ヴィチェンツア  .. スイス横断4時間 ...
[サラエボから東ベルリンへ 2001]

 ミラノ 


'01 2月3日(土)3
6:30 ミラノ中央駅着。
クレモナ行きの列車を探すが見つからない。
駅のインフォメーションで訊ねると土曜はクレモナ行きはないとのこと。
本日はミラノ泊にするしかない。
駅のホテルの予約所も7時で終了。
駅に荷物を預け、ホテル探しをする。

ミラノ中央駅前のホテルの名刺 ⇒
手書き360.000とか285.000は
当日の部屋代を書いてもらっている。
36万リラ等。当時のイタリア通貨リラ
は異例に桁が多かった。
今のベトナムドンはもっとすごいが。

どのホテルに契約したのかはもう分からない。
値段だけが決め手で星一つのホテルに投宿。

トイレ・シャワーが共用で廊下の外にあった。
典型的な安ホテルでどことなくヤバそうな感じ。

しかし、寝るところが確保でき、私はこれで一安心。ヨメは当然不顔。

観光と食事をかねてミラノのドゥオーモに行くことにする。
ホテルのおっさんは20分くらいといってたが、実際にはかなり遠かった。

地図を頼りに暗い町並を迷いつつドゥオーモを目指す。
今、Googleマップで検索すると街路が入り組んでいるので迷ったのか。
直線距離だとかなり近いのだが。

ヨーロッパ有数の大都会なので”暗い町”ではないハズだが、やはり日本の都会の蛍光灯で照らされた街路ではない。白熱灯の光が膨大な影を際立たせる。

かなりへこたれてやっとスカラ座前に到達。
学生時代にスカラ座を見学したときと同じく、やはり意外と小さいという感じ。
名前が巨大すぎ、パリのオペラ座のように堂々たる一画を占めているという思い込みがある。実際はスクエア(Plazza della Scala)の一画の平面的な建物。

対面のマリーノ宮の方か大きく、その右の凱旋門風のショッピングモールの入口の方が立派。

スカラ座スクエアに立っているのはヨメ、ではなくてレオナルド・ダ・ヴィンチである。

1982年5月、学生をやっていた私(実は34歳(^^;)はスカラ座の客席に居たのだが、当時の写真は一切存在しない。内部もコンパートメント席が舞台を取り囲んでいる昔のオペラ座様式で大劇場風ではない。しかし、歌手の声はよく響き、無数に並んでいるコンパートメントの赤い天上カバーが印象的だった。

凱旋門をくぐると巨大なギャラリーのアーケード。

ほおぅ・・・。

このアーケードを出るとドゥオーモである。

ここで一挙にスカラ座・ギャラリー・ドゥオーモの観光3点セットが勢ぞろいし盛り上がる。
冬空の夜空にそびえるミラノのドゥオーモの先端は完全に異世界に付き出ている。

尖塔の一部が燃えてるように見えるのは、はて? ←寅ちゃん風(^^♪
ドーモ前の観光客一杯レストランで食事。
高くて遅いが料理は美味。

ここで初めて日本人グループ散見。
今まで居た旧ユーゴスラビアやヴィチェンツアは日本から団体で観光に来るような所ではなかった。
ベニスにも寄らなかったし。

ドーモの地下鉄駅に降り、自動券売機を学習。
コインがなかったが、販売窓口が開いていたので紙幣で購入。
地図では2番線で中央駅に行けるはずだが、よく考えずに入った改札口は別の線のもののようだ。
近くにいた中年女性に"Statione Zentrale?"と訊ねる。
よく知らない風、構内の案内ブースを指差される。
無人かと思っていたがブース内に係員がいた。
やはり”2番線である”との解答。
指指された方向に2番線への通路があった。

中央駅まで3駅。ホームにいた日本人らしいカップルも乗車。
ホームへのエスカレーターで件のカップルを追い越す。
駅ホーム端の手荷物預かり所へ。すぐ後で件のカップルも入ってくる。
係員一人。
"Per favore !"チケットを差し出す。
軽くうなづき当方のバッグを持ってくる。

受け取って出口に向かうとカップルの少女が精魂尽き果てた風に座り込んでいる。
23時過ぎ・・・今からまた汽車に乗るんだろうか?
 ・・・
ホテル一つ星に戻る。
ヨメはそれでも廊下外のシャワーを浴びに行く。
夜半、女性の怪しげな声が漏れてくる。
ついでに当方たちも少々。はて?

up:2025/3/23(日)2:0
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