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[静かな生活] |
着かず離れず合唱団 |
2021/12/11(土)15:43 |
12月5日(日) 当市主催の「第九演奏会」公演参加。 客席人数制限もあり、合唱団が客席前列で待機、オペラのオーケストラボックス風に上方に歌うという異例な上演だったが、それなりに楽しかった。 当市のホールは悪くなかったし、異例な上演形態のおかげで、オーケストラの前面かぶりつき位置で第一楽章から音楽の方をたっぷり聞くことができた。 聞き飽きたと言いたいほどの曲だが、しかし流石にあらためて聞くこの作曲家の音楽的アイデアの豊穣さに倦むことはなく、新鮮な驚きさえ感じたのだ。 ベルリンフィルDCの会員である私は、どのみち地方都市、ご近所の演奏団体だろ、とあられもない上から目線で見下していた感もあった私は、若者が大半のオーケストラ(奈良フィル)の演奏の質の高さに、自分の認識のずれを恥じもした(^^: この前のショパンコンクールでも、日本の若者のとてつもない音楽的才能と技術に瞠目したものだが、現在の幼児期から豊かな音楽や語学体験を得られる環境は、我々の世代の貧困とは比べるべくもない。 その代わり、西欧文化への憧れは我々世代の方が純一だったとは思うのだが。 私は「第九」というイベントは好きではない。 その季節性イベント恒例の集団幻想的盛り上がりが、真に音楽の感動であると信じて自己陶酔するには私は人が悪すぎる。 一度「一万人の第九」に参加し、終演時の周囲の興奮の中で完全に冷めてしまい、ばかばかし、とつぶやいてしまった経験が根底にある。 しかしベルカント風の発声訓練をし、自分をメンテナンスする機会は得難い。 今回はバイクで5分のご近所だったので三か月弱の練習に定期的に参加した。 今ではかなりマイナーなこの趣味の参加者はやはり私と同世代の者が大半で、「昔盆栽、今第九」で間違いないだろう(^^; ショパンコンクール開催年並みの頻度で久しぶりに参加したのだが地元の見知った旧知の顔ぶれはほとんど変わらず。 私も大阪の「一万人」は別にしても、今回で当市のヤツもコンプリートし、近接4市の「第九」にはすべて参加したことになる。 「第九」は好きじゃないが、「第九」に参加するのはきらいじゃない(^^; 寄せ集めの一過性のイベント合唱団なら練習は楽しい。 今回、やはり旧知の当地合唱団のメンバーに再会し、あいさつ代わり誘われ、思わず再入団を承知してしまった。 物理的には充分可能な練習日程だし、すぐご近所だし。 新シーズンの練習曲もウチのライブラリにあるし。 。。、 しかし、何回かそのつもりで第九の練習に参加して声を出していると、次第に常設合唱団のメンバーだった頃の私の折り合いの悪さの記憶が戻ってきてしまった。 合唱団とは自分が思いきり声を出せる唯一の場所というのが第一の参加理由。 そして未だに私は声が大きいのだ。 仲間との交歓、イベントとしての演奏会の楽しみ、その他、アマチュア合唱団の参加目的は雑多だろう。 だから私のような大声を出したいので、ということもアリなハズだが、どうもソレは御法度らしいのだ。 あくまでハーモニーに収まる程度の声量でなければならない、それは絶対的なルール。 そんなことくらい解ってらい。 指揮、指導者が「そこ、抑えて」と指摘するなら私は従う。 しかし、どうも近接する他の団員には普通に私の声が大きすぎると感じ、わざわざ「そこはもうすこし・・」と親切に個人指導してくださる方が必ずいる。 「あ、mfでしたね、そこは」とか面従腹背的に場を保つのだが、個人的ストレスは蓄積する一方。 アマチュア合唱団なら、団員同士で互いの奏法をとやかく言うのは御法度にしないと。 お互いアマチュアなんだろ? 当地の合唱団も発足当時は男性のほぼ全員は初心者だったのだが、10年を経過すると県の合唱祭で優秀賞をいただくほどになってくる。 当初は楽譜も読めず口移しで音を覚えていたメンバーも音程感に自信が付き、堂々と歌唱できるようになる。 実はこのような初心者上がりの経験者が一番うるさい。 他の者が自分が正しと信じている音程・音量でないと黙ってられないのだ。 合唱団でなくとも、この手の「普通・世間とは自分のこと」と信じ、自らの世界の安定を乱すものには正義を行使するのが義務である、という善意の隣人は常に存在する。 アマチュア合唱団というのもこの日常社会の正確なミニチュアであることは否めない。 私のニガ手な社会参加(^^; まだ練習日が始まっていないのに、私が自分でまた団員を再開すると表明したことが次第に重荷になってきてしまっていた。 軽い気持ちで参加? それがイカンのだ! やはり私は自分の位置を常に認識しているべきなのだ。 少なくとももう古希も過ぎたし、大丈夫だろう・・と自分を甘く見てはまた失敗するぞ。 第九合唱団で久しぶりに声を出すと、まだ枯れると言うにはほど遠かった(^^; 第九演奏会当日には、有料公演としての最低の音楽的音量補足として指導者が賛助団員(助っ人)を幾人か連れてくるのが通例だ。 公演終了後、内輪の解散式で助っ人の皆さんの紹介もあった。 ソプラノ、アルト、テナーの数人ずつが拍手で紹介されたが、ベースには無・・。 少なくともベースに補強は不要だったということだ。 第九の場合、音量と言うより音域の補強ということもあるのだが。 第九公演は無事終了したが、当地合唱団の再加入表明をどうしたらいいのか? この公演の前にあったご当地合唱団の定期演奏会を再入団前提に団長サンからもらったチケットで聞きに行った。 各ステージで衣装も違え、ポピュラーから本格合唱曲までそろえ、日曜午後に恰好の催しだった。 各パートのバランスもよくまとまっていて耳に違和感は無かった。 逆説的に、私がここに参加してはイカンだろうと確信(^^; 最後の第九練習日に一緒したご当地合唱団の旧知のメンバーに、完璧なハーモニーで私が再参加することに躊躇さえした、と演奏会の感想を伝えた。 すると、この御仁はこう助言してくださったのだ。 「声の小さな者に大きな声を出せ、というのは無理だが、声の大きな者は小さな声をだせるハズ。」 なるほど。 しかし、声の小さな者が大きな声を出せないことより、声の大きな者が大きな声を出せないストレスの方が絶対に大きい。 熟考の末、第九公演とほぼ同時に開始したご当地合唱団の今期第一回練習日直前に私は出席せず、再加入を残念する旨を伝えることにした。 一度は承諾した再入団を断る、もっともらしい言い訳をどうするかこの時悩みに悩む。 私は大阪に転居することにした。 |
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