記事仕様... 外に自閉する -2-  遥か...
〔フライブルグ通信〕

[外に自閉する -2-]  遥かなるラインの畔(1)

2011/06/30

フライブルグ大学夏期講座受講を決める
 
今年の夏にはドイツに行くと決めていた。
たとえばフライブルグ大学のドイツ語夏期講座。それで良かろう。
休暇中の空いている学生寮に宿泊し、学食(Mensa)も利用でき格安。
それに縁もゆかりもない、ということでもない。
かつて対岸のフランス・ストラスブールに居住していたとき、この大学を見学に行っている。
大学のフランス語講座で同学の野口くんと誘い合わせて一緒に見に行った。
構内を歩いていると、横に歩いていた中年女性が「日本人?」と話しかけてきた。
ドイツ語やがて英語。当方がフランス居住と分かるとフランス語になった。
会話の内容は忘れたが、同方向に歩きながらの世間話で、世界のことや日本のことを喋ったように思う。
大学構内という場の空気がそのような仲間意識のようなものを共有させる。
別れてから一橋社会学系出身の野口くんが「偶然隣に歩いていた人が、当たり前のように英・独・仏で話をしてくる。ヨーロッパの大学の実力だよね。」としきりに感嘆していた。
だからまあ、フライブルグ大学あたりでいいか、と考えていた。
いつでも大学のHPから簡単に申し込める。
 
そのうち「3月11日」がやってきた。
この未曾有の災害が世界に報道され、ドイツからも救助隊が派遣され、更に原発問題が輪をかけた。
これは夏期講座どころではないな、という状況になった。
日本人がこんなところで、のんきにドイツ語習っていていいのか?と詰問されるんではないか、と考えてしまいそうな雰囲気も確かにあったのだ。
当初、ヨメも会社の夏季休暇を利用し、私の講座終了後は一緒に旅行しようか、ということにもなっていた。
しかし、ヨメは即座に海外旅行は自粛し、被災地でのボランティア活動をすると言い出すのである。
まあ、当時はそのような自粛ムードが蔓延していたのだった。
そのままドイツ語夏期講座の件は凍結という案配になっていた。
 
気がつけば、すぐ傍らに鬱の気配が身を寄せてきていた。
ある意味では震災の個人的後遺症と言えるかもしれない。
普通に、確実に今ここにあるつもりだった日常性が一瞬にして崩壊することがある。
私たちが生きているのは本来的に不確実で不条理で、矛盾に満ちた世界だったのだ。
圧倒的な不条理の海にかろうじて浮かんでいるにすぎない、ちっぽけな木の葉を全世界と信じて生きている、とるに足りない生命である私たち。
確実な日常性の向こうから、圧倒的な不条理の海が透けて見えている。
 
生命とは何なのか?
どうしてそんなものが必要だったのか?
私には分からない。

私には子供の頃から少し放浪癖があった。いや、夢想癖といった方がいいのか。
「今・この周囲にある世界」がイヤで、早く抜け出して一人になりたいといつも思っていた。
でも、これは後から付与した偽記憶かもな。
そんなに子供の頃は覚えていない。
確実に言えることは近所のガキと遊んだ記憶が殆どない、ということか。
大人になってからも人とつきあうのが苦手だった。
数年前にアスペルガー症候群というタームを知り、幾分私の世間との折り合いの悪さが腑に落ちた思いがした。
先天的に社会性にうとい人達もいる。しかし、これは病気ではない。個人としての偏差にすぎない。
だから、自分がそのような位置にあると自覚した上で、無理せず世間と良好につきあっていける距離を計ればいいのだ。
現実密着型で対面する社会とまったく見事に一体化して生きている今のヨメと結婚し、会社も退職し年金生活に入り、やっと常に不安定だった私の社会の中でのポジションが定まり、心理的にも随分安定した。
「いろいろあったが、これでいいのだ。私の人生よ。」とも思えるようになった。
 
しかし、3月11日がどこかで私の精神の安定をゆすぶる。
安定したと思っていた堅固な日常の裏に潜む不条理の気配が神経を脅かすのか。
ある日、夢の中でヨメが消えてしまうというイメージを胚胎する。
 
私に「この世で生きる幸福」と無理やりながらも言わせてしまう、かけがえの無いヨメとの生活だったのだが、その「かけがえの無さ」という、希少で唯一という思いつめ方がアダになってしまっている。
ここ数年、完全にヨメに依存して生きて来てしまっていた。
ヨメの庇護の下で生き、いつしか私は社会に参画する以前の子供状態になり果てていたのだ。
ヨメが消えてしまうというイメージが、鬱を神経に注入する。
振り向けば、つい傍らに鬱。
 
やはりドイツに行く。
もう一度、親から離れ、初めて下宿生活をする学生のように、自分の生活を自分で律する必要がある。
まあ、子供の巣立ち、親離れのやり直し。ヨメからの自立(笑)だな。
ドイツに行って、夏の学生達に混じり、ついでに私の心が唯一自由だった留学生時代の気分の高揚を少しばかり回復したいものだ。
外に自閉し、自分ひとりになり、一人になることで別の世界と繋がる可能性も見えてくるだろう。
 
6月30日がフライブルグ大学夏期講座の申し込み締め切りだった。
通っているスポーツクラブに8月からの退会の手続きをし、22日夜夏期講座受講を申し込み、カードで料金を決裁、翌日手続き完了のメールを受け取った。ヨメが飛行機の切符の手配をはじめる。


記事仕様 blog upload: 2011/6/30(木) 午後 2:32外に自閉する -2-  遥か... >