ザグレブ(2)  トリエステ(2) ...
[サラエボから東ベルリンへ]

 リュブリャナからトリエステ(1)


'01 2月2日(金)2
ザグレブ中央駅両替所で残った現地通貨をユーロに交換しようとしたら、”外貨”には交換出来ないといわれ私設の両替所に行く。
今ならクレジットカードさえ持っていれば通貨交換も不要だが、当時のヨーロッパ旅行は現地通貨の手当と処理が大変だった。クロアチアは2024年ユーロ圏加入。

列車に乗る。

ヨメにとっては始めてのヨーロッパ鉄道の旅。

私はフランス遊学時代の1983年にユーレイルパスとトマス・クックの国際時刻表を持って一ヶ月ほどヨーロッパ全域を回った。

この時も同様にユーレイルパスとトマス・クックを持ってきていたが、この地域はユーレイルパスの範囲外。

列車の窓から眺める東欧の町と村。

昔の領主の城館だな。

丘の上の尖塔は教会だろう。

すでにクロアチアではなくスロベニアに入っているはずだ。

スロベニアには寄り道せず、直接イタリアのトリエステに向かう予定。
旧ユーゴスラビアの北端がスロベニアで、オーストリアとイタリアに接している。

カタカナでかくとスロベニアかスベロニアかいつも判然としない。
2019年にブダペストからプラハまで鉄道で行ったが途中、スロバキアを素通り通過した。
この時もスロベニアを素通り通過・・・なにか記憶が混乱しそう(^^;

当時、インターネットの黎明期で私もほんの少しコンピュータを使って仕事をしていた。
リュブリャナの大学かどこかのグループがよくネットに情報を提供していた。
もうどういう分野の話かまったく思い出せないが、リュブリャナという地名だけは頭に入っていた。

そろそろヨーロッパアルプスの片鱗が見えてくる。

スイス・オーストリーを貫くアルプスの南端がソレだろう。

スロベニアのトリグラウ国立公園。チトーの別荘があったらしい。

リュブリヤナ着。
乗り換えの間に駅前で写真。
期待に反し、駅はかなり郊外にあるようで、なにも目ぼしいものは見えない。
多少”ルブリャナ”という地名に惹かれるものがあったのだが、残念。

ここから線路は大きく左カーブしイタリア国境へ向かう。
夕暮れの冬木立の中を鉄道が走り抜けていく感覚・・・

トリエステ着19:15、夜。
紛れもない”西洋”の町に来た安心感。
先ず手持ちのドルをユーロに両替。
当時のレートは93.42
駅の案内所でホテルを予約しようとするがどこも満室。
どうやら国際会議があるらしい。
駅に荷物を預け、足でホテルを探すことにする。
最初の駅前ホテルが一部屋空いている、と。
ちょい高め。
応対したレセプションの女性がフランス語で応対してくれたので印象はいい。
裏手のもう2軒を当たるが満室。
最初のホテルに決める。
"NOVO HOTEL IMPERO" 230EUR→
いざ実際に鍵をもらって入ってみると、高級ホテル並みのプライスの割には設備が古そう。
例によってヨメは不満そう。

「文句言わない。ここしかない。」と軽くたしなめる。
私としてはホテルが見つかっただけでも心が軽くなったのに。

町に食べに出る。
シーズンオフの海辺。
トリエステという地名にどこか文学的な憧憬を抱くのだが、夜の海岸沿いの暗い町筋には大したものはなく、たまたま開いていたレストランに入る。
入ってみればローマ風アーチの内装があるまずまずのレストラン。
さすがはトリエステ。
リゾットを食す、と旅行中のメモにある。
前夜もザグレブでリゾットを喰ったらしいのだが、記憶はもう風化し本場のリゾットの味不明。

up:2025/3/11(火)1:52
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