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[静かな生活] |
遠くから、呼ぶ声 |
どうやらヨメの病は軽い気管支炎で治まるようだ。 今朝は久しぶりに二人で朝寝を決め込み、遅い朝食をゆっくり食す。 冬場だが、ベランダ越しの温かそうな陽光が、緑の気配を記憶から呼んでくる。 くさいきれ・・草いきれ・・草熱れ・・・という語感が菟田野師匠を思い出させ、二人で昨年思いついて尋ねた農園主の消息を確認しあった。 ![]() 昨秋、やっとその気になった旧宅整理の次いでに、宇陀の山道をバイクで走行、ふと思い出して菟田野師匠の農園を訪れたのだった。 もちろん、ご本人がいらっしゃるとは期待してはいなかったのだが、ご近所の方に消息を伺うことができた。 この方の話しでは”丁度今朝、来訪されていたところだった”とか。 一足違いだったようだ。 「しかし、果たして生きて再会できるような時間があるのだろうか?」 ・・・とその日のブログ(10月)に私は書いた。 菟田野師匠の訃報が舞い込んだのはその後すぐだった。 氏は既に9月に逝去されていたと。 宇陀菟田野の佐倉峠に差し掛かり、ふと私は遠くから呼び声を聞いた、ということだ。 菟田野師匠とは「歌の師匠」の謂いで、私が若年から折に触れて参加していた合唱団で最後に指導していただいた指揮者だった。 思えば昨年8月には同じ合唱団の先輩で高校の同窓でもあるキモト氏の訃報をご子息がFBに投稿されていた。 この方は私のニシナリ中学の先輩でもあり、お互いにもうニシナリとの縁は切っていたのだが、ある時ディープ・ニシナリ鶴見橋商店街でぱったり出会い、お互いの出自を問わず語りに、あるいは苦笑交じりに確認したこともあった。 この先輩の繋がりがあり、同じ高校の「音楽部」の後輩が3名、それぞれ一学年ずつズレて入団。それぞれ指揮者、団長、私は・・ま、パートリーダー止まりだったが(^^;それなりに後輩3名共合唱団の歴史に名を連ねている。 しかし、その中で指揮者に就任したハナムロ氏はかなり昔に早世され、音大でハナムロ氏や菟田野師匠とツルんでいた仲間のコバヤシ氏が後任の指揮者に就任してこられた。 しかしもうそのコバヤシ氏も既に故人。 -あ、コバヤシさんは最近亡くなったんでは?とヨメが口を挟む。 -え?あ、そうじゃなくて・・・それは奈良の合唱団の方のコバヤシ・マサオさん。 -あ、そうか。 思えば回想に登場する親しい人々の大半はもう故人である。 あ、オカモトさんは違う(^^; 私が昨年FBにUPしたキモト氏へのオマージュに対し、「葬儀に参列した」というオカモトサンのコメントあり。念のため。 このところ盛んに、遠くからの呼びかけが去来。 今見ている世界とは別の位相から。 そろそろ私も結論的に和解しておく潮時なのかもな。 私の行く末に、忍耐強く、ずっと待っていてくれている、ソ レ と。 --- 追記 --- 今年に入り、初めてポール・オースターの作品を読んだ。 米文学には全く関心がなく、わずかに若年時、”60年代”世代のギンズバーグ等ビートジェネレーションの詩人達に数度目を通したくらいだった。 図書館で柴田元彦訳「冬の日誌」の水墨画のような静かな装丁に目を惹かれ、借りだして読み始めた。 ⇒ ポール・オースター「冬の日誌」 読書控 この本を手に取り読み始めた時の心象を思い返すと、本が私に呼びかけたとしか言いようがないことに気がつく。 老齢を意識し、やがて終了していく諦念の目に去来する雑多で多様な来し方の記憶達。ランダムにフラッシュバックするそれらの光景をもう一度呼びおこし反芻させているのは決して解答されることがない永遠の疑問。 自分とは何か。 生きてきたこの世界の中で自分とは一体何だったのか。 ポール・オースターは1947年に生まれ、昨年77才で逝去していたと知る。 up:2025/1/26(日)0:35
vo:smsy/hk2025/68455468.html
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