正月病とかで(1) .. [私家版野外徘徊記] やっとのことで心斎橋...

 正月病とかで(2)


'24 1月23日(木)
どうやらヨメの病は軽い気管支炎で治まるようだ。
今朝は久しぶりに二人で朝寝を決め込み、遅い朝食をゆっくり食す。
温かそうな陽光が、緑の気配を記憶から呼んでくる。
くさいきれ・・草いきれ・・草熱れ・・・という語感から菟田野師匠を思い出す。

昨秋、やっとその気になった旧宅整理の次いでに、宇陀の山道をバイクで走行、ふと思い出して菟田野師匠の農園を訪れた。
ご近所の方の話しでは今朝来訪されていたとか。
「果たして生きて再会できるような時間があるのだろうか?」
・・・とその日のブログには書いていた。

菟田野師匠(安谷屋武人氏)の逝去を知ったのはその直後だった。
調べてみると氏は既に9月にされていたのだった。
宇陀菟田野の佐倉峠に差し掛かり、ふと私は遠くからの呼び声を聞いたということだ。

菟田野師匠は「歌の師匠」の謂いで、私が半世紀以前から折に触れて参加していた合唱団での最後に指導していただいていた指揮者だった。

思えば昨年夏には同じ合唱団の先輩で高校の同窓でもある木本氏の訃報もご子息がFBに投稿されていた。
この方は私のニシナリ中学の先輩でもあり、お互いにもうニシナリとの縁は切っていたのだが、ある時ディープ・ニシナリとも言うべき鶴見橋商店街でぱったり会い、お互いの出自を問わず語りに、あるいは苦笑交じりに確認したこともあった。

この先輩の繋がりがあり、同じ高校の年少の同窓生後3名が、それぞれ一学年ずつズレて入団し、花室氏は指揮者、岡本氏は団長、私は・・ま、パートリーダー止まりだったが(^^;それぞれそれなりに合唱団の歴史に名を連ねている。
実は指揮者花室,テナー岡本,ベース私という組み合わせは正に高校音楽部とまったく同じ顔ぶれだったのだ。
しかし、花室氏はかなり昔に早世され、菟田野師匠や花室氏と音大でツルんでいた小林氏が指揮者に就任してこられた。
しかしもうその小林サンも既に故人である。

 -あ、小林さんはまだ若かったのにね?とヨメが口を挟む。
 -え?そうじゃなくて・・・それは郡山合唱団の小林正夫さん。
 -あ、そうか。

思えば回想に登場する親しい人々の大半はもう故人である。
あ、岡本さんは違う(^^;
私が昨年FBにUPした木本氏へのオマージュに対し、「葬儀に参列した」という岡本サンのコメントあり。念のため。

このところ、遠くからの呼びかけが去来。
見ている世界とは別の位相で。
そろそろ和解する潮時なのか?
私の行く末にずっと待っていてくれていたソレと。

up:2025/1/26(日)0:35
正月病とかで(1) .. やっとのことで心斎橋...