正月後遺症で墓  遠くから、呼ぶ..
[静かな生活]

 正月病とは


'24 1月12日(日)
不穏な気配は充満していたのだが何とか年は越せた。
--- テト休戦?
ベトナム戦争時代の古い新聞記事タイトルだったか。

なんとか正月まで持った・・・なんとかこのまま、行けるだろう・・・とか。
しかしこれは単に正月休戦に過ぎず、思わぬ日常の不如意は裏に厳として存在するこの世のカオスを透け見させる。

ヨメのインフルエンザ、熱は下がったのだが咳が止まらず、体力を削っていく。
病の気配は周囲に感染。 人に感染、世界は病む。

病弱になったヨメの替わりに私が台所に立つ。
料理は得意でもないのだが、独身生活50年のキャリアはダテではない。
写真は私の作成したチョコレートケーキ。

しかし私の料理はもとよりヨメの口には合わない。
それが病の味覚故であると自覚し、共同生活者の努力に精いっぱいの追従を弄する・・・
・・・とかいう程の義理難いヨメではない。
だからあなたは!との容赦ない非難応酬の日常(^^:
身内の介護はその距離感がデリケートで難しいのだ。

内科に電話で処方発注し対処療法鎮痛剤等投入。
耳鼻咽喉科で気管支炎吸入薬等処方。
熱は下がったが咳は治まらず、体力もさほど快復せず。
しかし年明けから公用業務は再開し、理事長はガラガラ声で矢継ぎ早に電話応対を繰り返す。
私が昨年から大量に書き溜めた迷惑隣人勝兵館への批判文書類も何度も書き直し準備するのだが、この大量文書を処理できるほどの力量を病弱の理事長率いる理事会に期待する術もなし。思い至るとすべてがうっとおしい。

次第に暗澹たる内的病が胚胎。
これが正月病というやつか。

外食に出かけるほどの気力・体力がない。
街に散歩に出かけるが高島屋あたりで既に疲労蓄積。
じゃ、あそこで休憩するか?との問にヨメが即賛同。
”え?もう疲れた?”と常なら私を糾弾するハズだったのだが。
散歩に出ること、どこかで休憩することを暗黙に内包する。

私の1月は病院での定期検診が集中する月でもある。
昨年手術した心臓には問題はなかった。
しかし、歯科医から歯内の微生物も血中プラークの原因になると警告される。
そうか、原因は心臓だけではない。
頸椎狭窄も歯内菌も、ソイツ等全体が疑わしい。

京橋宮本むなしのカツ丼790円。

いつもは酔狂で復路無料の大阪シティバス2路線を乗り継いで帰るのだが、もうそんな気もなく、京橋コナミ、ルーチンワークの帰路の出来心。
いつもの光景が飽き飽きと繰り返すことへのささいな抵抗。
どうしようもなく閉じていくこの世界への、宮本むなし。

泌尿器科検診、昨秋急に低下したと思えたPSAは、見事に再生復活順調に成長中。
多少は期待もしていたのだが、タヌキのふぐりは嗤うしかない。
他に 腹部エコーで膵菅に異常?それってナニ?ソレのこと?
ソレって冗談やないんだろ?

病の気配は兄からもご送付いただく。
どうしようもない老齢の闘病は嗤って記す以外になく、読み手も嗤いの中の苦悩を読み取るしかない。
兄から私に用もなく便りをよこすということ自体異例、やはりそちらもソレなのかと。

理事長のお供で迷惑隣人勝兵館と奥歯にモノ挟み、会談。
特定建築物定期調査の報告で当館の隠しきれない老醜、確認。

理事会での勝兵館対応はやはり埒もあかず、後は個人で対処するしかないと。
ま、それは当然、受けて立つつもり。
しかし、私にそんな時間が残っているんだろうか?
病を押し、死ぬまで社会正義の為に戦う、なんぞという志はもとからない。
ただ、このままではこの3年間蓄積させられてしまった憤怒をうまく消化できないのだ。
消化するだけではなく、密かに社会レベルで昇華することも期していたのだが。

しかし、今はそれどころではなさそうだ。
私が最後にやらねばならないのはそれではない。
何時までも決着もつかずグジャグじゃと、
ただ意味もなく、今もまだ、ここに居残っている私が。

up:2025/1/24(金)2:10
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