつまでも快復しない。
とうとうピアノ教室を退会せざるを得なくなった。

そしてどうもオンライン・リモート化してしまったNOVAにも当初のモチベーションが著しく低下。
当初?
’18に短期留学でフランスに滞在した時、文法試問がまったくできなくて初日に初心者(A2)のクラスに入れられてしまい、不甲斐ない思いをした。
嘗て仏検1級、”運輸省管轄”のフランス語通訳案内業試験に合格した私がだぜ(^^;
どうしてもDELFのB2かC1くらいはとっとかないと・・・と少々焦っていたのだった。
せめてNOVAにでも通って、仏語を喋る習慣を日常化しとかねば、と。
しかし、もう海外渡航は当分できないだろう。
私が自力で生活できる体力があるうちには・・

ピアノと仏語はなんとなく私の成人してからの生活のコアだったようだった。
仕事としても余暇にしても。
まあ、別に教室に通わなくともソレとは一生付き合って行くだろう。
でも、ますます私の自分への自己顕示レベルが低下していくのは間違いないな・・・

   ---
かくてピアノ教室とNOVAを退会すると決定。

そしたら気分がかなり楽になった。
自分が決めた日程でも「どこそこに何時に行かねば」という義務意識はかなりの重みになっていた。
もう仏語で暮らすことはないし、ショパンコンクールに出場することもない(^^;
ただ自分だけのささやかな達成感を感じるために独学自己流のお稽古は続けるのだろう。

「もう行かなくてもいい」その日だけを楽しみに昔は会社勤めをしていたのだが。
まさか、自分で決めた習い事でもかなりの負荷になっていたとは。

まあいい。
いつも春には焦り、「何か新しいことをしなければ」、と外に探していたのだった。
しかしその逆でも鬱は軽減するようだ。
別に何もしなくともいい。
これからは「やることもできなく」なっていくのだ。

いや、「できなくなる」のではない。
別に「やらなくともいい」のだ。


この春、私は人生をちょいとサボることにした。


マスク文化の黎明 大阪東・眠れない..