真夏のパリ彷徨と回想

2009/8/9

夕方5時、再外出。
しかし、まだまったくの日中で陽射しが暑い。
地下鉄駅で適当に行き先を物色、サンラザール駅に行くことにする。

当時学校の夏休みの一ヶ月ほどこの界隈の焼き鳥レストランでアルバイトをした。

サンラザール駅前の雑踏。
オペラも近く、この辺が一番
パリで混雑する界隈かも。

建物の作る角度に見覚え
があるのだが、どの辺で
働いていたのかもう解らない。


2,3のつまらない場面を思い出す。
駅前のどこかのカフェで、明日ドイツに帰る娘に話しかけて口説いた。
翌日、郊外の駅で落ち合うハズだったが来なかった。
仲間と一緒に行った駅横のレストランで2,3度ピアノを弾いたこと、等々。

仲間ねぇ・・
このようなところで働いている
のは大学関係ではない。
雑多な経歴の若者達。
単にあてもなく旅をしている
もの、画学生・料理人志望者。
本来の志望からドロップアウト
して日本レストランのマスター
に収まっている音楽留学生。

ま、どちらかというとパリでは
学生以外
の雑多な生活の形をよく見た。


同方向に帰る元学生支配人氏と深夜に連れ立って帰宅していた。
あるときサンドニ門近くの路上で、顔見知りらしい娼婦と2,3こと喋り、またその
先輩は歩き出したのだが、辻を曲がってすぐ「じゃ、今日はこれで」と引き返していった・・。

しかし、働いていた日本レストランの場所がよくわからん。
おそらくコレだったのでは?
という場所には「京都」が
あった。
確か「東京」のはずだったか、
あるいは「富士」?
いや、それはストラスブールの?

まあいい。

夏のパリで回帰してくる
回想には、あまり甘いもの
はない。


サイクリスト姿の警官。

標的発見、かなりのスピード
で追いかけ、被疑者確保。

自転車警官に限らず、
男女のペアでパトロール
しているお巡りさんが多い。

フル装備の女性警官を
見かけた時は映画のロケ
のような感じがした。


オスマン通りとの交差点・
ギャラリーラファイエット、
プランタン等々。

割合座席に余裕がありそうな
マクドナルドを見つけ、ビール
のみ注文2.5E。

さっそくWIFI網検索。
なるほど、マクドでは
パスワードも時間制限もなく、
無条件に接続できる。

しばらくメールチェックや
ブログの閲覧・更新をする。

さて6時。
外に出ればまだ暑い。

なんとなくオペラ、いつしか
バンドーム・シャンゼリゼ
に出てしまう。

昨年、パリで旅を終わり
大回想をした。
今年はどことなく中途半端な
ままパリに居残っている。


凱旋門はローマ帝国のマネをして
ナポレオンが建造した。

旅行前にたまたま塩野七海「ローマ人
の物語」の最終巻(15)を読んでいた。
1200年以上続いたローマ帝国
(共和制・帝政)の終末の物語。
西ローマ帝国は「蛮族に滅ぼされた」の
だったが、本当はもう誰も皇帝になり手
がなかっただけ、という・・。

人生や国家、あるいは人類の終わり方を専門に研究している(^^)私には示唆の多い本だった。

偉大なローマもいつかは終わる。
ローマ人がラテン文化の華を咲かせていた当時、中部ヨーロッパの森で上半身
裸で暴れていた蛮族の末裔が今のゲルマン系ヨーロッパ人である。
そのフランク族の末裔が今度はパリに凱旋門を築き、世界の富を収穫し、
壮麗なモニュメントをそこかしこに建造していく。

栄枯盛衰。
パリは未だ終わってはいない風なのだが・・・

グランパレ、プチパレ辺りからは、凱旋門やオベリスクもアンバリッドも一望できる。
コレでもかとばかり、そこかしこに配置された国力誇示の大建築群。
こいつらもいつかはローマの円形闘技場みたいな廃墟になっているんだろうなぁ、
と人類の明るい未来を見定める。

前回は凱旋門まで歩いたが、
今回はグラン・パレの交差点
を折れ、アンバリッドの屋根
に向かって歩く。

シンメトリがこの人たちの
美意識の基準だったのだ。


両側に大・小の宮
(Grand Palais, Petit Palais)、
セーヌに、これ以上
バカバカしく飾れないような
アンリ3世橋。
アンバリッドの黄金の屋根。


そして背景に通天閣、
ではないエッフェル塔。

アレをみると「通天閣」と
反射的に心の中で呼んで
しまう(^^;。

私は実は大阪下町じゃん
じゃん横町近辺の出である。

そうか、今回はシャイヨー宮
に行くか。
エッフェル塔見るなら
シャイヨー宮だもんね。


2009/8/9(日) 午後 6:49