正月の結末  正月病とは..
[静かな生活]

 正月後遺症で墓地


'25 1月4日(土)
土曜日だが正月休み中、とりあえず心あたりの医院・病院・救急センターに電話し処置を相談。どこもインフルエンザの患者で満員で受け入れる余地なし状態。
結局、中央区の高津病院が11時半までに来院すれば受け入れ可能とか。

弟に本日の初孫披露年始会はキャンセルの旨連絡。
考えて見ればこれは最近希になった正月らしく晴れがましい多少の高揚をもたらすイベントであったハズだ。
ヨメも青い目の姻戚女児を見たかっただろう・・・しかしそれはまたいつか。
今は38度の熱をどうにかするのが先決だ。

お昼前の高津病院はぎっしり満員、順番が回ってくるまでたっぷり2,5時間。
とうとう待合室の残っている最後の患者になってしまっていた。

「インフルエンザA型陽性です。」
治療薬ゾフナールと頓服でカロナールを処方してもらって診察終了。
3時間待って5分の診察か・・・。

病院向かいのオレンジ薬局でゾフナール服用し、これで治療は終了。
ゾフナールは一回の服用でウィルスの増殖を10日くらい抑制できるらしい。
しかし病名がはっきりし、治療も終わったので幾分気分は多少快復。

高津公園から高津神社参道を見る。
なかなかうららかな正月らしい雰囲気。
難波の下町の現住居とは逆の上町台地にある高津地区は古い寺社が林立し、昔の寺町の雰囲気がかなり濃厚に残っている。
折角、高津病院に来たので付近を散歩する気になる。

とある寺にさりげなく「お初墓所」の案内石柱あり。
中寺町法華宗久成寺。

江戸時代の文献にもある古刹である。
比較的小さな寺だが石垣や墓石の年代色はただモノではない。

墓所は寺の裏にあり、周囲を高層ビルに囲まれていて一種不思議な空間になっていた。

特に右の石垣の上は中層マンションになっている。
毎夜お初の霊が恨めしく彷徨うのを見られるのか、毎朝お初の墓に居ながらにして参ることができるのか、いずれにせよ資産価値評価が気になる住居である。

しばらく新旧様々な墓石の間を探索・・・
奥のこの一角は間違いなく数百年前の墓石群。
元禄16年(1703年)、近松の『曽根崎心中』上演。

当時、大阪に来ていた近松は曽根崎・天神の森でのお初の情死を知り、早速浄瑠璃を書き起こしたと墓所くぐりの横にさりげなく案内が貼り付けてあった。
もちろんこのお初の墓は近年、寺の檀家一同が奉納したものだが、当時19才のお初がこの地に埋葬されているのは史実らしい。
正月に高津・生玉の寺町を散策、何か墓地から呼びかけられたような気もしたのだが。
 (遠くから、呼ぶ声0)
up:2025/1/12(日)23:14
vo:smsy/hk2025/68454976.html
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