ミラノ  .. ストラスブール1 ...
[サラエボから東ベルリンへ 2001]

 スイス横断4時間 


'01 2月4日(日)1
ホテル一つ星には朝食はついてなかった。
駅前マクドナルドの開店を待ち朝食、手持ちのリラを使い切る。

これから列車でスイス横断する。
天気も良く、一等車コンパートメントから輪切りスイスを眺めるにはふさわしい天候だろう。

ミラノからコモ湖まではイタリア、ルガノからはスイスだが、氷河湖と冠雪したアルプス、それに湖の湖畔に点在する村落の景観は絵葉書的(Carte-postalique)に美しい。

乗り物に弱いヨメはトイレに姿を消している間、極上のコモ湖の眺めが飛び過ぎていった。

このルートではスイスのロカルノやルツェルンからバーゼルの線でスイスを輪切りにしてフランスのバール(バーゼル)に出る。じつはバーゼルの駅の中にはフランス領があるのだ。

すっかり雪景色のアルプスの麓を昇る。

トイレから帰ったヨメ。

昔(1981)、グルノーブルに住んでいた私は列車でシャンベリからイタリアのトリノに入ったことがある。シャンベリーはサボワ公領だった地域でこの辺りの国境線はかなり曖昧で複雑な形状になっている。

ヨーロッパ最高峰のモン・ブランはフランス・スイス・イタリアの国境線上にある。

私はフランスで4年過ごしたのだが、最初の半年はグルノーブルにいた。
グルノーブル大学の語学学校でイタリア人ステファーノと知り合い、夏休みにウルビノの彼の家に遊びに行ったのだった。

今、あまりこの旅行には関係ないのだが、この1981年夏のイタリア旅行のことをスイスの景色を見ながらつい思い出してしまう。

ウルビノではステファーノの友人のアパートに泊めてもらったが、イタリアの古い町の普通の路地内の一室の洗面台の高さが強烈なカルチャーショックを与えてくれた。
洗面台はちゃんと大人が顔を洗う高さになっていた。
日本のタカラ・スタンダード他の標準洗面ユニットは子供に合わせた高さしかない、ということに気がついたのだ。
いや、当時の日本人の身長は今の子供並みということだったのか?
しかしやはり日本のファミリータィプのアパートの洗面台仕様は子供に合わせているとしか思えない。
これは空中架線の次に日本の”当たり前”が他国では異例、という実例として私の目を外に拡げてくれた経験だった。

その旅行ではウルビノで彼と別れ、ローマを見に行った。アッシジも行ったぜ。(フランシスコ教皇死去のニュースを昨日聞いた 2925/4/16))
ローマからの帰途、満員列車の2等車のデッキで外を眺めていると、すれ違う列車のデッキにいるのはソイツ、ステファーノではないか!後でローマに用があるので、とか言ってたが、まさか列車ですれ違うとは!そしてお互いデッキに出て外を眺めていたとは!
互いに大きく腕を延ばし、見えなくなるまで遮断機のように腕を振っていた・・・

ステファーノ・オリオーリはその後カナダのケベックに移住し、結婚したと便りが来たが、それ以来音信不通・・私の生涯にすれ違った、それでも多くの方々同様、今はほぼ薄れた記憶の地平線の下。
このような機会に突然、昨日のことのようにその光景が鮮やかに蘇りはするのだが。

山と湖と湖畔の小集落。これがスイスだ。

これはルツェルン駅か? 途中下車しようかとの色気があったが、そのままバーゼルに向かう。

やがて列車はヨーロッパアルプスの斜面をフランス方向に下っていく。

バーゼル着。 スイス横断4時間の終着。
駅前を少々観光見学してみるがとりわけピトレスクなものは見当たらない。
バーゼル旧市街は中央駅からかなり離れているのだ。
旧市街には2008年のとある週末にやっと到達することになる。
なんだかアテが外れ、一時間くらいでバーゼル中央駅に戻る。

これからフランス駅からストラスブールに向かう。
バーゼル駅には構内に国境がある。
フランス側のホームに行くには構内の改札口のような税関を通過する事になる。

あまり関係ないが、私が奈良在住だった頃にはJR王寺駅を通過するたびバーゼル駅に似ているとよく思ったものだ。
大阪と奈良の国境(国分)ということもあるが生駒山系から大和川筋をうねうねと下ってくる感じが何となく似ているような?

up:2025/4/26(土)2:19
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